第4幕 何彼の決落
マルス。おまえは真面目すぎるんだ。
真面目すぎるから、許せないことも多いだろうけど。
これが、現実なんだよ。
同じヘスペリデス王国なのに、城と街とその外とじゃ大違いなんだ。
おれには、こうするしかなかった。
こうでもしないと、大事なものを何一つ守れないんだ。おれは、無力だから。
だから、マルス。
おまえは、強く生きてくれ。
おまえはきっと、おれより強い。おれよりあいつを、幸せにしてやれる。
頼むよ、マルス。
おれの分まで、あいつを…マリアナを――――…
◆第4幕 何彼の欠落◆
「デネボラが!? あいつが来たのか!!」
テントの中で眠っていたオレは、王子の叫びに近い声で目を覚ました。隣では親父が、大いびきをかいて眠っている。テントの入り口からさし込んでくる淡い光は、外で“明かり”の術が放っているものだろうか。
「しっ、静かに! 団長とルナータくんが起きるでしょ」
少しの間。オレがあわてて寝たふりをすると、王子とドクターが中を覗いてきたのか、つむったまぶたを通して一時だけ明るくなり、また闇に戻った。
「…とにかく、トゥバンが合流するまで待ちましょう。あいつの言うとおりに動いても…」
「ミラ!」
「落ち着きなさいよ、マルス。…仲間の仇を討ちたいのは、あなただけじゃないわ。わたしだって、トゥバンだって同じなの」
「・・・」
王子は、何も言わない。
オレからは、王子とドクターの声しか聞こえない。だから表情もしぐさも、何一つ見ることはできない。
だけど、「仲間の仇」って…?
「…分かった。でも時間が経っても、不利になるのは俺たちだよ」
「ええ。だからこうしましょう。あと2日、トゥバンの帰りを待つ。そして彼が来てもこなくても、2日経ったら【黒のオアシス】へ侵攻する」
ああ、と王子の頷く声。続くように、ドクターのため息が聞こえた。
「まったく、あなたって本当に頑固よね。そんなにあの父子が気に入ったの?」
「…まあ、そんなトコ」
「なぁにが『そんなトコ』よ。あのマントまでルナータくんにあげちゃったくせしてさ。あーあ」
「何だよ、その言い草は」
「あなたこそ、格好つけたいならよそでやりなさいよ。わたしの前でしたって何にも思わないわよ」
「・・・」
またしても、王子は黙った。どうやらドクターの方が、王子より立場が強いのか口が強いのか…たぶん、両方だろう。何となくだけど。
「じゃ、どちらにしろ明後日の夜明け。父子が寝ている間に、【黒のオアシス】へ攻め入るわよ」
…なっ!
オレは危うく叫びそうだった自分の口を、慌ててふさいだ。
まさか…いやでも、今のふたりの会話を聞く限り間違いない。王子とドクターは、オレと親父を置いて敵の陣地へ乗り込むつもりだ。それも、たったふたりで。
王子は砂嵐のあった日の夜に、「犯人に心当たりがある」と言っていた。しかしそれ以後、心当たりは誰なのか、個人なのか組織なのか、どこにいるのかどんな連中なのか、何を聞いても答えてはくれなかった。「まだ確証がない」と言い張るだけで、教える気がないんじゃないかと思う時もあった。
しかもオレたちに内緒にして、ドクターも犯人のことを知っているようだ。知っててオレたちに教えていないし、教えようとしない。
なんか、すっげ腹立つんですけど。
「ミラ」
「なによ」
「…ごめん」
王子の、不意に放った謝罪の弁。思わずオレは毒気を抜かれた。
ドクターは、口を閉ざした。けれどため息をついて、オレたちに自己紹介したときより優しい口調で。
「わかってる」
と、一言だけ告げていた。
…ふうむ。
「けっきょくトゥバンのやつ、間に合わなかったな」
「変なトラブルが起こってないならいいけど…今、あいつはひとりだものね」
「…まあ、何かあったとしてもトゥバンは生き延びるさ」
「そうね、マルスと違うし」
「どういう意味だよ、ミラ…」
男と女の声が聞こえる。新月に近い下弦の月のせいでいつも以上に暗い夜だ。砂が移動する音が聞き取れるくらい、静かである。
声がだんだん近づき、おそらく足元を照らすために使っている魔道のものであろう光と、ふたつの人影が岩場にうつる。その影が岩の角を曲がった途端、
「うわっ!?」
ふたりは驚いて歩みを止めた。
「ルナータ! 団長!」
