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夢路漂泊  作者: 藤野千賀
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白蛇の蔵


 そこは、私の家の庭であった。また、僕の家の庭でもあった。そして、私たち従兄弟の家の庭でもあった。


 とにかくそこは、私たちの近しい誰かの所有物としての土地の庭であることは決まっていて、それは私たちがここを遊び場として使うのに充分な理由だった。


 そこには、大きい蔵が立っていた。もしかしたら大きくはなかったのかもしれないけれど、とにかくここで語ろうとしている物語にとって、その蔵が内包している意味は大きかったので、大きいと語って差し支えないと思う。


 その蔵は、なぜだか異世界に通じていた。誰が何と言おうと、この話の中でそれは真実だ。


 これは、私たちが地球外生命体を退治するのに失敗した、とそういう物語である。






 今にして思うと、なぜ私たちは、そこで発見した地球外生命体を退治しなければならないという使命感に駆られていたのかわからない。私たちはその蔵の中に、地球外生命体を見出した訳だが、彼らは私たちに害を為した訳ではなかった。


 彼らが私たち、異世界とやらの存在を認知していたかも怪しい。彼らは彼らで完結していて、蔵から出てきたりなんかはしなかったし。


 それは、未知のものに対する恐れから来たのだと思うけれど、恐ろしいからといって排除する理由にはならない。そんな理屈がまかり通るものならば、私たちの通う中学の家庭科の女性教員なんかは、いの一番に大地にお帰りになられていると思う。


 今現在抱いている感慨はこのくらいで措いておいて、かつての幼い私たちが何をしようとしていたかを語ることにしようと思う。それが、この物語の趣旨なのだから。





 蔵の中に異世界を見出した私たちは、今私たちが考えてそうするべきだと思う程には驚いていなかった。私たちはその頃は、まだ妖精というものが当たり前に存在していておかしくないと思うような世界に生きていたから。

 とにかく、蔵の中に異世界があるのは、それほどおかしいことではなかった。


 異世界があるとなれば、そこに行ってみたくなるのが人間の性であると思う。そうではない人も世の中にはいるのかもしれないけれど、私たちの中にはそういう奴は存在していなかった。


 そういえば、どうして私たちは蔵の中の世界を異世界だと思ったのだろうか。もしかしたら、時空間が超次元的に曲げられて、地球上の別の場所と繋がっていたという可能性もまた、考えるべきではなかっただろうか。


 たとえその蔵の向こうで私たちが見出した知的生命体が、爬虫類的だったからという、それだけの理由ではそこを異世界と断定するには不十分かもしれない。もしかしたら、宇宙の他の星の上であるかもしれないし。


 とにかくそのころの私たちは、繰り返して言うように、どこか天啓的に生きていたので、直感ほどこの世に確かなものなど何もないと信じていた。その直感が告げたのだ、そこは異世界である、と。





 蔵の中には、異世界があった。本来そこにあってしかるべき物品はみな、姿を消していた。ただ異世界があるのだ。


 繋がる先は毎回変化した。ある時はだだっ広い平原があったし、またある時は庶民的、かつ階層式の、なかなか広いスーパーマーケットの中の二階の女子トイレに出た。


 僕はあの時ほど恥ずかしい思いをしたことはない。私はそうではなかったけれど。


 でも、その異世界に性差という概念があるかは、少し怪しいと思う。僕はそう思うことで自分を慰めている。向こうで見た爬虫類的生命体は、二本足で歩いて、服を纏って、まるで人間のように暮らしていたけれど、性別の差というものは僕には区別がつかなかったから。


 私がその時の出来事として後悔しているのは、そのスーパーマーケットの衣料品コーナーで買い物をしなかったことだ。とにかく可愛い服が売っていて、特に一着気に入ったものがあった。


 だけれど、異世界とでは季節に差があるのか、私たちの暮らす世界ではすぐに着られそうにはないものだった。また、通貨の概念もこちらと同じであるとはわからなかったし。


 また、そのコーナーのレジに退屈そうに座っていた店員が、私の視点からしたら怖そうに見えたというのも理由にある。もしかしたら取って食われてしまうかもしれないと、その時の私は思ったのだ。


 隣にいた連れが、飽きた風であったというのも理由の一つだ。そんな風に、女の子が服を選ぶのに付き合えないようじゃあ、彼女ができた時に愛想を尽かされると思うのだが。まあ、そいつの恋愛事情など私の知ったことではないし。


 だが、この時私たちが把握していなかったのは、蔵の中の異世界は、いつも同じ場所に出るとは限らないということだ。結局私たちは、二度とそのスーパーマーケットに辿りつくことはなかった。頑張ってあの服を買っておくべきだった、と私は今でもたまに思い出しては後悔する。


 そういえば、不思議なことに帰るときには、もとに来た場所に戻らなくてはならない、なんてことはなかった。ただ、どちらかが帰ることを提案して、もう片方がそれに同意すると、いつのまにか帰還していたのだ。それもなぜが、夜に自分のベッドに横になった状態で。当時は全く不思議には思わなかった。「そういうもの」として認識していたから。だが、もしかしたらそれこそが一番おかしな出来事であったかもしれない。






