おはなし、はなして
「それでね、でね、川上から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、って流れてきてね。おばあさんはびっくりして家に持って帰ったの。おじいさんと桃を割ると……なんと! 中から元気な男の子が出てきたんだよ!!」
リンネは大きく身振り手振りを伴って、感情豊かに物語を説明する。
椅子に腰かけたクロトは、頬杖をついて傾聴していた。
リンネは絵本で読んだ物語を、まるで本当に見てきたことかのように自分の驚きと熱も込めて説明する。桃から生まれたい男の子は桃太郎と名付けられ、成長し、やがて村を荒らす鬼たちの根城、鬼ヶ島に三匹の動物のお供をつけて旅立った。桃太郎は家来たちとともに鬼を対峙し、奪われた財宝を取り戻すと、育て親のおじいさんとおばあさんのところに帰り、いつまでも幸せに暮らしたという……、
「それで、めでたし、めでたしなの! ねっ、ねっ、面白いでしょ!?」
興奮したリンネは目をかがやかせて師匠に感想を訊ねる。
弟子と正反対にクロトはひどく落ち着いた表情で、エルフの少女の熱っぽい表情を眺めていた。
「だいたいわかった。……まあ、俺の書庫にあるんだから内容は把握していたが。改めて聞くと新鮮だった」
「なんだあー、師匠はとっくに知ってたんだ! びっくりさせようと思ったのに!」
「あれは、知り合いの……祖父が残した本を託されたんだ。異世界から転移してきて、元の世界にあった物語をこちらに伝えるために残したらしい。量だけはあるから、興味があるならまだほかのも読むといい」
「異世界っ……!?」
さらりと放たれた師匠の言葉に、リンネは息も止まらんばかりに驚いた。
「すごい、すごい! 聞いたことないお話だと思ったら、違う世界からやってきたお話だったんだ……! その世界に、桃太郎、っていう人がいたのかな!?」
「……そこまでは知らん。たとえ異世界でも、桃から人が生まれることがあるのかは定かじゃないが……」
そこまで聞いただけで、リンネは喜びと興奮のあまりその場でくるくると回転しだす。
豊かな金髪がぶわっと扇のように広がって、リンネは自身の毛先を追いかけるかのように軽快な身ごなしで床を踏む。
「『桃太郎さん♪ 桃太郎さん♪ お腰につけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな♪』」
節もテンポも適当に思い浮かぶままにリンネは歌い、その場で踊った。
リンネは楽しいとき、嬉しいときに踊るのが好きだった。隠者として暮らすはぐれエルフの暮らしは、子どもながらに楽ではなかったが、その暮らしの中に起こる数少ない楽しいことや嬉しいことは、リンネは必ず全身で享受しようとした。
森で生まれたての子鹿が近寄ってきて、手を舐めてくれたとき。川遊びをしていたら深みに嵌って溺れかけたけど、虹色のうろこの美しい魚を見つけたとき。美味しい果実のなる木を見つけたとき。人間の村の跡で、リンネの背丈にぴったりのきれいな服を見つけたとき――。
その瞬間に立ち会うたび、リンネは群れの仲間にダンスや歌で伝えた。
言葉を尽くすよりも、そのほうが伝わることもあると知っていたからだ。
だが、クロトに指示されて、絵本の内容を一から十まで話すのも面白かった。
自分が物語を聞かされる側になったことはあれど、伝える側になったためしはなかった。
「まさか、こんなありふれた英雄譚にそこまでハマるとはな。……昔話で言ったら、お前たちエルフの知ってるもののほうがバリエーションも数も豊富だろうと思ったが」
「それがね! エルフのあいだで伝わるお話とか、姉ちゃんはよくしてくれたけど、ぜーんぜん面白くないの!」
