新しい朝がやってきた
リンネは誰よりも早く目を覚まし、皆のために水を汲もうと井戸のところに向かった。
なぜなら今日からクロトの一番弟子なのだ。皆に尊敬される立派な魔法使いになるために、まずは皆の役に立つところを見せてやろう。
屋敷の厨を裏口から出たところに中庭があり、そこに井戸もあった。
リンネが中庭に出ると、井戸の近くに背の高い誰かの姿があった。
オアシスにはまだ薄もやが立ち込めていて、ひんやりとした砂漠の夜の空気を引きずっていたが、その薄暗さの中に、男の長い銀髪が鈍くかがやいた。腰まで届くような長さで、一本に編み込まれた銀髪は、リンネが見たこともないほど美しく、よく磨がれた鉱石のような煌めきを宿している。その白銀に、褐色の肌がよく映えた。
男は井戸から汲んだ水で顔を洗っている最中だった。
は、とリンネが息を呑む音に男は振り返った。その振り返った顔で、リンネは息を止める。
顎先から透明な水滴を垂らし、ゆるやかにまばたきする男。獣のように軽く首を振り、水を払ったとき、微かに震える長い耳。その瞬間、リンネは思わず自分の耳に触れてたしかめた。
「デザートエルフだ!!」
身内から伝え聞かされていた。かつてハイ・エルフと同じく世界樹を崇めていたが、わけあって袂を分かち、別の種族として独立した一族がいることを。彼らは砂漠を安住の住処とし、月を信仰していたため、砂漠を意味するデザート・エルフと呼ばれるようになったというが――
「…………今は、ダークエルフと呼ぶんじゃないのか?」
男はリンネにつられて自分の耳の先端に触れながら、感情に乏しい顔でぽつりと呟いた。
大きな感情を見せない静謐な表情は、男の美貌をより引き立てた。しかし、人間離れした美形で、多くは女性的とすらされるエルフの中では、野性味を含んだ男性らしさが勝り、全体的に人間みがある。
だが、リンネははぐれエルフの仲間に囲まれて育ったおかげで、(自身を含めて)美形は見慣れている。彼のやや変わった美貌にはてんで目もくれず、遠い親戚に出会ったような気分で駆け寄った。
「もとはひとつの種族なんだから、そういう言い方はよくないって! 姉ちゃんが言ってたよ!」
「…………そうか」
男はリンネの答えに静かに、だが、あまり実感がなさそうに頷いた。
「………砂漠のエルフは魔王の配下に加わったせいで、ハイ・エルフからは疎まれていると思った。この顔と耳を見て、俺をダークエルフとそしる者も少なくない。しかも、俺は人間とのハーフだ。突き詰めれば、人間でもエルフでもない」
「へーえ、そうなんだ。でも、わたしたちもはぐれエルフだよ? 魔力がないから森の偉いエルフに追い出されたんだ。だから、ちゃんとしたハイ・エルフからしたら、自分たち以外は間違ってるって言われちゃうよ! 気にしてたらきりがないもん!」
「………………そうか」
リンネがうんざりして言うと、男は間をおいてから、ゆっくりと目を細めた。
「ありがとう」
「………?? どういたしまして?」
男は膝をつき、リンネと視線を合わせると、低い声でそう言った。
リンネには意味不明だったが、さっきと比べると男の雰囲気は柔らかくなっている。
「俺の名は、セロニアス。お前の名は?」
「わたしはリンネ! 師匠の一番弟子だよ!」
「師匠……? マスターのことか?」
セロニアスと名乗るハーフエルフの男は、リンネの答えを聞いて首を傾げた。
逆にリンネは「マスター? なんで師匠のことそう呼ぶの?」と疑問を投げかける。
「そいつは俺と魔術で契約している従魔だ」
そこにクロトの声がかかる。
杖を携えたクロトを見て、リンネは「師匠!」と笑顔をかがやかせる。
「従魔って何?? 魔術で契約するってどういうこと??」
「まあ、それについては追々話す。それより、水を汲んで朝食が済んだら俺の部屋に来い。弟子がやるべきことを説明する」
「はーい!」
クロトの言葉に、リンネは元気よく返事をすると、井戸に身を乗り出し、水を汲もうとし始めた。
だが、井戸に身長が達しておらず、ぐいぐい背伸びしてなんとか井戸を見下ろせるという有様なので、見かねたセロニアスが彼女を抱き上げて水汲みを手伝ってやる。
その様子を、クロトは呆れたように見やりながらも、リンネのやる気を汲んだのか、特に止めもせずに踵を返し、屋敷に戻った。
「パイセンは師匠とどれぐらい一緒にいるの?」
「パイセン………?」
「わたしより師匠のこと知ってるなら、先輩でしょ! 親しみを込めてパイセン!」
「…………。マスターとは出会ってまだ三年だ。そんなに詳しくはない」
「ねえ、師匠って食べ物は何が好き? 年はいくつ? 寝るときどんな姿勢? 匂いの強い野菜とか食べれる系?」
「…………そんなに一度にたくさん答えられない」
***
部屋に戻ったクロトは、わざと開けていた窓から来客があったことを知った。
目にも鮮やかな、宝石のような彩りの羽根を生やした豪奢な鳥が窓辺に立っている。
王冠のような白いとさかのついた頭を小刻みに揺らし、部屋の主の様子を伺っている。
クロトが近づき、片手を差し伸べる。宝石のような鳥は羽根を広げて彼の腕に飛んだ。
そして、嘴から甲高く声を発する。子どものような笑い声のようでいながら、その発する言葉はどれも人の言葉ではない。
鳥が一通りしゃべり終えると、クロトはいつものように静かに眉間を寄せた。
「アルティマが……勇み足だな。俺が予想するまでもなく、ポータルは不安定なままだ。復讐に躍起になっていたか、それとも一族ごと土地を追われたのか……かつて四天王の長を務めていた上級悪魔族ですら魔境を追われるとしたら、あそこはとんでもない無法地帯になっているようだな」
そう言って、クロトは窓の向こうを見やった。オアシスの向こう、砂地が続く土地の先にあるものを見透かすかのように。
すると、メッセンジャーの鳥は何かをねだるようにクロトのローブの袖をついばみ始めた。
ため息をひとつ吐いて、クロトは机の抽斗を探り、一粒の宝石を取り出す。
それをつまんだクロトは、しばらく渋い表情で黙り込んでいたが、やがて宝石の鳥から何かもの言いたげな、うんざりするほど巨大な要求のまなざしを食らい、軽く意気消沈したように項垂れる。
彼の薄い唇が、名もなき一粒の宝石を掠めた。
「ほら、早く持っていけ!」
クロトは開け放した窓の向こうに、宝石を大きく放り投げる。
ばさり、と太陽のように燃える赤い翼をはためかせ、鳥は鷹のように素早く外へと飛び立つ。
差し込んだ朝日に赤く光りかがやき、宝石を咥えてまっすぐ飛んでいく鳥を邪険そうに見送りながら、クロトは憤然と窓を閉じ、固く施錠をするのだった。