 とまあ、このように私たちはなかなか平和な異世界体験をしてきたわけだ。これだけでは、私たちはそこの生命体を排除しようなどとはおもわなかっただろう。それを理解してもらうためには、この後に経験した、ある恐ろしい出来事を話さなくてはならない。


 などと格好をつけて言ってみたが、そんな恐ろしい出来事などは、実は体験していない。あれだ、「恐ろしいかもしれない出来事」ならばあったが。


 唐突だが、みなさんはRPGをプレイしたりする方だろうか。そういう方ならば、私たちの言いたいことがわかってもらえるかもしれない。


 簡単に言えば、「ボスが出そうな、怪しい部屋の前に出た時にすることは?」と、こうなる。


 私ならば、一時撤退して、装備や持ち物の回復アイテムを万全の状態にして出直す。つまりは、そういう事態になったのだ。


 ある時、私たちが異世界を訪れた時、いかにも怪しい館の前に出た。好奇心旺盛だった私たちは、とにかく前に進む以外の選択肢を持ってはいなかった。


 そういうわけで、私たちはその館に不法侵入することと相成った。異世界に、そういう法律があるかは知らないけれど。


 重たく軋む鉄格子の門を開き、広い庭を抜けて、館の玄関に立つ。そこは、私たちが思い描く、「不吉な洋館!」そのものだった。まるで吸血鬼でも出てきそうな。


 玄関の扉には鍵がかかっておらず、簡単に開いた。玄関ホールから正面にのびる、緋毛氈の敷かれた階段。……何と説明したものか。


 ……ああ、あれだ。映画『サウンド・オブ・ミュージック』に出てくる、トラップ大佐のお屋敷みたいな。とにかく、雰囲気の落差はさておき、あんな風な間取りを想像してもらえればいいと思う。


 私たちはその洋館の中を探検した。なぜだか、誰とも遭遇はしなかった。まあ、こんな館に好き好んで住むような住人がそうそういるとは思わなかったけれど。


 そして、私たちはついに館の最奥に辿りついた。


 とまた格好をつけたが、そこが最奥かは結局わからない。だってその部屋は、二階のある部屋の天井の梯子から行きつくものだったから。三階建ての館の、そこを最奥と言っていいものかわからない。


 もっと探検すれば、怪しげな地下室にまで辿りつけるかもしれなかったが、私たちはそういうことはしなかった。その頃の私たちにとって、地下室とは台所から辿りつくものであったし、また当時高尚な世界に生きていた私たちにとって、台所などという生活臭の漂う場所は一種蔑視されてしかるべきところだったからだ。


 今はもちろんそんなことは考えてもいない。人間の欲求は満たされてしかるべきもので、それを満たすためのものはある種尊重されるべきである、と私は信じている。その欲求の中で、私が一番満たされてしかるべきだと思うのが睡眠欲である、というのは、私の友人はみな知っていることだ。睡眠欲程ではないにしろ、食欲も大事だ。料理のできない私にとって、それができる人間が尊敬の対象であるのは言うまでもない。


 さて、私たちは異世界の怪しい館で、これまた怪しい部屋を見つけた。そして、覗き込んだその部屋のなかに、これまた怪しい影を見つけたのだ。


 その影もまた、異世界人の例に漏れず、爬虫類的な容姿をしていた。その影は、黒い長衣を身にまとい、重厚そうな机の前に座り、うつむいていた。


 遠目で見たその影は、爬虫類的ながら、地球人類的観点にも通じるところがある、なかなかすっきりとした容姿であったように思う。とにかく、わたしはその時感じたのだ。きれいな人だなあ、と。


 その人物は、別に邪な空気を纏っているわけではなかった。ただ、その人が居住しているとみられる館が破滅的に不吉だった、それだけのこと。


 破滅的に不吉な館の、少し隠れて奥まった部屋にいる人物は、私たちの観点からすれば悪の親玉のように映った。私たちは決意した。こいつを排除すべきだ、と。


 そこで私は、連れに提案した。こいつを退治する、その万全の準備をするために一旦出直そう、と。僕もその提案に同意した。





 さて、一旦戻ってきた僕らがしなくてはならないことといえば、その生命体を退治するための武器となるものを探すことだということには、同意してもらえると思う。


 そして僕らが思い付いたのが、毒を使うというものだった。何かの本で読んだのだ。壺の中に、たくさんの毒虫を入れて地面に埋め、一月ほど後に掘り返す。すると、中で毒虫どもは共食いをし、残った一匹の毒はすごく強いものになる、と。


 実際に本当かは知らない。ただ、僕らは天啓的にそうしようと決めた。今思えば、ただ毒を持っていたところでどうなるか知らない。相手に飲ませるにしても用意が要るし、他にしても武器に塗って相手を傷つけるくらいのことはしなくてはならなかったはずだから。


