第1幕 砂漠の王国(1)
大きな砂漠の真ん中に、丸く円を描くように広がるオアシス。
それを囲うようにそびえ建つ城と、そのまわりをもうひとつ円で囲った城下町。
それが砂漠の王国、ヘスペリデス王国です。
ヘスペリデス王国は、平和な国です。豊かなオアシスで腕の良い国王陛下が、私たちの生活を守って下さっております。
そして我らが王国の第一王子、そのお名をマーディルス=アルカス=ヘスペリデス様とおっしゃいます。
マーディルス王子様は金髪紅目の清廉なお顔で、お優しく、仕草もやわらかく、けれど決して女性らしいわけではないのです。
すらりとお背は高くて、落ち着いた物腰のそのお姿は、世の女性すべてが憧れる王子様であります。
金の糸のような長いその御髪を……。
オレはそこまで読んで、拾ったパンフレットをぐしゃぐしゃに丸めた。
どうせこれも、マーディルス王子という超がつくほどの高嶺の花に恋焦がれるどこぞの女性が、書いたものなんだろう。大概のパンフレットはこんなもんだ。
オレは丸めたパンフレットを近くのゴミ箱に捨てると、大きなヘスペリデス城を見上げた。ヘスペリデスはそれなりに大きな王国だが、多少離れた街でも晴れた日にはこの城も見えるという。とはいってもオレは城のある城下町に生まれ育ったから、そんな離れた街に行ったことなんてないんだけど。
ったく世の女どもめ、マーディルス王子マーディルス王子とうるさいぜ。わざわざ隣の砂漠からやってくる女もいるっていうんだから、その人気は確かに凄い。でもさ、男って顔だけか? 城でぬくぬく育っただけの男に力があるか? やっぱ男は、腕っ節だろ!?
って、若干12歳のオレが言うのも何だけど。
さて、と。オレは右肩にかけたショルダーバッグを、左手でぽんと叩く。この中には親父に届ける弁当が入っている。母さんに頼まれて、届ける最中なのだ。まったく、忘れるなんて親父もマヌケだよ。
◆第1幕 砂漠の王国◆
ヘスペリデス城は王国としては珍しく、開かれた城だ。国民の声を直接聞こうという国王様のお考えらしい。兵隊は城内にいるし、城の見回りや門番もいたりするけど、出入りするのに止められたことはほとんどない。他国の王族や重役といった、お偉いお客様が来ているときくらいだろう。
オレはいつものように、堂々と正面から、正門へと駆け寄った。
「門番さーん!」
城門には、いつものふたりが門番で立っていた。クールな人と、陽気な人。てんで反対な性格してるけど、1日ここに立っててケンカとかしないのかな?
少し話をして通してもらうと、兵の詰め所へ向かった。詰め所へ行くには裏庭を通り抜けるのが近道だ。オレは城の中へ通じるまっすぐの石畳をはずれ、メイドや兵が使う勝手口のある、城と城壁の間へと滑り込んだ。洗濯中のメイドや食事の用意をするコックたちに挨拶しながら、奥へと進んでいく。その先は裏庭になっていて、小さなオアシスがある。やしの木が1本だけ生え、うっすら草花の気配もある。このオアシスを通り過ぎて、さらに城をぐるっと回れば親父のいる兵の詰め所だ。
裏庭を通ると、やわらかい風がふわりと肌をなでた。砂漠の王国なのに、湿気を含んだ空気である。変だな、と違和感に顔を上げると、白い空が見えた。ああ、雨季が近づいているんだな。
その視界にふと、金色がちらついた。そちらへ焦点を合わせると、そこは2階のバルコニー。立っていたのは…マーディルス王子だった。
ちらついた金色は、王子の髪だった。肩までかかる長い髪はうなじの辺りでひとつに結ってあって、少し勿体無い気がする。金の糸のような髪は太陽の光を反射し、砂漠の民の証ともいえる褐色の肌と、見事といえるまでのコントラストを見せていた。オレが見ても庶民とは質が違うと分かるきらびやかな服と、青の下地に金や銀の刺繍がなされ、大小さまざまな装飾品があてがわれている。肩から下がったマントも、かなり凝ったデザインがされていた。
オレ自身、王子を見たのは実は初めてだ。年は確か22ということだったけれど、滅多に人前へ出ては来ない。自身や国王様の誕生日、あとは新年くらいである。それも、全部に出席するわけではない。それでもすぐに、この人が噂のマーディルス王子だと分かる。それほど、人目を惹きつけるのだ。
女たちが騒いでいるのを、何をこのミーハーたちはと思っていたが、改めなければならない。こんなキレイに整った男を、今まで一度も見たことがないのだから。
けれど何よりオレの目を留めたのは、彼の表情だった。大事に大事に育てられ、温室…いやむしろ無菌室しか知らないであろう男の顔には、見えなかったのだ。
遠くを眺めるその瞳はうつろで、何も見ていないようだった。絶望に慣れてしまったような顔だった。その姿は儚げで、今にも霧に溶けて消えてしまいそうだ。
…と、こんなことを考えてついつい凝視していたせいだろう。視線を感じたのか、王子がこちらを向いたのだ。
ぎく、と思わず身体をこわばらせる。けれど王子はふわりと。そう、ふわりと微笑んだのだ。
「こんにちは」
高すぎず、低すぎず。耳に心地の良い声だった。
オレは、慌てて辺りを見回した。裏庭にいるのは、オレひとり。間違いない。オレに声をかけているのだ。
「こ、こんにちは」
オレはかなり緊張して挨拶した。うわあ、本物の王子様だよ!