クロトに言われて、リンネは両頬をぷくーっと不満でふくらませる。
「誰が悪いことしたから呪われたとか、罰を受けたとか、人間や魔物と友達になったと思ったら騙されたとか、そんな暗い話ばっかり! 聞いてたら落ち込んじゃうよ。姉ちゃんはわたしが悪戯したときによくこういうお話して、このお話の主人公みたいになるぞ~、って脅かしてくるんだ!」
「なるほどな。お前たちのような長命種ともなると、より長く生き残るための生存戦略としてそういう教訓話を多く残しているのかもしれない。ただでさえ数は少なく、外界から狙われる脅威に満ちた生活だ。外の世界に危険があることを教えるのも年長者のエルフの役目なのかもしれん」
「そぉなのかなぁ……」
「……だが、実際はお前のように人間の俺に弟子入りするような変わり者のエルフを生み出すんだから、先人の教訓を押しつけても一部の層には無意味ということだな」
そう言ってクロトはゆったりとローブの裾をなびかせて立ち上がり、窓辺に近づくと、その向こうに見える砂漠の遠くを見渡すようにして言った。
「明日、俺たちはここを発つ」
「えっ!?」
急な旅立ちを告げられ、リンネはピンッと長い耳を立てて驚いた。
「お前たちはぐれエルフを売り飛ばした奴隷マーケットを調べにいく。お前の姉や、仲間たちの居所を突き止める必要がある。……お前たちはぐれエルフは本当にその身に一切魔力を持たないのか、あるいは持つ可能性すらないのか、師匠として知っていてもおかしくはないだろう」
それを聞いて、リンネは瞳を大きく見開いた。
姉代わりのイオや仲間のことは、今までずっと気がかりだった。
だが、クロトにはこれまでにも十分良くしてくれている。今だって保護してもらえているのが奇跡のようなもので、これ以上を望むのが怖いほどだった。
しかし、彼は自分から姉たちを探し出すと提案してくれた。
リンネは嬉しさのあまり、彼に駆け寄って、ローブごとその身を抱きしめた。
「師匠……っ! ありがとう~~!!」
「……容易に他人にくっつきすぎだぞ、お前は」
そう言ってクロトはリンネの頭をそっと押し、自分の身体から引き剥がした。
だが、師匠を見つめるリンネの瞳はいきいきとかがやいていた。
「師匠って……なんでこんなにわたしに親切にしてくれるの?」
度重なる彼の好意的といってもよい行動に、さすがの楽天家のリンネも疑問が湧いてきた。
それを聞くと、クロトは黙り込んだ。まるで自身の腹の中を探られるのは不本意だ、とでも言いたげな雰囲気すら放って、リンネはその不合理な態度にも疑問を持った。
だが、やがて、
「………十年前、のちに〝勇者〟と言われる男と旅をしていたとき、エルフに救われたことがある」
そう静かに語り出した一言で、リンネの疑問は氷解した。
「旅を助けてくれた礼に、同族の子どもを助けるのはそんなに変か?」
そう問われて、リンネはとっさに首を横に振った。
「おかしく、ない」だが、そう答える瞬間にも、リンネはさきほどのクロトの態度が心の片隅に引っかかっていた。
なぜ、助けてくれた礼だとしたら、あんな沈黙があったのか。
最初は、しゃべりたくもない理由なのかと思った。
リンネは幼いながらに、自分が師匠と呼ぶ相手のことは、実はまだよく知らないことのほうが多いことをこの場で悟った。
その瞬間、クロトは、これまでのようにただの良い人とは思えなかった。
だが、それは決してリンネにとって嫌なものを覚えるようなたぐいの感情ではなかった。
初めて出会った、人間という種の奥深さにリンネは知らずに魅入られていた。
「オオカミたちとは明日でお別れだ。子どもたちに、寝るまでお前の読んだ本の話をしてやれ」
