契約関係
オアシスのある砂漠を東から抜けて、クロトたちは〝セントラル連合〟の中枢国家、ロイテールを目指す。
二日ほどかけて砂漠を抜けると、森の街道が川沿いに走っていて、リンネは生まれて初めて人の作った道を歩くことになった。
「おばあさんが川で洗濯していると~、川上から大きな桃がどんぶらこっ♪ どんぶらこっ♪」
リンネはお気に入りのフレーズに適当に節をつけて歌いながら、スキップするように歩いた。人に手入れされた地面は歩きやすい。街道の片手にはティアラル河というロイテール、イズレシヤ、レイアーデを分断する大陸随一の河が流れていた。河の力強くも涼やかな水の流れを聞きながら、懐かしい森の匂いを嗅ぐ。
しばらく砂漠の奴隷市に幽閉されていたリンネは、故郷でもある自然の中に帰ってこれた達成感と安堵でいっぱいだった。
「そんなに浮かれて歩いてると転ぶぞ」
「ふっふーん! リンネちゃんはここよりずーっとずっと険しい山道、獣道だって歩いて生きてきたんですー! こーんなまっすぐな道で転んだりしないよー!」
クロトに諫められて、リンネは見せつけるように助走をつけて高くジャンプした。
優に自分の身長に届くぐらいの大跳躍で、クロトはその身体能力を見て目を見開いた。
小柄な身体は全身に柔らかいバネが張り巡らされているようで、着地の瞬間も滑らかで淀みがなかった。
「ハイ! 着地成功ー!」
すっくと立ちあがり、両手をあげて成功を喜ぶリンネ。
その瞬間、背にしたバッグパックからどさどさと大量の絵本がこぼれ落ちる。
ジャンプしたときにバッグパックの口が開いたのだろう。
クロトは声に出さないまでも、「まったく……」と表情で言いながら、慌てて絵本を拾い集める弟子を見た。
「これで全部だ」
「ありがとう、パイセン!」
セロニアスは風に煽られて飛んでいった本を拾い集め、重ねてリンネに手渡した。
大事な修行の道具でもある絵本を数え、ちゃんと冊数が揃っていることを確認すると、リンネはほっとため息をついてバッグパックにしまい直した。
「さっ、気を取り直してレッツゴー!」
リンネは意気揚々、拳を掲げててくてくと歩き出す。
セロニアスは彼女の斜め後ろあたりに位置し、その一挙一動を見守るようにして歩いていた。
それを見ていたクロトは、もう一緒に旅をして三年近くになるこのハーフエルフの男が、意外と面倒見がいいことを初めて知った。彼は無口で、クロトも自分の話を積極的にするタイプではない。だから互いのことは必要最低限の情報しか知らなかった。
(まあ……俺がすべての面倒を見なくてよくなったわけだが……)
クロトは黙ってその後を追いながら、さりげなく、リンネの空いている片方を陣取った。
背の高い男ふたりに左右を挟まれていることも特に頓着せず、リンネは呑気に歌を歌いつつ先に進んでいく。
「もーもたろさん♪ もーもたろさん♪ お腰につけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな……♪」
澄んだ歌声に、男の悲鳴と蹄の鳴る音が重なった。
リンネが驚いて足を止める。セロニアスが背中の剣に手を回しながら彼女の前に躍り出た。
彼の背後でクロトが様子を様子を見ようと前方に目を凝らす。
「たっ、たすけてくれぇぇぇ~~~~!!」
野太い声で叫びながら、男が馬車を走らせ逃げてくる。
全速力で駆ける馬車からは砂埃が濛々と立ち込めていたが、その中に巨大な影が蠢めいていることをリンネ、セロニアス、クロトは全員同時に察知した。
「―――待でえええええええ!! グオオオオオーーーッ!!!」
地響きのようなどら声を張り上げ、巨大な一つ目の魔物が煙の中から姿を現す。
巨人のような体躯は全身青黒い皮膚に覆われ、岩のように盛り上がった筋肉もあらわに、獣皮の腰布だけを身に纏ったその魔物は、大岩を削り出して作った棍棒を振り回し、馬車ごと男を叩き潰さんと狙っていた。
恐怖にひきつった顔で手綱を繰りながら、男は血相を変えてクロトたちに叫ぶ。
「そこの人~~~!! サイクロプスに追われてるんだ!! たぁすけてくれ~~~!!!」
「セロニアス!」
その名を呼んだクロトは、杖を地面に立てて、驚いて硬直するリンネの肩を掴み、自身の背中に移動させる。
すでにそのときセロニアスは駆け出していた。
フードからこぼれた長い銀髪をなびかせ疾駆した彼は、大剣を抜きざま、足元の土を蹴って跳躍する。
そのあまりの規格外の跳躍ぶりに、真下で馬を操る男が驚愕していた。
セロニアスは走り寄る馬車の車体を足場に、さらに弾みをつけて飛び立つ。
天から隼のように降下し、セロニアスは巨大な刃を勢いをつけて振り下ろした。
――ガギィィインッ!!
