13話:再び世界を感じた日
朝の食卓を終えた僕と師匠は、再び庭へと向かっていた。
草露がまだ消えきらぬ土の上を、ゆっくりと踏みしめながら歩いていく。
僕にとって馴染み深い、音と匂いと感触で満ちた庭。
けれど今日は違っていた。
いや、正確には――隣にいるというだけで、すべてが違って感じられたのだ。
僕の隣を歩く師匠。
その気配は、静かに燃える篝火のようだった。
肌を焦がすほどではないが、芯に触れれば火傷する。けれど、不思議と怖くなかった。
ただただこの人の技と想いに、触れてみたいと――僕の内の剣士の本能が、強く渇望していた。
「ノクス。これより訓練を始める」
師匠の声はいつも通り低く、そして静かだった。
けれどその言葉の背後に、剣士としての“誓い”が宿っているのが、僕にもはっきりと感じ取れた。これから始まる日々が、生半可なものではないと気配が教えてくれる。
「はい。お願いします、師匠!」
言葉に偽りはなかった。
怖くないと言えば嘘になるけれど、それ以上に――僕は、嬉しかったのだ。
「いい返事じゃ。ではまず、基礎から入る。お主は気配をどこまで掴める?」
「……足音や声のする方向、強い殺気や視線があれば、少しだけ……なんとなくですが、わかるようになってきました」
師匠が、ふむと小さく唸る。
「見えなくなってから何年経った?」
答えるに一瞬だけ逡巡する。
「……二年半近くです」
「大したものよ」
その声に、わずかな褒めが含まれているのを感じたが、嬉しさはなかった。
ずっと部屋に居て、無気力だが音は聞こえる。それが積み重なった結果であり、褒められることではない。
けれど、次の瞬間には空気が変わる。
「しかし、それだけではまだ足りぬ。戦いで、生死を分けるのは“気配”じゃ。目が使えぬなら、尚更よ」
師匠が、一つ呼吸を置く。
「ノクス。これからお主に叩き込むのは――『空間の流れを読む術』じゃ」
「……空間の、流れ……?」
聞きなれない言葉に、師匠の言葉を繰り返す。
「そうじゃ。目で見る代わりに、気配を捉え、空気の震えを読み、魔力の揺らぎを察知する。これを極めれば、目が見えぬなど些細なことよ」
言い切った師匠の言葉に、僕は自然と背筋が伸びた。
師匠の言う「空間を読む」とは、つまり――目に頼らず、この世界のすべてを感じ取るということなのだろう。
「まずは座れ。静かに、深く、息を整えよ」
僕は草の感触を確かめながら、地に膝をつく。
師匠が、背後からそっと語りかけてくる。
「目を閉じ、五感を解き放て。耳に聞こえる音だけでなく、皮膚に触れる空気の震え、匂いの変化、足元を這う魔力の流れ……それらを“感じ取る”ことに全てを集中させるのじゃ。まずはそこからじゃ」
言葉の通り、呼吸を整え意識を沈めていく。
鳥の囀り、葉の揺れる音。
草の匂い、朝露の湿気、風が頬を撫でる感覚。
……しかし。
五感で感じられる以外のことは、何も掴めなかった。
「……わかりません」
額に汗が滲む。
「当然じゃ。教えたその日に掴める技ではない。気配とは、感じようとして感じられるものではない。心を澄ませ、己を消して初めて、見えてくるものじゃ」
師匠の声は、厳しいけれど、決して突き放すものではなかった。
それからの日々は、ひたすらに“感じる”訓練だった。
朝も昼も、時には夕暮れも。
庭に座り、風と音と匂いの中で、空間の中に漂う“何か”を感じ取ろうと努めた。
だが、最初は何一つわからなかった。
空気はただ空気でしかなく、風も音も、ただの自然のざわめきでしかない。
悔しかった。
自分には才能がないのかと、何度も思った。
けれど――それでも、楽しかった。
師匠がいてくれる。
見てくれている。
そして、導いてくれている。
だから僕は、夢に向かって剣を振る。何度も、何度でも。
たとえ壁にぶつかっても、その先に天を斬れることを信じて、振り続ける。
そうして――訓練が始まって、三週間ほどが経った頃。
ふと、空気の揺らぎのようなものがわかった気がした。
「……今、一瞬だけ師匠が背後に……」
呟いた僕に、師匠が言った。
「よく気づいたのう。ワシが歩いた位置じゃ。……その感覚、忘れるな」
あの瞬間は確かに、空気の中に、違和感が走った。
風とは別の、“存在の余波”とでも言うべきもの。
それはまるで、濃度の違う水の中に、別の流れが差し込んだような感覚だった。
それからは、少しずつだが感覚が鋭くなっていった。
師匠の歩く音が、風の流れが、以前よりも深く聴こえる。
空気が震えた方向が、音よりも先に察知できる。
今まで「なんとなく」だった気配が、「輪郭を持った存在」へと変わりつつある。
「いいぞ、ノクス。今、お主は“世界を掴み始めている”」
師匠がそう言ってくれた日のことは、忘れられない。
それは僕にとって、初めて目が開きかけた瞬間だったから。
そして、さらに二週間が過ぎた。
その日は風が強く、朝から空気がざわついていた。
庭に立ち、いつものように気配を探っていると――空間に漂う魔力の揺らぎのようなものを、ほんのわずかだが感じ取れた。
それはまるで、川の底を這う水流のようなもの。
見えないはずの世界で、音が形になるような感覚。
思わず、息を呑んだ。
「……これが、魔力の流れ……?」
言葉にした瞬間、師匠の気配が近づいてきた。
「ほう、感じたか。ようやく、魔力の“流れ”に触れたか。ならば次は、動きを“視る”段階じゃ」
“視る”という言葉に、胸が高鳴った。
僕の目は、見えない。
それでも、世界は確かに、そこにある。
師匠がくれたのは、目ではない。
新しい見方だった。
僕はまた、前に進めた。
目が見えないからこそ、掴める世界がある。
そして――その先にきっと、天さえも見えてくるのだと。
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次の更新は夜19時です。
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