「ど、どうして」
仁王立ちするオレら父子の姿を見て、王子とドクターはばつの悪そうな顔をする。
そりゃあそうだろう。オレと親父は、オアシスのテントにおいていかれたはずなのだから。しかも場所は、オアシスを少し離れた東の岩場だ。
「…悪いけど」
オレは息を吐いた。
「全部、聞いてたから」
「・・・」
「何で置いていくんだよ! オレたちだってヘスペリデス国民なんだぜ!!」
「・・・」
王子とドクターは何も言わず、困ったようにふたりで顔を見合わせる。
「…仕方ないわね」
ドクターは、下ろした髪をかきあげた。
今のドクターは、ローブじゃない。アップにしていた長いストレートヘアはおろされ、服装もまるで女神官だ。淡いブルーの下地にさまざまな呪文が縫われ、護符や魔よけのアクセサリーがつけられている。肩からは紺のマントが下げられていて、足元もブーツで保護されている。医者の姿とはまるで別人だ。
ドクターは、ドクターじゃなかったのか? いや、今はそれどころじゃない。話は後でも聞ける。
「おい、ミラ」
「諦めなさい、マルス。この父子、きっと梃子でも動かないわ。…昔のあなたと、同じ目をしているもの」
ドクターは、強く言ったわけではない。圧力があったわけでもない。ただ静かに、でもどこか悲しそうに…微笑んだだけだ。
「王子。ドクター」
親父が、口を開いた。
「おふたりは何か、我らに黙っていることがあるのではないですか」
「そうだそうだ! 蚊帳の外なんてズリーぜ、ふたりとも!」
オレもこぶしを振り上げる。
「わかったわかった。全部話すわ。いいでしょ、マルス」
「…やだっつっても、話すだろ」
わかってるじゃない、とドクターは笑ってから急に真顔になり、オレと親父の顔を交互に見た。
「はじめに言っておきます。…楽しい話には、絶対ならないわよ」
* * * *
オアシスに戻り、王子の術を火種にしてつくった焚き火をオレたち3人は囲んでいた。いつもなら、とっくに寝ている時間。眠くないといったら嘘になるが、今はドクターの話を聞くのが先決だ。
王子はオアシスに戻る途中から、まったくと言っていいほど口を開かない。ぎゅっと一文字に唇を結んで、目線はどこか遠かった。そしてドクターの話が始まる気配を察すると、いつの間にか姿を消してしまっていた。ドクターいわく、思い出したくないのだろうということだ。
「この話をはじめる前に、注意したいことがいくつかあるの」
ドクターの右手の人差し指が、スッと立った。
「ひとつ、さっきも言ったけど楽しい話にはならないわ。人の生死の話もある」
次いで、中指が伸びた。
「ふたつ、他言無用であること。今はわたしたちしかいないけれど、王国が戻ったとき、たとえ王国の重役だろうと漏らさないでちょうだい。わたしとマルス、それにここにはいない仲間が隠し通してきた、5年間だから」
さらに、薬指が並んだ。
「みっつ、これが一番重要なんだけど…降りるなら今、ということ」
ドクターの目が、オレと親父を交互に捕らえた。
「正直、わたしたちにも今後どうなるか分からないわ。最悪のシナリオは、仲間の仇も討てず、王国も取り戻せず、砂漠の鐘を持ったあいつらがこの大砂漠の帝王になってしまうことでしょうね。だけどそうなる可能性もゼロじゃない。むしろ、十分ありえることだわ。今なら話を聞かず、知らないままでいたら、少なくとも奴らに狙われることはない」
ドクターの右手が、静かに下ろされた。
「注意点としては、この3つ。…どうする、聞く?」
何をいまさら、といつものオレだったら軽く流していたであろう質問だった。
だけどドクターのすみれ色の瞳は、真剣だった。ことの重大さを痛感しているからだろう。オレは親父を見上げた。親父はまっすぐドクターを見つめ返していた。
「聞こう」
低いバリトンの声。どっしり構えた親父のその頷きに、オレは近衛騎士団団長という肩書きは伊達ではないことを感じ取っていた。
親父の返事を聞き、ドクターは深く息を吐く。それから顔をあげ、頷いた。
「どこから話したらいいかしらね…」
ドクターが、宙をにらむ。
「…結論から言えば、わたしとマルスを入れて…仲間は5人いたわ。けれどそのうちふたりが、5年前、死んでしまったの。その死の原因になった抗争の相手が、今回の事件の首謀組織よ。少なくとも、私とマルスはそう考えてる」
