上京
春という季節は実に素晴らしい。始まりの季節、出会いの季節なんて世間ではよく言われるだろう。例に漏れず、彼もまたそう実感して新生活に臨まんとしていた。大学入試に合格し、寂れた辺境の地を出て所謂上京を試みたのだ。彼の行動力は素晴らしく、その為にも高校時代の数年をアルバイトに費やした。親の援助はあてにならないと、毅然とした意志で金銭を稼いでいたのだ。念願叶い漸く彼は都会の空気を肺いっぱいに吸い込んだのだ。
「………よし、今日から新しい人生が始まるんだ。」
ぐっ、と握りこぶしを作り思わず笑顔になる。思えば短い人生ではあるが、あまり華があるとは言えない人生だった。彼は所謂目立たない少年であり、誰からも慕われながらも誰のものにもなれなかった。つまりは恋人などと呼称される存在は一瞬たりとも手にした事はなかった。
「ふふ、大学生になれば彼女のひとりやふたり。」
上京した本心とは、そんなものだ。寂れた田舎でジジババの相手なんてしてられない。人生を謳歌する為にはあそこでは不可能だ。自分という人間を成長させるには刺激の強い都会で生きるべきなのだ。そういった建前を並べながらもその心に眠るのは下心だった。
「はいはい、あんたにはできないよ。ちょっとはそのムッツリな所を直さないとね。」
「む、誰がムッツリなんだよ。まったく、見知った顔をこんなところでも拝みたくないぜ。」
言ったわね、とキッと彼を睨む少女。彼とは慣れしたんだ関係であり、所謂幼馴染と言うやつだった。彼が高校2年の頃、上京すると言い出すや否や「面白そうだし、私も着いて行く」などと言い出した。彼も最初は冗談かと思って笑い飛ばしていたが、実際こうして入学式まで同席されると笑えなくなってしまった。
「あ~あ……誰も知り合いの居ない所で伸び伸びしたかったんだけどな~。」
「残念でした。大体ね、私もあんたと同じ大学に進学することが上京の条件だったじゃない。」
「そんなの父さんが言ってただけだろ。いざとなったら僕には貯金があるしさ。」
「月々いくら振り込まれるの?」
「家賃分。生活費は別途。」
呆れた、と彼女は溜息をついた。結局のところ彼は父親の説得に失敗したのだ。それは危ないだとか、金はどうするとか、その他諸々の至極真っ当な正論だった。下心を隠しながら父親を説得できる程、彼は強い人間ではなかったのだ。最終的に見かねた彼女が「私も行くんで安心してください」と切り出してなんとか認可が降りた。
「まあいいや。別にお前と四六時中一緒にいるわけじゃないしな。ああ、サークルに一人暮らし!僕の大学生活は夢と希望に溢れているぞーっ!」
「だから浮かれるなっての。ていうかもうちょっと静かにしなよ。入学式で目立って友達できなかったら、どうするの。」
それもそうだな、と彼はひとつ咳払いをして周りをきょろきょろと確認する。既に友達が出来たであろうグループや、緊張した面持ちで下を向いている男など、どうやら彼を訝しむ人間はいなかったようだ。やがて壇上に学長らしき人物が上がり、長々とこれからのレクリエーションなどを説明しつつ入学式は終わった。
帰り道、構内の至る所でここぞとばかりに部活動やサークルのビラが撒かれていた。まるで花道のように列を作り通りかかる一年生へとビラを押し付けていく。彼と彼女もやはりその渦に巻き込まれ、否応なしにビラの束を手に抱える事になった。
「うわあ~……すごいね、いっぱいもらっちゃった。」
じろり、と彼は口を尖らせて訝しげな視線を彼女へと向ける。明らかに彼の倍はビラを彼女は抱えているからだ。その視線を感じてか、彼女はバツが悪そうに笑みを作った。
「いや~……やっぱり、女の子のほうが需要があるってことね。」
「まあいいさ、僕だっていっぱい貰ったんだ。女の子が多そうなところに入ろっと。」
「あんたが需要の体現者ね。」
手に抱えた束から一枚抜き出して、彼女は嫌味ったらしく呟いた。彼にはその言葉は届いておらず、既に彼女と同じ様に何枚もビラを手に取り確認していた。こうして歩きながらビラを眺めている間も、二人の手元にはビラが置かれている。入学式とはある種、サークル同士の戦争なのかもしれない。
「ん~……良いのあった?」
「そうだな、これなんか良いんじゃない。テニスサークル。女の子多めだって。」
「あのねえ……私、そういうの嫌いだよ。飲みサーってやつでしょ。ほら、お酒のイベントすごく多い。」
「馬鹿だな。大学っていうのはそういう所なんだぞ。飲み会に合コン、なんでもござれだ。それにちゃんとテニスもやってるじゃないか。そうやって偏見を以て非難するのは良くない。」
「ん~……私は、あんまりそういうのが怖いからなあ。」
「ていうか、なんでお前俺と同じサークルに入ろうとしてるんだよ。」
ふと気づいて、彼はしかめっ面で言い放つ。別に幼馴染である彼女が嫌いだというわけではないが、折角見知らぬ土地に来たというのにそこでもべったりされるというのはなんとも言えない感情に襲われる。彼の言葉に少し気を悪くしたのか、彼女は睨む様な眼を彼に向ける。
「だから、あんたのお父さんに頼まれたんだから。息子をしっかり見守ってくれって。」
「別にそんなのどうだっていいだろ。それに、同じサークルに入らなくても会えるだろ。まったく、そんなに僕と一緒にいたいのかよ。さっさと彼氏でも作って、僕離れしてくれよな。」
「………彼氏ねえ。」
彼の悪態に別段憤る事もなく、睨む様な視線は鳴りを潜めていた。彼女は少し思案するように、彼が手に持っていたテニスサークルのビラを見つめていた。




