8話:我が子に、剣を示す者を
王都キャスロームが見えたとき、私は息を吐いた。
遠くそびえる城塞の白壁と、そこに連なる無数の尖塔。
高く掲げられた王国旗が、朝靄を切り裂くように揺れている。
変わらぬ景色だが、私の胸に去来する思いは、かつて騎士団長としてこの地を駆けた頃とはまるで違っていた。
門を越えた瞬間、かつての記憶が甦る。
戦場からの勝利の凱旋、数多の報告書、剣の稽古、死地から帰還した者たちの涙。
……そして、あの頃は、まだノクスが目を輝かせて私を見ていた。
「……エルヴァント卿! まさかお一人でここまで⁉」
声に振り返ると、門番の青年が驚きと緊張を浮かべて立っていた。
彼――ミルドは、私の騎士団長時代を知っている者だ。かつて命を預かっていた部下の、まだ少年の面影を残す顔に、懐かしさとともに時の流れを痛感する。
「久しいな、ミルド。見ての通り、一人だ。通っても良いかな?」
「お久しぶりです! エルヴァント卿こそ、お元気そうでなによりです! どうぞお通りください!」
私の言葉に、ミルドは深く頭を下げ、通行を許可してくれた。
人々の活気と市場の喧騒をすり抜けるように、私は馬を進めた。
向かうは、王都の貴族街。その一角に構える、重厚な石造りの館――ネストハイネス侯爵家の本邸だ。
衛兵に名を告げると、驚かれるもすぐに通された。
待たされることはない。かつて私の部下であり副騎士団長だった。現在は私の後を継ぎ、王国騎士団を率いる男――アルフォンス・ネストハイネス。
彼は私にとって戦友であり、友であり、信頼できる人物なのだ。
案内された応接の間には、変わらぬ佇まいの男がいた。
長身。整った金髪と、静かな蒼の瞳。騎士としての威厳と、父としての包容力をその身に宿した男が、窓辺から私を振り返る。
「……レイモンド卿!」
声が弾む。喜色を隠しきれぬ様子に、私の唇も自然と緩んだ。
「ご無沙汰しております、侯爵閣下」
わざと堅く言えば、彼は渋い顔をして笑う。
「やめてくださいよ。昔のままに『アルフォンス』と呼んでください。私はあなたの副官だった男ですよ?」
「もう騎士団長は貴殿だ。……時代は変わった。しかし……今、この場ではアルフォンス殿と呼ばせてもらうとしよう」
そう言いながらも、胸の奥が温かくなるのを感じた。
互いに近づき、がっしりと手を取り合う。剣ではなく、心で通じた友との再会。
その握手は、言葉以上に、今の私に力を与えてくれる。
「して……今回は、ノクスくんのことで来たので?」
彼の問いに、私は黙って頷いた。
重い椅子に腰を下ろし、私は静かに語り始めた。
二年前の病――星盲症。絶望に沈んだ日々。
誰の声も届かぬ闇の中で、絶望を乗り越えた息子。
そして、先日の朝。再び木剣を握り、前へと進もうとする、あの誇らしい背中。
「……馬鹿な話だと笑ってくれて構わない。だが、あの子は……見えぬ世界の中で、再び夢に向かって剣を振ると決めたのだ」
言葉にした瞬間、胸が震えた。
口にすることで、それがどれほどの重みを持つ誓いだったかを、改めて理解させられる。
アルフォンスは、黙って耳を傾けていた。
やがて、彼は深く息を吐き――ふ、と優しく笑った。
「……それでこそ、レイモンド殿の息子です。いや……あの子は、あなた以上かもしれませんね。見えぬままに剣を握るなど、常人には到底できぬことです」
その言葉が、少しだけ、私の胸を軽くした。
だが……。
「問題は、ここからだ」
私は声を落とし、そして静かに告げた。
「私は、あの子に剣を教えることができない。視えぬ者に剣を示す術を、私は知らない。……だから、私はここへ来た」
アルフォンスの蒼の瞳が、静かに細められる。
その眼差しは、軽々しく言葉を返さぬ者のそれだった。
私は続ける。
「この王都には、数多の剣士がいる。だが、盲目の少年に剣を教えられる者がいるかと問われれば……きっと存在しないだろう」
言葉の奥には、切実な焦りと、どうしようもない無力感があった。
誇り高き騎士として、一人の剣士として、父として、私は今――助けを乞うために、ここにいる。
……そして、私は信じていた。
彼ならば、答えに近づく鍵を持っているかもしれないと。
「……何か、情報はあるか?」
私の問いに、アルフォンスは沈黙した。
椅子の背にもたれかけ、蒼の瞳を天井の彫刻へと泳がせる。
その姿は、言葉を探しているというより、記憶の底に沈んだ何かを引き上げようとしているかのようだった。
静寂が、部屋を包む。
時間にしてわずか数十秒。しかし、その間に私の胸をよぎったのは幾つもの可能性と、幾つもの絶望だった。
この世界には、視えぬ者に剣を教えられる者などいない。
それはお伽噺であり、幻想だ。私はそう言われる覚悟をしていた。
だが、彼は違った。
「……一人だけ、思い当たる人物が」
その声は、低く、慎重に絞り出された。
「本当か⁉」
私は思わず身を乗り出した。
アルフォンスの表情に、冗談や慰めの色はなかった。
彼はまっすぐに私を見据え、口を開く。
「名はたしか……ゲンサイ」
その音の響きに、私は初めて聞くはずの名に、どこか鋭利な刃のような感触を覚えた。
「東方の島国――遥か極東の地から来たという、剣士です。齢はすでに八十を超えているとか。だが、剣の腕は未だに衰えぬどころか、むしろ老境に至ってなお研ぎ澄まされていると聞きました」
「……東方?」
私は眉を顰めた。
その地域には、かねてより『侍』と呼ばれる異質な戦士たちが存在すると聞いていた。
だが、それは旅の詩人が語る伝承のようなもので、実在の人物として目にしたことはない。
だが、アルフォンスの語気には確信があった。
「彼は──隻眼の剣士です」
その一言が、胸に深く刺さった。
「片目を失ってなお、剣を振るう。いや……“片目を失ったからこそ”、辿り着いた境地があるのでしょう」
「……片目が視えぬ世界の中で、戦い続けてきた男、か」
私は無意識に呟いた。
それは、ノクスの歩もうとしている未来の、ひとつの可能性だった。
「その者は今、この国にいるとか。どこかの村か、辺境に身を置いているとも……それでも、探す価値はあると、私は思います」
静かに、私は頷いた。
その名前すら定かではない、東方の隻眼の老剣士。
だが。
「……一縷の希望だ」
私はそう呟いた。
かつて幾多の戦場で、絶望のただ中に光を見出したように。
今、この名も知らぬ剣士が、ノクスにとっての“道”となる可能性があるのなら。
私は、行く。たとえそれが、どれほど険しい道であろうとも。
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次の更新は夜の19時10分、20分、30分の3話投稿になります。
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