「ひとりですか?」
そう尋ねてくる彼の目は、もう虚ろじゃない。優しい王子様の顔だ。
「は、はい。親父…じゃない、父の忘れ物を届けに」
「お父上?」
「近衛騎士団団長の、イオ=サテライトです」
「ああ、団長の息子さんですか。・・・」
呟き、そこで気づいたように、
「申し遅れましたね。私はマーディルスという者です」
「あ、オレはルナータです。ルナータ=サテライト」
「よろしく、ルナータ」
微笑んで、そこでふと王子は何か考えたようだ。ややって、
「忘れ物を届けた後、予定はあるのですか?」
え。オレのこと?
オレは、首を振る。すると王子はまた、微笑んだ。
「それなら、私と少し話でもしませんか?」
思いがけない話に、オレは目を丸くして固まった。
「このような閉鎖された空間にいると、退屈なのです。国民の、子どもの話を聞かせては貰えませんか」
むろんオレが、一も二もなく了承したのは、言うまでもない。
「おおー! 助かったぜ息子よ!!」
弁当を届けると、太い黒髪をザックリ切った大柄なオヤジに抱きしめられた。ぐえっ、苦しいぃ。
臙脂色のマントを肩に巻きつけるように下げ、白い騎士団の制服の胸には長である証のエンブレムが輝いている。そして腰には、両刃の剣が下げられている。これが親父だ。このヘスペリデス城で、近衛騎士団の団長を勤めている。
「よし、おまえ今日も剣見てやるぜ。闘技場に来い来い!」
職権乱用も甚だしいけれど、オレがおつかいを大人しく受けるのは、これが目的であったりもする。いつもは喜ぶのだけど、今日ばかりは都合が悪い。
「悪ぃ、今日は先約入ってんだ」
「何ぃ、親父より大事な約束だと!? さてはオメェこれだな!?」
ンなわけねぇだろ、オレまだ12だぞ。
小指を1本立てた自分の父親に、オレは呆れ顔を見せてやった。
「マーディルス王子だよ」
言ったとたん。
詰め所の時が一瞬、止まった。
…え、何!? オレ何か悪いことでも言った!?
「マ…、マーディルス王子だとー!?」
どよどよッ! と、親父の絶叫を境に、周りがどよめきだす。
「ルナータ! おまえなんで…知り合いなのか!?」
「や…、さっき裏庭を抜けたとき、バルコニーに王子がいてさ。親父の忘れもの届けた後でいいから、ヒマなら話に付き合ってくれって」
「バカ野郎!」
なぜか怒鳴られた。
「おれの忘れ物なんかどうでもいいんだよ! そういう時はすぐにお相手してさしあげろ! おまえ、それがどんな凄いことか分かってないな!?」
胸倉をつかまれ、親父にガクガク揺さぶられる。
「王族の方々はな、おれら騎士団ですらなかなかお近づきになれない方なんだ! 特に王子は公の場はもちろん、城の中でも滅多に人前に現れないし、それでもほとんど人と話そうとはなさらないんだぞ!!」
え、そ…そうなの??
「団長――――ッ!!」
ひとりの騎士が慌しく駆け込んできて、オレはやっと親父に解放された。彼に目を向けたのは親父だけではない、オレら親子の様子を見守っていた騎士団のみんなもだ。
彼の様子は、何かがあったと明らかに物語っていた。詰め所の入口を壊れるんじゃないかって心配したくらい乱暴に開け放ち、全力で走ってきたようで息も荒い。
「どうした?」
親父はまっさきに、飛び込んできた彼に声を投げかける。表情は真面目だけれど、自分の息子はまだしっかりと破壊締めにしたままである。こら親父、マジメな話をするならまずオレをおろせ!
「北北西の方角より、超巨大な砂嵐が迫っています! まっすぐ王国へむかってきていて…まず間違いなく直撃します!!」
そのセリフを裏付けるように、非常用の警鐘が鳴り響いた。
「ルナータ! おまえは家へ帰れ!」
「でも、親父!」
「母さんとリアを守れ、兄だろう?」
「う…わ、分かった…!」
オレが走り出すと、街はもう半分パニックだった。オレの太くてかたい短髪も、服のすそも、激しくたなびいている。見上げると大きな渦となった砂の塊が、すぐ目前まで迫っていた。
速すぎる。
大きすぎる。
オレはもちろん、この王国に住むほとんどの人々は砂漠生まれの砂漠育ちだ。砂嵐だって、すでに何度も体験済みである。けれどこれは、その記憶にあるそれのどれとも違った。速さも大きさも、尋常じゃない。
オレの中に、今まで感じたことのない恐怖がのし上がってきた。やばい。本能的に、感じたのだ。オレは、走った。
母さん!
リア!
親父!
みんな…!!
そのときオレは耳に優しい声を聞いた、…ような気がした。
―――ルナータ!
視界の奥で、辺りが砂に巻かれていくのが見えた。きっとこの光景は一生、忘れることができないだろう。
そしてそこで、オレの意識はぷっつりと途絶えてしまった…。