【余談】良い異世界トリップと悪い異世界トリップ
ユニークアクセス数が50人を超えました。読んでくださっている皆様には本当に感謝です。
「素人の書いたこんな文章なのに…」と自分で卑下したくなってしまいますが、読者の皆様に感謝しつつ、前向きに続けていきたいと思います。
物語のプロットを作れるようになるまでに、しばらく時間がかかりそうですので、当面は余談の文章が多くなりそうです。私が「どのように物語を作っているか?」という事には直接関わりありませんが、私が「物語を作る際にどのような事を考えているか?」という内容を、余談として盛り込んでいきたいと思います。
今回は「異世界トリップ」と呼ばれる設定についてです。私が現在作っている物語の中でも、この「異世界トリップ」という設定を利用しています。また、「小説を読もう」のサイト内でも、数多くの作品がこの設定を利用し、人気を博しています。 自身がこの設定を利用していることもありますので、今回は「異世界トリップ」という設定について考察したいと思います。
読者目線で見た場合に、この「異世界トリップ」という設定を利用している物語が全て面白いか?と言われると、そんなことはあり得ません。非常に面白い作品もあれば、イマイチな作品もあります。もちろん、物語の内容や文章表現の差もありますが、この「『異世界トリップ』という設定をどう活かしているか」という点がひとつの要素となります。
・現代日本人が突然(or死んで)異世界に召喚された。
召喚された際に、凄い能力を貰ってその力でバッタバッタと敵を倒します。
こんな設定の場合どうでしょうか?主人公が「現代日本人」ではなくて、「異世界の村人」でも物語が成り立ちます。「現代日本人を主人公として読者の共感を得たい」という理由はあるのでしょうが、これは「物語としての必要性」ではなく「作者の都合」です。このような設定は、私にとっては「悪い異世界トリップ」の設定です。
・現代日本人が突然(or死んで)異世界に召喚された。
国王が暴政をふるう帝国内で謀略を駆使して王政を打倒し、民主主義の国家を作り上げた。
こんな設定の場合どうでしょうか?「民主主義」という現代の概念が必要となることにより、召喚されるのは「現代人」である必要性がでてきます。現代の道具・兵器・知識・価値観などが物語の主題に関わってくる場合、トリップする対象が「現代日本人」である必要性あり、これが物語の違和感を少なくします。このような設定は、私にとって「良い異世界トリップ」の設定です。
(例)戦国自衛隊:戦国時代と現代兵器
JIN:江戸・明治時代と現代医学の知識&現代薬学
私が物語を考える際に、よく「読者の違和感」という言葉を使っています。物語の違和感がゼロになることは無いと思いますが、違和感が大きくなると物語に共感しにくい・物語に入り込みにくくなり、「物語を面白い」と感じる要素のひとつが無くなってしまうからです。
この「異世界トリップ」という設定に関しても、これが当てはまります。「現代人が異世界にトリップする」ということに、なんらかの「必然性・必要性」が無いと、「なぜ現代人なのだろう?」という疑問が残り、これが違和感に繋がります。
現実にはありえないことを描いた物語は数多くありますが、「ありえない話なので何が起こっても構わない」という事ではなく、そのフィクションの数はできるだけ少なく、またそれ以外の部分は「読者の認識・常識」に沿ったものである必要があると思います。場面場面で都合のいいように物語の設定が変更されていては、それはフィクションの物語ではなく、都合のいい空想の集まりです。
「異世界に召喚」されるという物語の場合、フィクションは出来る限り「異世界」という1点に集約されるべきであり、その世界観の中に「剣と魔法」や「戦争」や「魔物」といったものが含まれていても構いませんが、「主人公がモテモテ」「都合のいい能力を身につける」といった物語となるのであれば、これは理由も無く起こる出来事ではなくて、物語の中で、読者の認識で納得のいく理由付けがされることにより、初めて読者の共感、読者の違和感の排除 ということが出来るのだと思います。
物語を作っていると、つい自分の考える都合のいい設定で物語を進めがちになりそうになります。自分が読者の目線で感じた、「物語の設定・理由付け」という点も意識しながら創作を進めたいものです。