そして、ドクターは静かに話し始めた。
「わたしとマルスが出会ったのは、5年前の雨季が終わってすぐの頃。マルスが飛行の術の制御に失敗して、うちの庭に墜落してきたの。…わたしにとっての始まりは、その日だったと思う」
それから王子は、ドクターの家へ出入りすることが多くなった。もちろん時間は、王子が寝室に引っ込んでからの夜。
「ある日マルスが、傷だらけになって死に掛けている男を連れてやってきたの。…団長なら、覚えているんじゃないかしら。ヘスペリデス王国が特に危険視していた盗賊団が、あるとき謎の壊滅をした事件…」
「! “ガイア”か!?」
親父が声を荒げた。
盗賊団“ガイア”―――ヘスペリデス王国の中で最大の規模を誇る組織で、当時、王国の兵隊たちも躍起になって追っていた連中だ。けれどある時、王国のあちらこちらで抗争の跡が残され、盗賊団は全滅。首領は死体こそ見つかっていないものの、致死量に近い彼の血痕だけが大量に残されていた。目立つ風貌にも関わらず目撃例すらないまま5年が過ぎ、王国もすでに、首領も含め“ガイア”は全員死亡で幕を引いている。
「その近くを通りかかった時に巻き込まれたみたいでね。よりにもよって、首領がいた拠点の付近だったようで。もっとも、何があったのかは知らないみたいだけれど。その時マルスと一緒に彼を連れてきたのが、“ガイア”壊滅に一躍買った、ツァイって男だった」
通報しろよ、とツッコミたいのはやまやまだが、今はそんな話ではないらしい。ドクターの話の流れに任せることにする。
「その日からよ。彼らがうちに出入りして、マルスと夜な夜な遊ぶようになって…いつの間にか、変な連中がマルスの周りで不穏な動きをはじめたのは」
それが例のキメラたちを造ったやつらよ、とドクターは続ける。
「王子ということに気づかれたか、並外れたルックスをよからぬことに利用しようとしたのか、はたまた魔力の強さに目をつけたのか。それは今でもよく分かっていないの。だけど仲間たちは優秀なボディーガードでね。ことごとく負かされていたみたい。…でも実は、仲間の中には女の子がわたし以外にもいてね」
女嫌いの王子の仲間に、女がふたり。それは王子にとって性別を越えた仲だったのか、それとも―――
「彼女の名前は、マリアナ。…マルスの恋人だった人よ」
一瞬、時が止まった。
王子に恋人がいたなんて初耳だ。あのルックスだし、一般人だったら、いても不思議ではない。けれど、王子は有名になるほどひどい女嫌いだ。それに王子には大きすぎる身分がある。生真面目な王子がそんな一大スクープを許すはずがないのに。
「それだけ、マルスもマリアナに惚れ込んでいたんでしょうね」
ドクターはそこで、一息つく。
「でも、わたしたちが敵対していた組織は…標的をマリアナに定めてた」
焚き火が、パチンと大きくはじけた。
「正確には、最大の狙いはマルスよ。だけどマルスを動かすには、マリアナを手中に収めたほうが交渉しやすい。マリアナは魔導にうとくて、わたしたちの中でも戦闘力が一番低かったから。マルスを守るために戦って、マリアナをかばうように戦って…」
ふぅ、とドクターは息を吐く。
「だけど、いつまでも続かなかったわ。…一番強くて、一番逃げ足が速くて、一番死ななそうなツァイっていう仲間が…マルスをかばって死んでしまったの」
「ツァイ、って…ガイア壊滅に一躍買ったほどの男なんだろう!?」
親父の叫びに、ドクターは静かに頷く。
「ツァイを亡くしたわたしたちの動揺を突くように、連中は押し寄せてきた。わたしたちは…」
ドクターの表情は、何も感じ取らせない。しかしその両手は、ぎゅっと強く強く握り締められていた。
「わたしたちは、マリアナも守れなかった…」
「あの日から、マルスは変わった。…いいえ、マルスだけじゃないわね。わたしも、神官をやめてしまったし」
自嘲気味に弱々しく笑うドクターに、オレは眉を顰める。
「神官?」
「わたし、もとは神官だったのよ」
この服を見ればわかると思うけど、とドクターは付け足す。
「でも仲間を失って、神官でいられなくなってしまったの。…神を、信じることができなくなってしまったから」
