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無明の剣聖~両目を失明したけど夢を諦めきれずに剣を振り続けたら、いつの間にか“見える者”より強くなっていた~  作者: WING
第三部:目覚めの蒼

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16話:紫電と天幻流

 春の風に背を押されながら、僕は『静刃』の稽古を重ねていた。

 身体の軸が一本の太い柱のように通り、動きが連続した流れになる感覚は、初めて味わう未知の心地良さだった。

 けれど、その心地良さの中にも、小さな葛藤はあった。


「僕は本当に、剣を振って強くなれるのかな……」


 目の前に見えぬ刃を想いながらも、視えぬ世界に不安を抱く自分がいる。

 師匠の教えは完璧に近くても、僕の身体がそれに応えられているのか、確信が持てなかった。


 師匠はそんな僕の揺らぎを、ただ静かに受け止めていた。


「己の弱さを知ることこそ、真の強さの始まりじゃ。弱さを認めることで、まだ伸びしろがあると気づくのだ」


 その言葉に、僕の心は少し軽くなった。たとえ今はまだ未熟でも、それは成長の余地がある証だと。

 しかし、どうしても頭をよぎる疑問を口にしてみた。


「師匠……もし成長の限界を感じてしまったら、どうすればいいのでしょうか?」


 師匠は顔に笑みを浮かべ、まるでそれが単純なことのように答えた。


「武の成長に限界など最初から存在しない。限界だと感じるのは、ただ自分が歩みを止める言い訳に過ぎぬ。たとえどれほど苦しくても、歩み続ける者だけが、強くなれる。――それが、武の道というものよ」


 師匠の言葉が胸の奥で静かに、しかし確かに震え、僕の心に深く染み渡った。


 そして、季節は巡り、幽踏法の『静穏』と体術の『静刃』という二つの基礎をようやく手に入れた。

 歩法と体術の両輪が揃い、僕は師匠のもとで新たな段階に進む時が来たことを肌で感じていた。


 ある日の夕暮れ、庭の片隅で師匠がぽつりと言った。


「これから教えるのは、夢を追い続け、幾多の戦場にて磨かれた、(ソラ)を斬るための型じゃ」


 その言葉に、胸が震えた。


『天を斬る』——それは、僕が幼い頃からの夢だ。


 だが師匠は続ける。


「だが、焦るな。剣の型など、まだ遠い。まずは立つ姿、振るう姿、一振り一振りそのすべてを矯正し、研ぎ澄ませねばならぬ。己が身を一本の刃と化すまで、幾千、幾万の素振りを刻め。剣は技にあらず――在り方そのものだ。まずはそこからだ」


 僕はその厳しい言葉に一瞬躊躇した。

 数カ月もの間、繰り返される素振りの毎日が始まるのだ。


「また、剣だけを振るのではない。ワシを相手に、動きの精度を磨くのだ」


 その言葉の重みが、僕の胸を締めつける。


 陽が出る前から剣を振り、昼には師匠と剣を交え、午後はその両方をこなす。

 日々傷だらけになりながらも、僕は必至に「強くなってやりる」と師匠の厳しい訓練にしがみ付いた。


 毎日、剣を握りしめ、庭の空気を切り裂く音と師匠の厳しい指摘の声が繰り返された。

 筋肉が悲鳴を上げ、時に膝が震え、呼吸が乱れて身体が言うことを聞かなくなる。


 だが、あの『静穏』の歩法で培った感覚と、『静刃』の体幹を通した身体の流れが、少しずつ剣の動きに馴染んでいく。

 僕は剣を振るたびに、自分が少しずつ剣の一部になっていくような錯覚に陥った。


 師匠は決して手を抜かず、時に厳しく、時に静かな励ましで僕を導いてくれた。


「ノクス、剣はただの刃ではない。お主の意志、心、そのすべてを映す鏡。ゆえにまずは己を知り、己を磨かねばならんのじゃ」


 その言葉を反芻しながら、僕は何度も何度も剣を振った。

 苦しいときもあった。限界を感じて折れそうな日もあった。


 でも、師匠から教えを乞うことは、僕の人生において、何よりの幸運なんだ!


 僕はまだ見えない。だが、確かに感じている。

 剣の感触はまだ遥か先にあるが、その道は確かにここにあるのだと。


 春の匂いを乗せた風が頬を撫でる。

 僕が十一歳になって少し、師匠の低く満ち足りた声が庭に響いた。


「……お主も基礎は身についた。型を教えようかのう」


 その声音に、胸の奥で何かが小さく跳ねた。

 やっとだ……やっと、剣の型を!


