呪われた腕輪
この物語の主人公であるところの彼女のことは、どうか敬意を込めてレディと呼んで欲しい。彼女は、そう呼ばれるにふさわしい淑女であることは間違いないから。
レディがどういう女性かというと、彼女はまさにビスクドールのような、という表現がよく似合う美少女だった。いつも豪奢なドレスを身にまとっている。色はもちろん赤。彼女に一番似合う色だ。同色のヘッドドレスからこぼれる髪は鳶色で、陶器のようになめらかな肌に、綺麗な青藤色の瞳が鮮やかだ。
ただ、少女と言いきれないのは、それを遥かに超えた年数を彼女が生きてきているから。だから私たちは、彼女をレディと呼んでいる。尊敬と畏怖を込めて。
あどけない彼女の、ふっくらとした唇からこぼれるのは、辛辣な言葉ばかりで、それもまた私たちを戦慄させる要素の一つだ。
さて、この物語は、そのレディが主人公というのは先に述べた。レディに言わせると、私が主人公にならないわけはない、のだそうだが、ここでは反応しないでおく。レディが自信家なのはいつものことだし、彼女がその自信にふさわしい能力を備えているのもまた、周知の事実だ。
さて、では物語の主人公であるレディに登場してもらうことにしよう。
レディは、そのころ困っていた。レディが困ることは滅多にないので、それは貴重だ。しかし、レディほどの人を困らせることのできる者が他にいるかというと、私たちにはちょっと思いつかない。そして、今回の場合もその摂理は覆されることはなかった。つまり、レディを困らせていたのはレディ自身であったのだ。
レディを困らせていたのは、かつてレディが作った腕輪だった。作られてから二百年ほど経ており、その細工の素晴らしさと、呪われているとの評判から、実用されることは少なく、金持ちの家を、一種のステータスシンボルのような形で渡り歩いてきた。
その腕輪の呪いの、広く流布しているものは、嵌めたら惨い死に方をする、というもの。そのたいていはレディが直接又は間接的に犯人であり、それを聞けば死に方が惨いというのも納得できると思う。レディに目をつけられて、五体満足で死ねると思う方がおかしい。
だけれど、その恐れられている腕輪の呪いの真実というのは、評判とはまるで掛け離れたものだった。呪い、というよりは、おまじない、と言った方が近いかもしれない。
それは何かというと、恋の魔法であった。嵌めた人間は、レディのことをひたすらに愛するようになる、という。
レディは当時、とある豪商の息子に恋していた。そしてその青年を振り向かせるために、腕輪を作ったのだ。レディの呪術に抗える人間はいない。人間でなくても、レディに逆らえる存在など、私たちは知らない。呪法は当然成功し、相手の青年はレディをただひたすらに愛するようになった。
だけれど、彼がレディを愛するようになったからといって、その人間本来が持つ性質を曲げられるようにはならないのだ。レディはそこのところを、当時はまだあまりよくわかっていなかった。
青年は豪商の一人息子。しかも、レディが恋をするほどだから、顔もよかったし、人当たりもよい好青年だった。そんな彼を、巷の女性たちが放っておくわけがない。そしてその青年もまた、そこまで節操のある人間でもなかった。
結果、青年はレディを愛したというものの、他の女性たちとも関係を持ったし、それを止めようとはしなかった。彼の一番はレディであったものの、唯一ではなかったのだ。
その状態に、プライドの高いレディが我慢できるわけがなかった。あまり経たずに、青年は一月の行方不明の末に、惨い状態の死体となって発見された。四肢の腱が切り裂かれ、動かない状態の上に、舌は切り落とされていた。美しかった顔のみはそのままだったが、無残に蹂躙された肉体と相俟って、余計に不気味極まりなかった。
残された腕輪は、青年の父の商人が売り払った。それ以来、その腕輪を嵌めた持ち主で、無事に命を終えた者は存在しない。腕輪を嵌めると、例外なくレディの虜になってしまうのだ。だがレディは、めったに人間の前には姿を現さない。レディを求めた彼らが参加するのは、怪しげな黒ミサであったり、後ろ暗い結社であったりした。それゆえに、彼らは例外なく惨い死を迎えた。ある時は、法に触れて刑死したし、またある時は対立する結社との抗争の際に命を散らした。
レディ自身、こうした事態に思うところがないわけではなかった。彼女は面倒事が嫌いなのだ。だがら、二百年経ってやっとではあるが、その例の腕輪を回収することを思いついた。
例の腕輪はというと、ちょうどとある美術館の特別展に出品されることが決定していた。その時に頂いてしまおうと、レディは決めた。