神官は、神に仕える職業だ。神と人をつなぐ仕事。その人が、神を信じなかったら…。
「だって5年前の当時、わたしはずっと必死になって祈っていたんだもの。でも結果は…ああだった」
ドクターは大きく息を吐いた。
「わたしは神を信じない。願っても信じても、奪われるときは奪われる。神なんて助けてくれやしないわ。教えなんて、ぜんぶ嘘っぱちよ。だからわたしは、神官をやめた。代わりに医者になった。だけどその道すら、外れようとしているわ。…いえ、もうとっくに外しているかもしれないわね」
医者は誰かを救う者。だけど彼女は、他人を倒すことを決めている。
大事な仲間を奪った、憎い連中を。
「でもそれは、わたしが自分で決めたこと。神官としても医者としても最低だわ。わたしに、人を助ける資格なんてないんだもの。今の格好だって別に、医者を捨てて神官に戻ろうとしているわけじゃない。これがわたしの戦闘着なの。神官でも医者でもない、ミラ=ウェイル個人になるための」
「・・・」
「マルスだって…別に今の姿が本性で、王子様の姿が偽りだってわけじゃないわ。5年前のあの瞬間まで、マルスはずっと敬語だったし、誰かを傷つけることにすごく臆病だった」
何度言っても敬語が治らなくてね、とドクターは苦笑する。
「だからどっちもマルスなのよ。ただ、今の姿は…戒めもあるんじゃないかって、わたしは思ってるわ」
「いましめ?」
「マルスはずっと、仲間ふたりの死は自分のせいだって思ってる。…ツァイが生前、よくマルスに自分の喋り方を教えようとしていてね。当時は絶対やらなかったんだけど、あの事件以来、一人称も口調もがらっと変えてきたの。まるで、ツァイを忘れるなって、自分に言い聞かせているみたいで…初めのころは、見ていて辛かったわね」
「悪かったな、見苦しくて」
何だか久々に感じてしまうその声に振り返ると、いつからそこにいたのか、王子がオレと親父の後ろに立っていた。
王子はオレとドクターの間に腰を下ろすと、話は終わったか、とドクターに尋ねる。彼女が頷いたのを確認してから、
「【黒のオアシス】のことなんだけど…」
その言葉を聴いて、ドキッとする。
さっき引き止めたものの、王子とドクターが行こうとしていた敵陣だ。
「俺とミラは、明日、そこに乗り込むつもりです」
王子の視線は、焚き火に向いていた。
だけど、わかる。王子は親父に、どう行動するつもりか確認しに来たのだ。親父が何と言おうと、自分は勝手に敵陣につっこんでいくと。そのうえで、あなたはどうするんですか、と。
もちろん親父も、そのことは分かっている。大きめのため息をひとつつくと、
「何度も言わせて頂きますが、あなたの行き場所が、私の目指すところです。王子」
王子はその答えに、一瞬だけ、複雑そうに微笑んだ。
ドクターから重い話を聞かされた翌朝。オレたちは王子とドクターがふたりで行くはずだった敵のオアシスに、並んで立っていた。4人で話し合った結果だ。
本当は、戦術を持たないオレだけ置いていかれるはずだった。だけどオレはひたすら食い下がり、「置いていって下手な行動されるより、連れて行って多少の足手まといになったほうがマシだろ」の言葉で3人は折れた。本当に何をやらかすか不安になったらしい。主に親父が。
もっともオレは、足手まといになるつもりはない。オレだって何か、役に立つことがあるかもしれない。小さな穴にもぐりこむとか。
・・・。
なんか言ってて悲しくなってきたから、やめよう…。
「ほう。思ったよりも早く来たな」
聞き慣れぬ声がしたかと思うと。
オレたちを取り囲むように、砂が盛り上がった。地面から現れたのは、モグラみたいなキメラたち。しかし、
『掘れ!』
王子が、察していたかのように術を放った。
オレたちを円の中心にして、ドーナツのように砂が地面に飲み込まれた。それによって出来た穴に、キメラたちは埋まった。
『大地隆起!』
王子の術が発動するより少し早く、ドクターは両手を地面につけ、キメラたちが穴に埋まったところで呪文を放った。
砂が波打ち、あと一歩まで来ていたオアシスへ向かいだす。そして地面に触れると同時に、大地が突然、大きく揺れた。大地は波立ち、新たに迫っていたキメラの集団を吹き飛ばす。
うわわわわ! こ、このふたり手際よすぎだよ!!