「型は一から九まであるは教えたことがあったな。そのすべての型が戦場で磨かれたものであり、“(ソラ)を斬る”ための型でもある。今日は最初――一ノ型からだ」


師匠は「よく見ておくのだぞ」と言い、以前見せてもらった天星一文字の柄に静かに手をかけた。

 足音が砂利を踏み、やがて静止する。


 僕は耳を澄ませる。

 師匠の気配が薄れ、同時に刃へと魔力が凝縮していくのが分かった。

 空気が微かに震え、周囲の世界が音を失う。

 その沈黙の奥で、魔力が刀へと注がれ、さらに鋭く研ぎ澄まされていく。


 まるで稲光を鞘の中に閉じ込めたような緊迫感。


「――一ノ型・紫電」


 その言葉と同時、踏み込みと共に空気が裂けた。

 一瞬で間合いを詰める速さ。

 抜刀と同時に青紫の魔力が迸り――気付けば的は切断されており、抜かれたはずの刀は鞘に収まっていた。


「……やってみろ」


 不意の指示に心臓が跳ねる。

 見えぬ世界で、見様見真似ほど頼りないものはない。

 だが、ここで足を止めれば、この先もずっと背中は遠いままだ。


 足の位置を整え、両手で柄を握る。

 『静穏』で培った重心の安定と、『静刃』で磨いた体幹の通りを意識し、魔力を刃に集束させる。

 鞘の中で魔力が震え、刃が呼吸を待つかのように静まる。


「――一ノ型……紫電!」


 踏み込みと同時に抜刀。

 だが、刃を通った魔力はバチッと青紫の魔力が迸った瞬間、制御が乱れる。

 確かに青紫の閃光は走ったが、それも一瞬。


「……ふむ。形は悪くない。だが抜刀の瞬間、魔力の制御に気を取られ、気配が揺れておる。ゆえに魔力が刃に馴染まず暴れておるな」


 厳しい言葉。けれど、その声音に冷たさはない。

 悔しさと同時にもっとやれる、そんな確信が胸に灯る。


 それからの日々、僕は朝から晩まで『紫電』を繰り返した。

 魔力を刃へ溜める時間を変え、踏み込みの角度を試し、何百回も構えを直す。

 腕は鉛のように重くなり、魔力が底を尽きかけても、師匠と剣を振るう時間は苦しみよりも喜びだった。


 そして一週間後の夕刻。


「もう一度見せてやる」


 訓練を終えた僕の前でそう言い、師匠は静かに息を吐き、再び柄に手をかける。

 気配が一瞬で濃く、鋭く、世界を塗り替えた。


「――一ノ型・紫電」


 踏み込みと同時、雷鳴の如き魔力が迸り、青紫の閃光が一直線に駆け抜ける。

 的の向こうで空気が爆ぜ、その流れは寸分の乱れもなく、美しさすら纏っていた。


 僕はそれを目では見ていない。

 だが、全身の感覚で確かに感じ取っていた――……




 あの日、初めて『紫電』を形にできた瞬間の手応えは、今でも掌の奥に残っている。

 あれから数年――僕は十三歳になり、師匠のもとで九つの型すべてを身につけ、『幽踏法』の全体系も会得した。

 魔力の制御や察知も、気配を読む術も、あの頃の自分からは想像できないほど磨かれている。


 それでも、僕はまだ――師匠の背を完全に捉えることはできなかった。


 その日も、庭での模擬戦が終わり、僕は汗と息を整えながら地面に腰を下ろした。

 足元の砂利の感触と、遠くで咲く花々のかすかな香りが、試合の熱を静めていく。

 師匠も向かいに腰掛け、静かに湯呑を傾けていた。

 彼の吐く息が、いつもより少し重く、長い。

 胸の奥がわずかにざわつく。


「……師匠」

「なんじゃ、ノクス」

「ずっと気になってたんですけど……僕ら、ずっと我流ですよね」

「そうじゃな。何か困ることでもあるのか」


 湯呑を置く音が、乾いた木の板に柔らかく響いた。

 僕は少し間を置き、言葉を探しながら続ける。


「困るっていうか……師匠と僕が目指してる“天を斬る”剣技、せっかくなら名前を付けてもいいんじゃないかって」

「ふむ……名など要らん。天を斬る技に、流派も看板も必要ない」


 即答だった。

 でも、僕は引き下がらない。


「でも……ずっと、我流ですよ? だったら、僕と師匠の夢の名前を残してもいいと思うんです。ほら、『天を斬る』と、師匠の名前から……『天幻流』なんてどうです?」


 一瞬、返事がなかった。

 師匠の気配が、かすかに揺れた気がする。

 やがて低く笑う声が、夕暮れの空気を震わせた。


「……お主は相変わらず妙なところにこだわるのう」

「変ですか?」

「いや……悪くはない。むしろ、少し気に入ったわい」


 その言い方は、何だかんだで本気の肯定だ。

 胸の奥がじんわりと温かくなる。


 ――だが、その温かさの影で、僕はずっと気づいていた。


 模擬戦の途中、師匠の息がわずかに荒くなること。

 剣を振るう腕が、以前より重く感じられること。

 稽古の終わり、こうして休憩に入るまでの時間が、年々短くなってきていること。


 それを口にすれば、きっと笑って誤魔化される。

 だから、僕は言わない。

 ただ、稽古での一振り一振りを、できるだけ刻み込むように心に焼き付ける。

 僕に剣を教えてくれるこの時間が、永遠じゃないことを、心のどこかで知っているから。




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