 とにかく僕らは、それを実行に移してみた。家から漬物を漬けるのに使っていた壺をこっそり拝借して、きれいに洗った。中には、かたっぱしから虫を詰め込んでいった。蜘蛛とか、蛾とか、蟻も入れた。宝物の蝉の抜け殻も入れた。私も、しぶしぶ協力した。掘り返したカブトムシの幼虫とか、鼠の死骸とか、むしった蝶の羽も、かたっぱしから入れていった。そんな中、私たちはあるものを見つけたのだ。


 それは、蛇だった。僕の肘から指先までくらいの長さで、太さは指三本分くらいの、白くて綺麗な蛇だった。


 これだ、と僕らは思った。こいつが僕らの武器になる、と。


 さっそくそいつを捕まえた僕らは、そいつを壺に押し込めると、蓋をして、その上に重石をのせた。それで顔を見合わせて頷きあった。あとは待つだけ。


 その壺は、蔵の裏側に隠した。蔵の周りは僕らの遊び場で、他にあまり人が来ない場所だったから、隠すのには丁度いい。


 それから僕らは、壺の毒が成熟するまで、まるで何もなかったかのように普段通りに過した。蔵を覗いて異世界に行く、なんてことは一切しなかったし、お互いに顔を合わせて相談することもしなかった。僕は僕で、相方は相方で、それぞれ学校に行き、宿題をし、友達と遊んで一月を過したのだ。






 ちょうど一月経った日。示しあわせていたわけでもなかったが、僕らは蔵の前に集合していた。壺は、一月前にそうしたように、蔵の裏に無造作に置かれていた。


 私は、葉っぱでもかぶせて隠しておいた方がよかったかもしれない、と言った。僕もそれには内心で同意していた。だってこのままじゃ、あまりに風情がなさすぎるから。でも、そうは言わずに、もうしょうがないよ、とだけ言った。


 僕たちは蓋を開ける時、お互いに、おまえが、いやあんたがと譲り合った。だって怖かったから。鬼が出るか、蛇が出るかわからないじゃないか。いや、蛇は入れたけれど。


 結局、僕らは一緒に蓋を開けることになった。せーの、の合図で。ご多分に漏れず、一回目のせーの、では誰も、ぴくりとも動かなかった。二回目にしてようやくというべきか、蓋を開けたのだ。


 僕は、生き残っているのは例の蛇だろうと予想していた。それは、私にしても同様だ。だが、事実は往々にして予想を裏切ってくれるものだ。


 男の子でしょ、と相方にわけのわからないことを言われ、本当に清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで壺に腕を突っ込んだ僕の手に握られていたのは……。


 ……なんなのだろうか。正直、僕らにはこんな生き物を入れた記憶はなかったのだけれど。壺の中で超次元的に熟成されてこうなってしまったとしか思えない。


 多分原形となったのは、あの白い蛇なのだ、と思う。大きさもだいたいそのくらいだし。ただ、蛇ではなかった。白かったけれど。端正な顔をしていた蛇とは裏腹に、そいつは不細工だった。一番近い表現としては、幼虫?芋虫?そんな感じだ。


 そいつは、ぶよぶよしていて気持ち悪かった。そして、生きているのかもよくわからなかった。いや、わかりたくなかった。多分生きてはなかったのだと思うけれど、とにかくその時の僕らには、そいつが必要だったから。


 とりあえずそいつを掌にのせて、運ぶ。運ぶそばから、白い液体のようなものが滴って、そいつはどんどん原形をとどめずに小さくなっていった。


 とにかく急いで、僕らは蔵の中の異世界に飛び込んだ。そいつを連れて。







 そして辿りついたのは、あの不気味な洋館だった。今度は玄関のすぐ前に出た。

 僕は、その不気味な生き物を、まるで聖剣エクスカリバーのように頼りにしながら、洋館の中を進んでいった。しかし、私には心配で仕方なかった。その生き物は、連れの手の上でどんどん小型化していっているように見えたから。


 私は、そいつを貸して、持たせてくれ、と連れに言った。連れははじめ拒否していたけれど、やっぱりそいつが気持ち悪かったのか、あまり抵抗せずに私に渡すのを同意した。


 連れの手から私の手の上に、そいつが渡ろうとした、ちょうどその時である。そいつは、連れの手の上からこぼれて、地面へとダイブした。


 私たちは呆然とそれを見ていた。べちゃり、と地面にぶつかって、私たちの希望が潰えるのを。緋毛氈に、生白い染みがじわじわと染みわたっていくのを。何も言わなかったし、言えなかった。どちらかが、もう片方を責めるようなこともなかった。多分わかっていたのだろうと思う。そいつは実はそんなに役に立つような代物ではない、と。


 そして、私たちは先に進まないまま、帰ることにした。それ以来、蔵は異世界に繋がったことはないし、もちろんその不気味な洋館に辿りつくこともなかった。


 いつか忘れ去られてしまう子ども時代の出来事であり、夢だったのかもしれないし、もしかしたらこれから経験するべき予知夢かもしれない。


 とにかく、そんな出来事があった、とただそれだけの物語。


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