けれど気づくと、隣にいたはずの王子の姿がない。あれ? と思っている間に、
『魔力剣!』
埋まったキメラたちを乗り越えて、王子は腰の剣を抜く。
キン!
王子の剣と、男の錫杖がかみ合った。
いつの間にか、黒尽くめの男がひとり、そこに立っていたのだ。闇色の神官服に同色のマント。年は王子たちより三十路に近い。ボサボサに散った髪の、目つきの鋭い男だ。
「剣の腕はなまっていないようだな」
男が不敵に笑う。この声、さっきキメラたちを呼んだ声だ。
「だが、相変わらず詰めが甘い」
鍔迫り合いをする王子の後ろに、細身のキメラが砂から現れた。
「マルス!!」
術を放ったばかりでフォローできないドクターが、気づいて叫ぶ。
「王子っ!」
ドクターにかけてもらった魔力剣で、キメラのツメを受けながら、親父も声をあげる。
「ちっ!」
王子は振り返りざま、キメラを横なぎにする。
キメラは倒した。だけど、それまで向かい合っていた相手は。
「ほらな。昔から、おまえは隙だらけだ」
後ろから、男が王子の首を錫杖で捕らえていた。
「王子!!」
オレが叫ぶと、
「ああ。そういえばガキがひとりいるらしいと聞いてるな」
男はちらりとオレを見て、どうでもよさげに呟いた。
むかっ。
「ガキだからってバカにすんなよ! てめー王子に何してんだ、離せよ!!」
突進しようとしたオレは、親父にあっさり捕まった。
しかし王子とドクターは、表情に余裕がある。ドクターは小さく息を吐き、
「マルスもまた、ずいぶん元気な子を見つけてきたもんね。…さて、と」
そりゃオレのことかよ、ドクター!
彼女は視線をオレから男に戻した。
「この前は聞きそびれてしまったけれど。…今更、わたしたちに何の用かしら? デネボラ」
デネボラ。ドクターは黒尽くめをそう呼んだ。その名前は一度だけ、聞き覚えがある。あの、王子とドクターがふたりだけで攻め入ろうと相談していたとき。あいつが来たのか、と王子が異常に反応していたんだ。
「聞くまでもないだろう、女神官」
デネボラは、王子の髪の束に左手をかけた。
こいつ、ドクターが神官だったことも知ってるのか!?
「俺たちの狙いは初めからずっと、ヘスペリデス王国の第一王子マーディルスだ」
「…なら、残念だな」
平然と王子は言い放つ。
けれどオレと親父は、おかしいと気づいた。
違う。王子の声じゃない。王子の声は、こんなに低くない。もっと、耳に心地よい声だ。今の声は、オレの知らないものだった。
「何?」
デネボラも、気づいたようだ。途端、
『炎よ!!』
デネボラの足元が、急に燃え上がった。デネボラは素早く跳びよけたが、そのせいで王子とも離れてしまう。
「貴様ら…入れ替わっていたのか!」
「残念だったな、デネボラ」
声のほうを振り向くと、オアシスにそびえていた大岩の上に人影があった。
服装こそいつもと違い、ライムグリーンのマントに黒い貫頭衣だが、右手に炎を宿らせこちらを見下ろしていたのも、…王子だった。
えええ! 王子がふたり!?
