第4章③ スミレの決意
シロはいまだに目が覚めない。そんな中、街に妖魔が現れ手負いのクロを含めた『純正団』は討伐に向かっていった。
シロの看病をするスミレの元を訪れたのは…
繋いだ手が僅かに動いた気がした。
その微かな変化にスミレは目を覚ます。
だが、そこには期待した笑顔はなかった。
静かに眠るシロの手は温かい。
まるで、起きているようだ。
顔を覗き込んでみた。
少しだけ顔色がよくなった気がする。
今度はその顔にかかる前髪に触れてみた。
柔らかい髪を横にかき分けるとおでこを軽く叩いてみる。
反応はない。
手を頬に移し、両手で綺麗な顔を包む。
なんだか悪いことをしている気になった。
「シロ様。いつもみたいに、怒ってください。意地悪言ってください。…笑って…」
シロの手を握り直したスミレの声が震える。
スミレは気を紛らせようと窓の外を見た。
雨は上がっているようだが、まだどんよりと真っ黒な雲が空を支配している。
自分の心の中のようで余計に辛くなった。
みんなはどうしているだろうか。
急に寂しくなってきた。
ジャスパーは無事だろうか。
クロはあんな傷を負っていて大丈夫なのだろうか。
その時、ためらいがちに小さいノックの音が聞こえた。
誰かが、いい知らせを持ってきたと信じてスミレはドアを開ける。
「あ…スミレちゃん…」
そこには不安そうな表情で立ち尽くすアヤメの姿があった。
「アヤメさんどうして…」
「シロ様が倒れて、スミレちゃんが看病しているって聞いて。街に沢山の吸血鬼が現れたんでしょ?」
「吸血鬼…」
スミレがこの街に来たばかりの頃に襲われた吸血鬼と呼ばれた妖魔の姿を思い出す。
「まさか…街はどうなってるの?」
「『純正団』が全て出払って、さっきクロ様たちが出ていったの!!」
「そんなにいるの?!」
スミレがアヤメに顔を近づけその目を刺すように見つめた。
その剣幕にアヤメは押されながらも、知っていることを話しはじめる。
「ジャスパー…」
街に人を見境なく襲う、あの力を持った妖魔が何体もいる。
アイリスが戻ってこないのは、ジャスパーがまだ見つからないから。
『純正団』が出払うほどだ。
ジャスパーを探す余裕などないだろう。
「探しに行きたい…でも、シロ様をこのまま一人にはしておけない…」
スミレの心が、シロのそばに居たいということと、ジャスパーの心配で引きちぎられそうになった。
あの時、すぐに追いかけて掴まえていれば。
結局この手には何も帰ってきていない。
スミレは自分の手のひらを見つめ俯いた。
スミレの思いを感じてか、もう一人ノックもなしでシロの部屋に入ってくる。
「あら、ここは部外者は立ち入り禁止よ。あ、スミレさん。どお?シロ様の…」
シロの側近秘書のオリーブだった。
スミレはその姿を確認するとすぐに駆け寄りオリーブの前に立つ。
「オリーブさん!しばらくシロ様をお願いできますか…?」
「あなた…まさか、街へ」
「このままあの子を見捨てておけないんです。私も同じだったから…誰かが支えてあげないと…」
そこまで聞くと、オリーブは困った顔をしながらため息をついた。
「シロ様が目を覚ましたとき、言いたいことがあるんじゃないの?」
「それは…」
スミレがまだ固まらない気持ちでいると、オリーブはそれを見透かしたように軽く笑った。
「じゃあ私から伝えておくわ。スミレさんが、戻るまでここにいなさい。って言ってたわよって」
スミレが顔をあげる。
「シロ様、淋しがり屋だから早く帰ってらっしゃい」
「はい!!」
スミレはシロの横に立って、その顔を見る。
「私が帰ってきたら私とジャスパーを叱ってくださいね」
そう言うとシロの部屋を駆け出していった。
スミレの後ろからもうひとつ足音がついてくる。
「私がいかないでどうするのよ。スミレちゃんの指導係なんだから」
「アヤメさん?」
「スミレちゃんと私を守る結界くらいなら作れる。あの子ってジャスパーよね?どうもいないと思ったら…連れて帰るわよ」
眼鏡を光らせながらアヤメがそう言い放つと、二人はそれ以上は言葉もなく城の中を走った。
なぜここの人たちは皆心強いのか。
人のために動けるのか…
それは先頭にたっている人間がそうだから。
シロが自分の命を懸けて、一国を護っているから。
シロの影響力の大きさに今更気づいた。
そして自分も他人のために動いている。
たった数ヵ月なのに、シロは様々なものをスミレに与えてくれた。
だが側にいることさえ出来ない自分に情けなくなる。
必ず帰って感謝の言葉を伝えよう。
何が起こるかわからない。
だが絶対にシロの元に帰ってくると心に決め、二人は闇へと続く長い道を駆けていった。
城の地下道ではない下水道を小さな人影が逃げるように走っている。
流れ込んでいた雨水でその通路は水浸しで、それを踏む音が大きく響く。
そして、小さく何度も呟く。
「これでいいんだ…何もかも終わればいい」
なぜあの場から出てしまったのか。
自分がしてしまったことの重大さに恐怖と後悔の念だけが押し寄せる。
アレは自分が知っている妖魔や鬼などではない。
人が創ってはいけないものだった。
大きな闇。
光の届かない地下でアレは確かに目を開いた。
それを造った者の憎しみが乗り移ったような恐ろしい目。
この国はもうすぐ終わるだろう。
ここを始めとして、世界は終わるのだ。
少年はそれでいいと思っていた。
復讐すべき相手は刺した。
あれが今の自分にできる最大限の結果だと思う。
だからジャスパーにはもう何もない。
どうせなら新しい世界を創る側にいたい。
だがこの国に来て、失いたくないものが出来たのも事実だ。
悲しみを忘れさせてくれた時間が確かにあった。
そして、最後まで自分を信じてくれた人がいる。
みんなを裏切ったのだ。
その全てにこれでいい、と言い聞かせるしかなかった。
だが今はそんな自分が悔しい。
どうにもおさまらない気持ち悪い感情だけが頭の中に渦巻いている。
あの闇の中にはいることが出来ない。
とにかく街の中がどうなっているのか気になった。
世界の終わりはもうすぐそこだ。
長い階段に差し掛かる。
今更自分に何かできるのかわからない。
だがその大きく振る手にはしっかりと刀が握られている。
そして、ジャスパーは出口めがけて一気に駆け上がっていった。
お読みいただきありがとうございます。
シロの元から街へ向かっていったスミレ。無事に悩める少年ジャスパーを見つけ連れ帰ることはできるのでしょうか?
次回はちょっと違った雰囲気でお送りいたします。
更新をお待ちください。