まずレディがしたことといえば、その美術館の間取りを正確に把握すること。そのためにレディは、美術館を訪れることにした。
レディは常々、事前の周到な準備こそが大事なのだと言っている。そしてその言葉通りに、レディの一挙一動は大体、綿密な計算に基づいている。なおかつ、レディは持ち前の優秀さから、計算外の出来事に対しても的確に対応できている。このことからしても、私たちがなぜレディをここまで崇拝するのかわかってもらえると思う。
そんなレディだが、ここで一つ、予想外のことが起きたのだ。レディは、目立つ。そんな今更なことだが、レディがその美術館の人間に顔を覚えられてしまったのだ。
さらに面倒なことに、その人間がどういうわけか、例の腕輪を嵌めてしまったのだ。ここの事情は、私たちの詳しく関知することではないので割愛する。
そういう事態になって、レディは頭を抱えた。今回のレディはどういうわけか、随分平和的な考えを持っている時期だったらしい。いつもならば、その相手を殺して解決、なんて真似をするのにためらいのない人だから。
今回は、レディが自分の腕輪の所為でどうにかなってしまう人間をなくすために動いていたので、こういう平和的な考えが浮かんだのかもしれない。私たちには、とうていレディの考えを理解することはできないだろうけれど。
とにかくそういうわけで、レディは気まぐれに、レディの虜になった人間を救ってやろうと決めた。
さて、救うといったところでどうするかというと、レディの計画は物騒なものであった。実はあの腕輪の呪いの効果は、一人にしか効かないものなのだ。なので、また別の人間が腕輪を嵌めると、術が解けて新しく腕輪を嵌めた人間にかかる。レディが救おうとしているのは、今回腕輪を嵌めてしまった不運な人間であり、他の人間ではない。
なので、また別に、今度はレディの気に入らない人間に嵌めさせて、それからその人間を始末すれば万事解決、というわけだ。相変わらずレディの思考回路は、危険極まりない。
こういった経緯で、レディに目をつけられてしまった、哀れな人間がいた。今回腕輪を美術館に貸し出した、持ち主のK氏である。レディにしたら、持ち主のくせに嵌めないのはおかしい、のだという。K氏はレディにしてみれば都合のいいことに、整った容姿をしていなかった。そうなると、排除するのに罪悪感を抱かなくていいという。
まあ、レディはレディで、処理する相手があまり不細工すぎるとやる気が起きないという、我儘な性分のお人なのだが、ここではそれは措いておく。
K氏が、展覧会の開催の前、出品者として招待された時に、事件は起きた。見て回っている時、ちょうど腕輪の前に来た際に、K氏だけが外界と遮断されてしまったのだ。
周囲からしたらK氏が、どこかに消えてしまったように見えるわけで、必死に探している。それをK氏は、一膜隔てられたところで見ていた。焦りを隠せないK氏の背後から、その時甘い声がかかった。こんにちは、と。
振り返ると、そこには赤いドレスを身にまとった美少女がいた。言わずもがな、レディだ。レディを目にしたK氏は、金縛りにあったかのように動けない。
そんなK氏の腕をとると、レディはゆっくりとその腕に、腕輪を嵌めていった。K氏は、それが呪いの腕輪だということに気付き、恐怖の表情を浮かべた。嫌だ、私はまだ死にたくない、というK氏に、レディは柔らかい声でいう。馬鹿な人、ならば所有すべきではなかったのに、と。
レディは、優しい声で付け足した。ごめんなさいね、と。そして、今回だけは特別に、五体満足な、綺麗な状態で死なせてあげる、と。
次の瞬間、K氏の心臓は鼓動をするのを止めた。レディはちょっと首を傾げて、K氏がちゃんと死んでいるのか確認すると、ふわりとスカートの裾を翻して、その空間から消えた。
どさり、という音に、K氏を探していた人々がその方を見ると、K氏が倒れていた。まるで高いところから落とされたかのように、手足がひしゃげている。ぴくりとも動かないその様子から、K氏が死んでいるのがわかった。
そして、K氏の腕には、例の腕輪が嵌まっていた。びっくりした人々が、展示してあるはずのショーケースを見ると、中は空になっていた。
K氏に同行してきた彼の夫人が、金切り声をあげてK氏に駆け寄る。あなた、あなたと叫びながら、K氏の体を揺するも、当然ながら死体は動かない。気を確かに、と別の人間が夫人を押さえるが、落ち着く気配はない。もう一度、夫人がK氏を揺すった時。
その拍子に、K氏の腕に嵌められた腕輪が、パキン、という音をたてて砕け散った。
あたりには奇妙な静寂が満ちた。その時、皆が思い出したのだ。腕輪の呪いの話を。
静まり返った部屋の中に、微かに少女の笑い声が聞こえた気がした。