35話:絶望の中で見る蒼き光〈上〉
遂にクライマックス!
あの頃の私は、剣の重さよりも、冠の重さに押し潰されそうになっていた。
王女として生まれた以上、求められるのは礼儀作法、言葉遣い、政治の理。
けれど、私は机の上の言葉よりも、庭に吹く風を裂く刃の音に心を奪われていた。
まだ十にも満たない頃、初めて剣を握った日の感覚を、私は今も鮮明に覚えている。
柄を握る掌は小さく、重みに耐えられず膝をついた。
師範は冷ややかに言い放った。
——姫様、剣は玩具ではございません。
その言葉に、唇を噛んだ。
私は王女として甘やかされるつもりはなかった。むしろ誰よりも強くならねばならないと信じていた。国を背負う者こそ、民を守る剣であるべきだと。
だから私は倒れても立ち上がった。
腕が痺れても、足が震えても、決して剣を手放さなかった。
師範の眼差しが厳しければ厳しいほど、胸の奥に小さな炎が灯っていった。
やがて、その炎は私の生き方そのものになった。
同年代の子供たちが遊んでいる時間、私は汗に濡れた稽古場で木剣を振っていた。
勉学の合間に眠気と闘いながら、戦史や政略を読み込んだ。
王女としての私と、剣士としての私。その両方を貫かねば、どちらも本物にはなれないと、幼いながらに思い詰めていた。
けれど、心の奥底では迷いもあった。
——剣に生きる私を、父は誇りに思うだろうか。
——王族である私が血を流すことを、母は望んでいないのではないか。
迷いを振り切るように、私は剣を振った。剣を振るたび、碧い空が揺れて見えた。
あの時から、私にとって剣は“自由”であり“責務”であり、そして“祈り”でもあったのだと思う。
そうして年月が経ち、学園に入ってからも私は常に上位に立ち続けた。
それが私の責務だと思っていたから。
努力が才能を追い越し、やがて才能と呼ばれるものに変わっていった。
——王女である前に、一人の剣士でいたい。
その願いだけは、変わらない。
弱さを見せず、誰よりも、強く。
だというのに、私は震えていた。
足先から胸の奥まで、震えが順々に伝播していくのを感じながら、どうしても動けない自分を責めていた。
いや、責めるというよりも、自分の無力さに罰を与えているような感覚だった。
地面から伝わる冷たさが、剣の柄を握る手の震えをいっそう際立たせる。
ノクスが隣にいるのに、私はその存在を助けることができなかった。
何度自分に問いかけても、答えはいつも同じで、喉の奥に刺さる小さな痛みになるだけだった。
「なんで私が、こんな──」
そう思った瞬間、怒りが湧いた。
自分に対する、世界に対する、そして運命に対する。
国を背負う者として鍛えられてきたはずの私は、ここで膝を折る資格などない。
だが現実は冷たく、痛みは私に容赦しない。
でも、彼が隣にいるから戦える。
必死に剣を振るい、生きて帰るために、打ち勝つべく抗った。
なのに。でも。
あの完成された剣を前に、私の努力は届かない。
私の振るった剣はいとも容易く弾かれ、黒騎士の剣が振り上げられる。
咄嗟に剣で防ぐも、私の身体は勢いよく吹き飛び、石の砕ける音が耳に届く。
「……ッく! ――がっ」
一瞬、意識が遠のいたが、岩に衝突した瞬間に現実へと引き戻された。
「アリシアッ!」
ノクスの声が届き、駆け寄ってくる。
彼がいるなら、私は……
「……っ、まだ……っ」
震える腕で剣を支えに立ち上がろうとし、黒騎士と視線が合う。
纏う魔力と放つ気配が、まるで今までのすべてを否定するかのように、立ちはだかっている。
その瞬間、私の中で何かが崩れるような音が消えた。
「アリシア、一緒に――」
「……無理よ……」
「……え?」
私はもう、戦えない。もう、すべてがどうでもよくなった。
剣が手から滑り落ち、乾いた金属音を響かせる。
「あんな相手、勝てるはずがない。私がどれだけ剣を磨こうとも、届かない。まるで最初から決まっていたみたいに、何をしても無に帰す……」
私の口から吐き出されるのは、自分自身への哀れみと怒りだけだ。
弱いのに、どうして私は努力を続けるの……あなたまで、巻き込んで……
「それに……あなたまで。あなたまでこんなに……傷だらけで。私は、私だけならまだしも、ノクスは私を転移トラップから助けたばかりに……」
罪悪感が私を包み込む。
もう、私も彼もボロボロで、血だらけで、勝てっこないのだ。
転移トラップに引っ掛かってから、もう希望なんてなかったのだ。
なのに……なんで……なんであなたはこんな絶望の中――笑っていられるの?
