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私だけの世界

作者: 橘 健兵衛

あれから十日は経っているというのに、あの濃厚な時間の余韻は続いている。

いや、余韻というにはあまりにも熱く、まるで自分の肉体の中心の鉄芯が今も赤熱しているのような感覚が続いている。


社会人になって二年目の冬、生まれて初めて「帰省」というものをしてみた。

空港からそのまま地下鉄を三十分、降りた駅でローカル線に乗り換えて一時間。それからバスかタクシー。

実家にたどり着く頃には日が暮れているだろう。


空港を出て、スマホの電源を入れ忘れているのに気付いた。

母からの着信が離陸する直前に一件。それから少し後に兄からのメールが一件。


 時間が合いそうなので、こっちの納会が終わったらそのまま空港に向かいます。

 空港近くのコンビニで時間を潰しているので着いたら連絡下さい。


危なかった。地下鉄のエスカレーターを降りきった所でこのメールに気付いた。


「おひさ」

「おう」


私と兄は普段からそれほど言葉を交わさない。


「母さんには電話した?」

「まだ。兄ちゃんと合流してからでいいかなって」

「そうか」


後部座席にスーツケースを乱暴に押し込み、助手席を確保。

モバイルバッテリーに繋がれたままのスマホをバッグから引きずり出す。


「あ、お母さん。うん、今兄ちゃんと合流した。うん、今からそっち向かうから。え、さあ、年末だし国道混んでるかも。ねえ兄ちゃん、家までどれくらいかかりそう?」

「高速乗るからそんなにかからんだろ。高速降りてからもう一回電話すればいい」

「うん、高速乗るって。高速降りたらまた電話する。兄ちゃん○×で降りるんだよね?」

「ん」

「○×だって。うん、じゃあまた電話するから。え?…うふふ、はあい」

「なんだって?」

「安全運転でいきなさい、って」

「聞こえてたぞ。大事な箱入り娘がどーたらこーたら」

「ふふふ、それは無事着いてから直接聞いて」

「はいはい」


暖房が本格的に仕事をし始めた。


「寝てていいぞ」


こっちを見た様子はないのに、どういうわけか兄は私の大あくびを感知していた。


「うん、ちょっと眠い。寝る」

「おやすみ」

「おやすみい…」


しかし、それから程なく私が目が覚めたのは気付いていなかったようだった。

窓側を向いて寝ていたので、標識か何かに反射した西日に刺激されたのだろう。

黄色ともオレンジとも言えない色に染まった山並みがゆっくりと流れていく。

緑色の案内標識が頭上を通り過ぎた。どうやら高速に乗ったばかりらしい。


兄が私の目覚めに気付かなかった理由が分かった。

規則正しく鳴るアスファルトの継ぎ目に混じって、音楽が聞こえてきたのだ。

音楽と、兄の鼻歌が。


兄は、一体どこからどうやって知ったのかという位に色んな音楽を無節操に聴く。

コマーシャルで聞いた事があるような洋楽から、自分が生まれる前に放送されてたようなアニメソングまで。


RHYMESTER / ウワサの真相

RADWIMPS / おしゃかしゃま

THE YELLOW MONKEY / 花吹雪

THE YELLOW MONKEY / 聖なる海とサンシャイン

清貴 / No No No

niki / リミッター

宇多田ヒカル / Wait and see リスク

山崎まさよし / メヌエット


耳慣れた、懐かしい曲ばかりだ。

洋楽でタイトルを知ってるのは「テイクオンミー」だけ。

他には、タイトルは知らないが「ガリレオ~」を連呼するやつ、イントロで「バーイセコ!バーイセコ!」というやつ。多分同じロックバンドだ。


知らない曲も増えていた。この二年の間にまたラインナップを増やしたのだろう。

いずれにせよ全てが兄の選りすぐりだ。耳の奥の魂にすっと入っていく。

かすれ気味の、ささやくような兄の声と共に。

窓の外から染み出してくる雑音と振動はいつの間にか消え、座席に体重を全て預け、意識が冴えたまま、兄の好きな音楽と、兄の無意識な歌声に満ちた、兄だけが存在する世界に沈み、漂い、浸る。


燃えよドラゴンのテーマ


「オアタアッ!」

「ぶっ!くふふふっ」

「起きてたんかい」

「ちょっと、何これ」

「燃えよドラゴンのテーマ曲」

「いやなんでそれがここにあんのよ」

「カラオケにな、これあるんだわ」

「これが?歌詞は?」

「『アチャー!』とか『ホアタア!』とか、カタカナで字幕で」

「マジでか」


これだから兄は油断がならない。


「出口まで二百メートル。そろそろ電話」

「うん」


結局、帰省中にこの世界を味わえたのはこの一回限りだった。

帰省最終日、既に兄は仕事に出ていた。


気になる曲があるならお前のスマホにコピーしてやろうか、という兄の申し出を私は断った。

いいのだ。あの世界さえ私のものならば。

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