「……うんっ!」
こくん、と素直に頷きながら、リンネは、クロトという男が腹の中に何を抱えていたとしても、やはりそう悪いものだとは思わなかった。
姉代わりのイオが、物語で話していた悪人と、彼はまったく別の人間だ。
なぜかは知らないが、リンネは無意識にそう確信していた。
その夜、リンネはオオカミの獣人の子どもたちに絵本を読んで聞かせた。
異世界の人間が考えた突拍子のない物語は、この世界で育った子どもたちには新鮮で、捉えがたい魅力があり、リンネ同様に獣人の子らも耳をそばだてて彼女の読み聞かせに夢中になっていた。
「おねえちゃん、桃が流れてきたところもう一度読んで!」
小さいオオカミにせがまれて、リンネはページをさかのぼる。
「『おばあさんは川へ洗濯に行きました。すると、大きな桃が……どんぶらこ! どんぶらこ! と流れてきました』!」
「あはは、どんぶらこ! どんぶらこ!」
リンネの迫真の読み上げ方に、子どもたちはシーツの上を笑い転げる。
そんなことを延々繰り返してうちに、夜も更けて、蝋燭の灯りは短くなったが、子どもたちはまだ寝なかった。今夜に限っては彼らの両親も、すぐそこまで迫った別れを思ったのか、いつものように早寝を急かすことはしない。
「お姉ちゃん、いいこと教えてあげる。おれたちオオカミは、言葉じゃなくて遠吠えでお話を伝えるんだ」
オオカミの兄弟の長男は、どこか得意そうにそう話した。兄弟たちはみな灰色の毛並みをしている中、彼だけは額に十字の白い傷跡のような毛の生えた少年で、名はウルリーフといった。
今度はリンネが耳を立て、「そうなの?」と興味津々に首をかしげる側になる。
すると彼は黒い鼻先をこすり、長いマズルを宙に立てた。
「ウォォォオーーーーーン」
心地よい遠吠えが、高く高く、天を目指して昇っていく。
リンネはその声の響きに沈黙した。周りの兄弟たちも、彼に同調してハミングするかのように遠吠えを繋げてゆく。
ウオオオオーーーーーーーン。
その連なる声は森を越え、山を越え、どこまでも響いていきそうな高い調べをしていた。
きっと、同じ耳を持ち、同じ心を抱く仲間のもとになら、どこにいたって聞こえるのだろう。
敵の訪れを告げる声、仲間の助けを乞う声、離れた味方に温かい声援を送る声、別れた家族を思う声……彼らの色んな感情が、遠吠えとなって響いて、誰かの胸を打つとき、それは新たな遠吠えとなって、絆を持つ者同士、数多の言葉を、物語を交わすのだろう。
リンネは、原始の頃から変わらない彼らの純粋な言葉に触れて、心臓が熱くなるのを感じた。
胸にクロトから借りた絵本を抱きしめて、リンネもまた空に吠え、彼らの遠吠えに加わった。
「うおぉおおーーーんっっっ」
「ウォォォーーーーーン」
「ウォォォオーーーーーンッッ」
リンネが仲間に加わると、彼らは張り合いが増したかのようにより勇ましく遠吠えする。
しかし、その遠吠え合戦は、やがて誰かがこぼした大きなあくびを皮切りに、「ゥワア~ン……」「クゥ~ン……」とか細いため息となり、リンネも含めた全員、うとうとと微睡み始めた。
「さあ、もう寝なさい、子どもたち」
「明日は朝のうちに魔導士様とお弟子様を見送るのよ」
頃合いを見計らった両親に諭されて、子どもたちは枕を並べて床に就く。
リンネは両肩に頭をつけて眠るオオカミの子のふさふさの毛並みに包まれ、暖かな夢を見た。
自分にもふさふさの金の体毛が生えて、彼らと四つ足で野を駆ける夢だ。
姿かたちや種族は違えても、彼らと同じ言葉を使うだけで、あるいは、彼らの言葉に近づこうと試みるだけで、同じ兄弟に生まれたかのような気持ちになれることを、リンネはこの夜、初めて知った。