「おまえには、聞きたいことが山ほどあるからな」
声が違う方の王子が、自分の顔の触れる。すると、ぱきんっと音を立てて崩れ落ちてしまった。その下から現れたのは、少々女顔な男の表情。左の頬にある大きな傷が女顔を半減させている。
その手でマントの中から小さなビンをひとつ取り出し、中の液体を頭にかける。じゅう、と音を立てて彼の髪色は、金から若葉色へと移る。長かった髪も引っ込んで、短く刈られた髪型に変化した。
「洗いざらい吐いてもらうわよ」
ドクターも、デネボラをにらみつけた。
その間に王子も岩から降りてきて、3人がデネボラを取り囲む形になった。あのー、すいません。すっかり状況に置いてけぼりなんですけど。
「答えろ、デネボラ。“砂漠の鐘”を、どこへやった」
剣を抜き、切っ先をデネボラへまっすぐ向けて。王子は、デネボラに詰め寄った。
「鐘? …ああ、砂の動きを支配するっていうあれか」
「やっぱり犯人は、あんたたちだったのね」
ドクターの言葉に、デネボラは、ほう、と片眉をあげた。
「気づいていたのか。証拠は残さないようにしていたつもりだが?」
「城や国のやつらならともかく、俺たちが気づかないとでも思ったか?」
偽王子が、デネボラをにらみつけた。
「いくらヘスペリデス城が開かれた城であるといっても、鐘のある部屋まで行けるのは王族とその側近だけだ。しかも騎士団や魔導士が集中し、おれたち3人も目を光らせていた。そんな中に入り込めるのは、おまえらくらいだろう」
「お褒めに預かり光栄だな。だがおまえはひとつ、間違ってる」
デネボラは、右手の人差し指を1本立てた。
「おまえらふたりが目を光らせていたのは、おれたちに対してじゃない。王子に対してだろう」
「・・・」
「こいつは目を離すと何をしでかすか、分かったもんじゃないからなぁ。5年前のように、な」
「黙れ、デネボラ」
押し殺した王子の声が、鋭く通った。
「あんたの揺さぶりは、もうじゅうぶんよ」
ドクターは、吐き捨てるようにそう言うと、一歩デネボラに踏み出した。
「もう一度聞くわ。“砂漠の鐘”はどこ?」
「砂漠の鐘か。今回のおまえらの狙いはそれだったな」
ニヤ、とデネボラは嫌な笑みを見せた。
「鐘ならお上が持ってるぜ。おれは盗んだだけだ。…それより」
自分を囲む3人を見回し、余裕の口調だ。
「5年ぶりに、勝負しようぜ。マルス=アルカス」
錫杖の先に立つ王子の額に、青筋が1本、ビキ、と立った。
この男、王子の怒りのツボをよく知ってるみたいだ。一言一言、いちいち王子の神経を逆なでしている。残念ながらオレには、どうして王子が怒るのか分からないんだけど。
「ダメよ、マルス! 挑発に乗るんじゃないわよ!」
ドクターが声を荒げた。
しかし。ざわり、と辺りの空気が急に動いた。
「どうした、ルナータ」
辺りを見回すオレの様子に、親父が尋ねてきた。
親父は、感じなかったのか? 今の変化を。
『風の矢!』
偽王子の放った術がこちらに飛んできて、砂から現れたキメラを瞬殺した。オレたち父子を取り囲む形で、キメラの群れがまたやってきたんだ。
『爆風!』
『清めの気!』
偽王子とミラの姉貴、そして魔力剣を剣にかけてもらった親父の3人は、倒しても倒しても湧いてくるキメラたちを相手取る。その間に王子とデネボラは、一騎打ちになっていた。
キン! と金属音を響かせ、王子の剣とデネボラの錫杖がかみ合った、一時だけ鍔迫り合いをして、すぐはなれる。
しかし王子はまた、デネボラへふみこんだ。横薙ぎにした剣をデネボラは、錫杖で受ける。その腹に王子の蹴りが飛ぶけれど、後ろへ跳んでかわし、錫杖でつくった軌道に王子の剣筋をのせる。王子はそれを上回るスピードを剣にのせ、また大きく前に出る。
いつだったか、親父が言ってた。「剣の太刀筋には、使い手の性格が出る」って。王子の太刀筋は、凄く攻撃的だ。防御は最低限しかしていない。攻撃は最大の防御、を地で行く戦い方だ。守りをそのまま攻撃に転じている。
デネボラは立てた錫杖で、王子の袈裟斬りを受け止める。
「相変わらず攻撃的な剣だな。そんなに俺が憎いか」