黒騎士という死を前に、彼の口元は笑っていたのだ。
血に濡れ、傷だらけで、痛いはずなのに、なぜ笑えるのか、私には理解できなかった。
けれど、その笑みは、私の内側にある弱さを見透かす光でもあり、同時に私が持つべき強さの片鱗を映していた。
「そうだね。僕はボロボロだ。いつ倒れてもおかしくない。……でも――」
――だからこそ、剣を振るんだ。
学生にも関わらず、ここまで戦えれば十分。
「もう十分じゃない! これ以上は無駄なのよ! あなたが一緒にいてくれて、本当は嬉しかった。でも……」
もう、無理なのよ……何もかも、全部……
「本当に、君は……アリシアはそれでいいのか? こんな結末を、君は受け入れるのか?」
彼の問いに、息が詰まる。
本当に、それでいいのかと。
私は自分が情けないのだと、疲れてしまったのだと自嘲気味に笑って応えた。
「ええ。もう、私は……いいの。……国を背負う剣士になりたいと、叶わないというのに……私はもう、疲れてしまったの……」
彼は「そうか」と答え、まるで私を守るかのように前に立って剣を構えた。
――信じられなかった。
あれほど血に濡れ、何度も地に伏した彼が、まだ剣を握って立ち上がるなんて。
「……ノクス? 何をして……」
声が震える。問いかけているはずなのに、それは願いのようで、縋りつきのようだった。
本当は、もうやめてほしかった。これ以上、彼が傷つく姿なんて見たくなかった。
けれどノクスは、振り返ることなく答える。
「なら、アリシアはそこで見ているといいさ。僕は諦めないよ。諦めたら、僕が目指した夢に辿り着くことができないから。だからここであいつを倒して、君を助ける」
胸が、きゅっと締めつけられる。
私は――諦めてしまったのに。
彼はまだ夢を抱いて、希望を掲げて、戦おうとしている。
黒騎士とノクスが同時に踏み出し、再び戦いの舞台が動き出す。
耳を打つ轟音。振り下ろされる剣ごとに、空気が裂け、地が鳴動する。
押し潰されそうな圧に、私は息を詰め、ただ見つめることしかできなかった。
――怖い。
黒騎士も、戦いそのものも。
けれど何より恐ろしいのは、立ち向かうノクスを見失ってしまうこと。
「……はぁ、はぁ……っ」
血の匂いが満ちる。鉄錆のような生温い臭気が喉を焼き、吐き気を誘う。
私の血も混じっているのだろう。けれど、それよりも濃いのはノクスの血だった。
それでも彼は立っていた。
ぐらつく足で、砕けそうな体で、なお前を向いていた。
師を想い出すかのように一瞬目を細め、体を沈め、黒騎士へとぶつかる。
剣ではなく、肉体で。
金属と肉の衝突音が響き、わずかな隙を切り拓いてみせた。
「――はあぁぁっ!」
叫びと共に振るわれた刀が、漆黒の魔力の渦を裂いた。
確かに、黒騎士の巨体が後退する。
その光景に、思わず声が漏れた。
「ノクス……っ!」
――どうして。
どうしてそこまで戦えるの。
もう十分に傷ついているのに、これ以上何を削れば気が済むの。
私は彼の背を見ていた。
怯えながら、祈りながら。
けれど同時に、胸の奥にどうしようもない熱が生まれていた。
自分は諦めた。
なのに、彼は諦めなかった。
その差が、惨めで、誇らしくて、涙が溢れそうになる。
やがて、黒騎士の剣が再び唸りを上げ、ノクスの体を裂いた。
鮮血が散り、彼が呻く。
「……ッぐ、ぁ……!」
その声を聞いた瞬間、堪えきれずに駆け寄っていた。
「ノクス! なんで、どうして……もう戦えないはずなのに!」
泣き叫ぶような問い。
けれど彼は笑った。痛みに震えながら、それでも笑っていた。
「戦えない? 違うよ。今の僕は――生きてる。ただそれだけで、剣を振る理由になる」
――嗚呼。
なんて人なの。
私は、彼のその言葉に心を打ち抜かれ、息を飲むしかなかった。
その時、彼の眼帯がふと解け落ちる。
赤黒い血と汗が、傷ついた顔を濡らしていた。
彼はそれを拾い、私へと差し出してくる。
「……アリシア。これ、預かってくれるか?」
指先が震えた。
受け取るだけで、胸が張り裂けそうになる。
彼のすべてを託されているようで、何もできない自分が、情けなくて。
それでも私は震える手で眼帯を受け取った。
私にこれを預かる資格なんて、無いはずなのに……何もしてあげられてないのに……
その背中には、恐怖も痛みも、私には見えないはずの世界の重みが乗っていた。
でも、彼は揺れない。まるで剣そのものが彼の意思の延長であるかのように、静かに、しかし力強くそこに立っている。
黒騎士が迫る。
重い鎧の音、振り下ろされる刃が空気を裂く音、魔力の奔流が肌を刺す。
私はただ、息を詰め、ノクスの背中を見つめるしかなかった。
心臓は耳に届くほどに早鐘を打ち、怖さで体が凍りつく。
――でも、その胸の奥で、彼を信じたいという想いが、弱々しい光のように揺れていた。
「ノクス……お願い、もう、いいから……」
声は震えていた。けれど、私の願いはただ一つ。
生きていてほしい――その一心で、目を閉じてしまいたい衝動と戦いながらも、ノクスの戦う背を見続ける。
――それでも、私は恐怖で固まっていた。
幾度も耳で知ったはずの戦いの気配が、今は胸の奥で暴れる。
逃げたくても、後ろにはもう何もない。前には、絶望と、そして彼がいる。
そして――その時。
空気が変わった。
ノクスの背中から、何かが伝わってきた。
それはとても静かで、深く、純粋で揺るがない水面。
まるで風も音も時間も、彼の意思に従って流れているかのようだった。
私は思わず、彼の変化に息を呑む。
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