硬質な音が耳を劈き、火花を散らす。
サイクロプスの棍棒に大剣が衝突し、その分厚い筋肉に覆われた剛腕から、得物を弾き飛ばす。
巨人の手から抜け落ち、宙を舞った棍棒は、そのまま弧を描いてティアラル河の穏やかな清流に呑まれると、ゴボボボボ……と泡を立てて沈んでいった。
サイクロプスは、一瞬何が起きたか思考した。
「………ッッッあ"あ"あ"あ”ーーー!! オデの棍棒ォ"ォ"ォ"ーーーー!!!!!!」
すぐわれに返ったサイクロプスは、悲愴さの混じる声で絶叫した。
巨人の目前で着地したセロニアスは、まっすぐに大剣を構え直した。通常の人の身の丈に迫る巨大な刃だというのに、彼の腕力はまったくその重さを感じさせない。
「うっひょひょひょラッキーーーー!! お兄さんたちあンがとな!! レディ・ファイッッッ!!!!」
セロニアスとサイクロプスが対峙しているうちに、男と馬車はそのままクロトたちの横を滑り抜けて逃げてゆこうとした。
その瞬間、クロトは紅い指輪を掲げて何か呟いた。
街道の下から尖った巨岩が生えて、馬車の行く手を阻む。
馬が高くいななき、身の危険を感じて制止した瞬間、勢いのついた運転席の男は街道に投げ出された。
「ぐほォッ!! なんだよアンタ!! 助けてくれるんじゃなかったのかよォォォ!!」
クロトは身体を押さえ、叫ぶ男を無視して前方を注視した。
サイクロプスは得物を奪われた怒りで顔をひきつらせ、セロニアスを睨みつけている。
「あれはオデの最高傑作だど! まず、最高品質のミスリル鉱山を見つけるまで彷徨うこと三か月、ちょうどいい大きさのミスリルの塊を掘り出すまで四か月、制作のインスピレーションを得るために自然とたわむれること二か月、完璧な形に削り出すまでなんと半年もかかってるんだど!! 自分が何したかわかってるだか!? オマエはこの世から芸術をひとづ奪い去ったんだど!!」
「それは悪かった。だが、お前を止めるにはああするしかなかったんだ」
「オデを止めるため……!?」
巨人は不可解という感情を顔に浮かべた。
セロニアスはゆっくりと構えを解き、大剣を地面に突き立てる。
「もしかして……そごの人間のこどだか!? そいつは悪ぃ人間だど! オデの家に勝手に入って、貴重な石コレクションを大量に奪っていっだど!!」
サイクロプスの悲痛な叫びを聞いて、クロトが男の顔を直視する。
男は大量の汗を垂らしながらクロトから目を逸らした。
その反応を見て、リンネが「あー!」と非難がましい声を上げた。
「ドロボー! ドロボーだ! うわぁ、犯罪者なんか見たの生まれて初めてだ!」
「被害者ヅラして駆けてきて、こっちが足止めしたら都合よく押しつけて逃げ出そうとしたな、貴様」
無垢な少女と、冷酷な男の視線による責めを同時に食らい、男は居た堪れなさそうに傷を負った身体を庇う。
クロトは制止した馬車に近づき、荷台にかかった布を取り払った。
するとそこには眩いばかりの光を放つ鉱物が満載されている。
完全な証拠を暴かれ、これ以上弁解の余地はないと思ったか、男は腕を組み、鼻を鳴らして居丈高に言った。
「いっ、いいじゃねぇか、元は自然のものなんだぜ! それに魔物から石を奪ったって罪にはならねぇんだ! この大陸に俺を裁く法はねぇ!!」
「うわー! 悪人の台詞だー! 初めて聞いたー! 最低~!」
リンネはドン引きしながら男を責めた。
可憐な美少女にぼろくそに言われて男は多少傷ついたような表情を見せたが、それでも自分に非はないと言わんばかりに居直った。
「魔物に人権はない、か。連合を作った国の人間らしい言いざまだな」
「あんただって人間だろうが! なんで魔物側に立つんだよ! あんた人間のツラして、実は魔族か!?」
「俺は魔物じゃない。だが、連合に組する人間の肩を持つ気にもならんな」
リンネは師匠が何をするのか息を呑んで見守った。
クロトは冷徹なまなざしで男を打ち据えるだけで、手出しはしようとしない。
だが、再びクロトはリンネの肩を掴み、自身の背後に回した。
何が起こったのかとリンネが様子を確かめると、自分たちの周りを取り囲む人々の姿に気がついた。
人間が十数名ばかり。全員、鎧や剣で武装し、顔をフードや頭巾で隠している。
彼らが現れた瞬間、男の不安に包まれていた表情が明るくなった。
「だっ、旦那がたぁ! ちょっと変なのに絡まれてるんですよっ! ご注文の品は、ほれ、たんまりと揃えておりますんで……!」
