12話:師匠
第三部突入!
全7話の構成です。
静かな朝だった。
風は穏やかで、空気は澄んでいた。
目を閉じて……いや、最初から僕に空は見えていないのだけれど、それでも、今日という日の朝は、ひときわ透明だった。
小鳥の囀り。水の流れる音。
それらが、耳の奥で静かに重なり合って、まるでひとつの旋律のように響いてくる。
――気持ちがいい。
こんなふうに感じたのは、いつぶりだろう。
足元の土の感触も、すっかり馴染んできた。踏みしめるたびに、小さな粒が潰れていく。
それすらも愛おしく思えるほどに、今の僕は、この日常に感謝している。
父上が繋いでくれた橋。
ゲンサイという名の老剣士との出会い。
そして、再び剣を握った僕は、歓喜に満ちている。
たとえ、視えなくとも。
僕は、剣を振るのだから。
一歩、間合いを計って足を運び、半身を捻り、両腕を撓らせながら刃を流すように振る。
一振り一振りが、世界を刻むように、確かな手応えをもって、風の中を切り裂いていった。
不格好だとは思う。
まだまだ拙い。誰が見ても、それは鍛錬中の子供にすぎないと笑うだろう。
けれど僕は……それでも、剣を振るうのが楽しいのだ。
剣自体がかつては嫌いだったはずなのに、今ではまるで、身体の奥底から喜びが湧き出してくるようだった。
――ああ、僕はやっぱり、剣とともにあるこの世界が。
「……陽が昇る前から鍛錬か」
突然、声が降ってきたが、そこに驚きはなかった。
多分だけど、客室から僕が剣を振っているのが見えたのだろう。
「うむ。元気なのは良いことだ」
柔らかく、しかし内に芯をもった声。
彼と出会ってからまだ一晩しか経っていないが、それでも
「……師匠」
自然と、その言葉が口を突いて出た。
昨日の会話。
すべてが、僕の中に深く刻まれていた。
だから、この呼び方に迷いはなかったし、最も適していると思えた。
沈黙が流れた。
数秒……いや、一瞬だったかもしれない。
けれど、彼の気配が少し揺れたのがわかった。
驚きか、あるいは……照れだろうか。
だとしたら、ちょっとだけ嬉しい。
「ふっ。……その呼び方、くすぐったいのう」
照れ隠しなのか、彼は咳払いを一つしてから、僕の隣に立った。
「日課か?」
「はい。毎朝、欠かさずに振っています」
「いい習慣じゃ。ワシも同じじゃ。どれ、ワシは見ているから振るといい」
「はい、お願いします!」
その言葉が僕は嬉しかった。
盲目、隻眼だからこそ通じ合える何かが、確かにそこにあった。
気づけば、朝の光が、少しずつ空気を温めていた。
草の匂い。湿気を帯びた土の香り。
耳の奥に響く鳥の声。
そして、背後にある師匠の気配と視線。
しばらく剣を振っていると、声がかけられた。
「ノクス。朝食の支度ができてるわ。ゲンサイさんもご一緒にどうぞ」
母上の声だった。
優しく包み込むようで、どこか晴れやかな色を帯びているように感じた。
「ありがとうございます。……行きましょう、師匠」
「うむ。飯もまた、修行のうちじゃからのう。食わねば成長せん」
微かに笑いを含んだその言葉に、僕は頷いて歩き出す。
手を引くわけでもなく、ただ、隣に並ぶだけ。
それだけで、安心できる。
これが、師という存在なのかもしれない。
朝食の席には、ルナもいた。
小さな椅子にちょこんと座り、まだ眠たげな目を擦りながらも、僕と師匠を見るやいなや、ぱっと顔を輝かせた。
「おはようございます、お兄様! それに、えっと……おじいちゃん?」
「ふはっ……久しぶりにそう呼ばれたわい」
思わず僕も笑ってしまった。
師匠は、笑いながらもどこか照れくさそうで……それがまた、微笑ましい。
「ルナ、彼はゲンサイ師匠。今日から僕に剣を教えてくれる人だよ」
「そうなのですね! ゲンサイ様って呼んだ方が良いのでしょうか?」
「なに、おじいちゃんで構わんよ。可愛い孫が出来たようだ」
師匠がルナの頭を撫でると、嬉しそうにする。
「……おじいちゃんって、どんな技が使えるのですか?」
「沢山使えるぞ」と笑う師匠の声に、ルナは「すごーい!」と目を輝かせていた。
その様子を、母上は優しく見守っている。
父上も、静かに席に着きながら、どこか安心したような気配を漂わせていた。
メイドたちが食事を運び、食卓へと並べられていく。
朝の食卓には、優しい温もりがあった。
焼きたてのパンの香り。鶏肉と香草のスープから立ち上る湯気。
ルナの笑い声、母上の柔らかな声色、父上の低くも穏やかな返答。
それらが静かに交わるこの場所は、まるで夢のように、現実離れしている。
以前の僕はここに座ることさえできなかった。
それが今は、何の違和もなく、当たり前のようにこの輪の中にいる。
スプーンが器に触れる音。パンをちぎる音。
ルナが師匠に質問を重ねるたび、少し戸惑いながらも答えてくれる。
「ワシの祖国は内乱続きでのう、戦場では傭兵として敵の大将の首を斬っておったわい」
「わあ……!」
「一振りで何千も斬ったことがある」
「ほんとですかっ⁉」
「……少し盛っておる」
朝食での会話としてはちょっと血生臭いが、笑みがこぼれる。
父上までもが「懐かしいな。私はもう、何年も戦場には出ていない」と呟いていた。
思い出なのだろう。
父上もまた、多くの戦場を駆け抜けてきたのだろう。
そんな空気の中、師匠がふと、こちらを見た。
「ノクスよ」
「はい」
「ひとつ、先に言っておこう。……ワシの指導は、甘くないぞ」
その声音に、空気が微かに引き締まる。
だが、僕の心はまったく揺れなかった。
むしろ、むず痒いほどに嬉しかった。
「大丈夫です」
僕は穏やかに、けれどはっきりと答える。
「天を斬るという僕と師匠の夢よりは、きっとずっと簡単でしょう?」
沈黙が落ちた。
一瞬、師匠の気配が揺れた気がした。
そして次の瞬間、彼の喉奥から、ふっと笑みが漏れた。
「……なるほど。いい面構えをしておる。まったくじゃ。これだけ鍛え、鍛錬してもなお……あの天を斬ることはできておらんからな」
その言葉に、父上も小さく笑った気がした。
母上は何も言わず、けれどその気配は温かく、静かに、優しく僕を見つめてくれていた。
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