そう、告げた途端。
王子の目が、変わった。
例えるなら、獲物を見つけたときの飢えた肉食獣だろうか。ギラギラ光る紅い瞳が、炎のようにゆらゆら揺れる。
「マリアナとツァイを奪った俺たちが、そんなに憎いか」
ふたりがまた、距離をとる。
「それとも、ふたりを守れなかった自分が憎いか」
デネボラの突きを、王子は剣で軌道をかわし、デネボラの懐にもぐりこむ。
「いや、憎いのは助けてくれなかった仲間たちか」
デネボラは錫杖の柄を、懐に来た王子に向ける。王子はそれを肩越しに、剣で受けた。
「違うな。おまえが本当に憎んでいるのは、この世界だ」
デネボラは、王子の腹を蹴り飛ばした。
王子は反転して威力をころし、剣をデネボラへ突き刺した。剣先は刺さりこそしなかったが、デネボラの白い頬に赤い筋を1本つけた。
「マリアナやツァイをおまえと引き合わせ、戦わせ、王子という身分に縛り付ける、この世界」
―――わたしたちは、守りきれなかった…。
「おまえの憎しみは、世界に向いているだろう」
頬を伝った赤い血をひとなめし、デネボラは不敵に笑った。
王子の顔が、カッと赤くなった。さっき以上の速さで、デネボラに斬りかかる。攻防一体、なんてもんじゃない。今の王子は、完全に守りを捨てていた。
デネボラの錫杖が自分をどう傷つけようが、知ったこっちゃないようだった。王子はただただ、剣を振るう。そのうちデネボラは防戦一方になってきた。
ガキン! 噛み合ったとき、嫌な金属音が耳を突く。デネボラの手から長さの半分となった錫杖が離れ、足をとられて仰向けに倒れこむ。
やった、王子!
そう、駆け寄ろうとしたんだ。本当は。…だけど。
デネボラはすぐに、身を起こそうとした。しかし王子は、王子の剣で刺されたデネボラの赤黒く染まった肩口を、ガツッ! と蹴りつけた。
その、デネボラを見下ろす王子の顔が、あまりに怖くて。オレは、出しかけた足が止まった。いつもの、優しい王子じゃない。いたずらっ子みたいに笑う顔じゃない。ふてくされた子どもみたいな表情じゃない。それは、オレの見たことのないもので。
王子は、デネボラを―――殺す気だ。
「…しばらく会わんうちに、剣筋が変わったな」
額に脂汗をうかべ、デネボラは告げた。
「その剣は、…人を殺したことのある剣だ」
「だったら、何だって言うんだ」
しかし王子は、デネボラの言葉に動じなかった。
王子…
否定、しないの?
何で、そんな顔ができるんだ?
王国が、砂の下に埋もれてしまって。家族も友も生活もすべて奪われて。
その代わりに、王子と出会った。
この短い期間でオレは、王子が大好きになっていた。
憧れて、懐いて、兄のように慕っている。
でも今は、王子が恐ろしい。
まるで知らない人みたいで、怖かった。
「正直、今すぐここで貴様の首を飛ばしてやりたいさ」
チャキ、と王子は自分の剣を、デネボラの首筋に当てた。
「…だがまだ、訊かなきゃならないことがあるからな」
いつの間にか、周りのキメラたちは倒されていた。
ドクターと偽王子は、しまった、という顔でふたりを見ている。親父は信じられぬ光景に、わが目を疑っている。オレだって親父と一緒だ。
「5年前のこと。マリアナとツァイのこと。“砂漠の鐘”のこと。…おまえらの目的も、黒幕のことも、全部だ」
「―――マルス!!」
突然だった。
偽王子が王子に、タックルをかましたのだ。不意打ちだった王子は吹っ飛ばされる。しかし偽王子の二の腕が急に裂かれ、鮮血がほとばしる。
「トゥバン!」
ドクターが叫んだ。どうやらそれが、偽王子の名前らしい。
何が起こったのか、オレにはさっぱりだった。その間にデネボラは大きく跳び、距離をとる。
「っはは、惜しかったな」
赤く染まった自らの肩口を押さえ、デネボラは笑う。
「ここまでおれを追い詰めた褒美だ。黒幕を教えてやろう」
「名は、『アンタレス』。―――マーディルス王子なら、知ってるんじゃないか? その名を」
『爆風!」』
ドクターが放った術は、デネボラを守るように出現した黒い壁に阻まれる。それが消えてなくなったとき、デネボラの姿はもう、どこにもなかった。