男は一番前に出てきたフードの男に近づくと、媚びたような笑みを浮かべて馬車を指さした。
その瞬間、すべてを理解したクロトは呟いた。
「盗賊が、人を使って魔物から石を盗んだのか? 慎重で賢いやり方だな」
「巨人の家に大人数で押しかけるバカがいるか。適材適所だ」
クロトの挑発にも動じず、フードの男は腕を組んだまま吐き捨てた。
彼らは武器を抜き、じりじりとクロトたちに迫ってくる。
「見たところ魔術師だな。あのサイクロプスについたところで利はない。こっちの側につき、あの巨人を倒すのに加わってくれたら礼をする。考えるまでもないだろう?」
男はさも寛大なふうを装って言う。
いかにも大胆不敵な提案に見えて、しかし中身は加勢してくれと面前切ってのたまっているだけに過ぎない。その図太さを、クロトは冷たく鼻先で笑う。
「そうだな。考えるまでもない」
クロトは地面に突き立てた杖に手を伸ばす。
それを待ち構えていたかのように、男たちは一斉に彼に殺到した。
「――適材適所だ。セロニアス!」
しかし、クロト自身はその瞬間を待っていた。
自分が杖で呪文を放つ展開を予期させ、盗賊たちの注意をすべて惹きつける。
盗賊たちは、クロトが杖なしで呪文を行使できることを知らないのだ。
「≪呪言・格配列・発動≫ !」
宙から飛来したセロニアスが地面に巨大な剣を振り下ろした。その刹那、ただの衝撃波ではない雷の波動が彼の刃から波打ち、伝播して、クロトたちを取り囲んだ盗賊たちの全身に走った。
刃を伝ってセロニアスの身体から射出された魔力は電流となり、敵のすべての意識を切除した。
びくびくと反射で痙攣しながら、地面にのたうつ盗賊たち。
気絶した賊たちの身体の向こうで、馬車の男は絶望的な表情を晒していた。
「すっごぉーーーい!! 今の何ーーーー!?」
振り下ろした刃を持ち上げ、背中に納めるセロニアス。
息を呑んで光景を見つめていたリンネは、緊張から解き放たれ、飛び上がって叫んだ。
「あれが、あいつが俺の従魔たる証だ。俺の魔力と、あいつの魔力を同調させている。エルフの血が流れるあいつはわずかな魔力を持ち得るが、もう半分の人間の血が邪魔して、自分では魔力を放出できない。それを俺の魔力でリードし、引き出す。俺とあいつの魔力が一体になってさっきの術が発動された」
「えーーー、なんかわかんないけどすごそーーー」
師匠の説明に、リンネはへらーっとした笑顔で頷いた。
セロニアスは刃を納めながらも、対面の男を見据えたまま呟いた。
「マスター。あの男をどうする。俺は斬ってもいいが……」
「よせ。ほかに使い道がある」
クロトはそう言うと、男に向かって声をあげた。
「今ので逆らっても無駄だとわかっただろ。石をサイクロプスに返せ」
「はっ、はぁぁぁい!!」
「あと、俺たちを馬車に乗せろ。俺たちはロイテールに向かう。おとなしく向かえばお前が盗賊の手先だったことは不問にしてやる」
「りょ、了解でぇぇす!!」
言われて男は大慌てで馬車の荷台に駆け寄り、足元の地面に鉱石をどすどすと投げ落とす。
「オ……オデのゴレクション!!」
地響きを立てて走り寄ってきたサイクロプスは、地面に散らばった鉱石を掴んだ。
「あ……ありがでぇど!! オマエだぢ、イイヤヅ……!」
「早く石を巣に持ち帰るんだな。こんな大きな街道に現れたのが露見したらまっさきに退治されるぞ」
サイクロプスは両手に鉱石を抱え、ほくほくの笑顔で立ち去っていった。
リンネは「ばいばーい!」と手を振り別れを告げる。
青い巨人の身体が森に埋もれて消えてしまうのを見届けると、リンネとクロトとセロニアスは男を振り返った。
「それじゃあ、ロイテールまで頼むぞ。コソ泥」
「マスターに逆らうなら容赦はしない」
クロトとセロニアスが同時に威圧をかけると、男は汗だくになりながら恐怖を堪えて頷いた。
「わーい! 馬車乗るのなんて初めてー! ……でもドロボーの馬車になんて乗ったって言ったら姉ちゃん怒るかな……」
初めてのことだらけで、リンネは少し戸惑いつつも、好奇心には勝てず、師匠とともに馬車の荷台へ身を移した。
「自分の身が惜しければ、とっとと馬を走らせるんだな。それとも、おかしな術で言うことを聞かされたいか?」
「馬が疲れたらお前が走れよ人間」
「ひっ、ひぃぃ……!!」
同伴の男ふたりが物騒なことを言っているとは露とも知らず、リンネは荷台の後部から空を見つめ、移ろう景色を夢中になって見つめているのだった。




