格好悪い
『家行く。鍵開けて待ってろばーかばーかばーか。』
先輩との夕飯の後、帰宅するや否やそんな文面を送りつけて数十分。未だに彼女からの返信は来なかった。流石にメールの返事も待たずにいきなり押しかけるのは気が引ける。そう思い彼は机の上に置いた携帯とにらめっこを続けていた。そわそわ、と煙草を吸うでもなく灰皿の上に灰を落とし続ける。
「おいおい、もう寝たとかはないだろ……。」
決心が鈍るじゃないか、と悪態つく。先輩のお陰で覚悟が決まった。臆病者だが、進む勇気を得た。自分で決めたというよりも、決めさせられた。あるいは選択肢を絞られたという風になった所がやはりダメな男感が拭えないけども。なんにせよ覚悟を決められたのは良い事だと思っていた。
不意に携帯震える。既にメールを送ってから一時間以上が経とうとしていたが、彼はやはり携帯とにらめっこを続けていた。それゆえに震えた携帯を取る速度は人生史上最速だったのではないだろうか。
『あんた、先輩と付き合ったんじゃないの。人の彼氏と密室で二人になるほど私は馬鹿じゃありません。』
何を言っているんだコイツは。思わずブチ切れそうになって携帯を握る手に力が篭もる。彼女が先輩に何を言ったのか、そして先輩が彼女に何を言ったのか。大体を彼は把握して更に苛立つ。どいつもこいつもお節介で、反吐が出ると煙草の火を消した。無論、自分の非を忘れたわけではないが。
『付き合ってねーよ。つーか話があるから、行くぞ。』
部屋を出る。
『いやだ。』
外はやけに、蒸し暑かった。
『嫌じゃない。もう向かってる。』
少し雨の匂いがして、じめじめした空気は不快だった。
『へんたい。』
だけど足取りは軽く、気分は高揚していた。
『はい、家についた。』
自然と早足になっている事に気づいて、自嘲気味に笑う。
『うそ。』
携帯を握る手が汗ばんでいた。
『うそだけど。』
どうにも息苦しい感じもしている。
『おやすみ。』
何だって、彼女は4階に住んでいるのだろう。エレベーターもないし。
『まてまて。』
彼は額の汗を拭い、深呼吸した。
『寝ました。』
指先に力が篭もる。
『開けろばーか。』
軽快な音が木霊する。
「………何しに来たのよ、馬鹿。」
「開口一番それって、どうなんだ。」
がちゃり、と扉を開いてひょっこりと顔をのぞかせた彼女の目は赤かった。先程まで泣いていたのだろうか、と思案するがそんな考えは直ぐに胡散していった。
「泣いてたのかよ。」
「……うるさい。」
やれやれ、と彼は笑いながら彼女の頭を軽く撫でた。彼女はびくっと身体を震わせて、「うー。」と敵意を剥き出した様なくぐもった声を漏らした。彼の目にはそれは些か馬鹿に見えたのだが。
「可愛い声だしてんじゃねーぞ。」
「んな……ばっかじゃないの!?」
照れた様であり困ったようでもある。そんな素っ頓狂な声を上げる彼女の頭をがっしりと掴む。俯いていた彼女を無理矢理にこちらを向かせて、やや緊張気味に彼は口走る。
「今からめちゃくちゃ泣かしてやるから、さっさと家に上げろ。」
「…………泣き止んだとこなんだけど。」
「嬉し泣きは枯れるまでやっていいぞ。」
ばかじゃないの。そうまた呟いて彼女は―――少しだけ、笑って見せた。