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2.収録(姫野視点)

収録スタジオへの廊下を歩きながら、ポケットに突っ込んだ手で軽く缶コーヒーを転がす。


今日だけでもう3本目。……やべ、そろそろカフェイン中毒にでもなっちまいそうだな。


 


天井の蛍光灯がやけに明るく感じるのは、きっと気のせいじゃない。……たぶん、あの子の顔が頭から離れないせいだ。


 


「……ったく、なんなんだよ、あの顔……」


 


さっきのあの子――いや、藍川茉莉香。


いつもは猫背で視線を泳がせてばっかりの根暗少女が、珍しく視線を合わせてきやがった。


それに本人が気づいているかどうかは分からない。だけど、既に分かっていることだってある。あの子、ああいう変化、全部顔に出るタイプだ。


 


「……へっ。ま、そういうとこ、見てて飽きないんだけどな」


 


けどさ。


そんな些細な事とかが、この業界じゃ命取りになっちまったりするんだよな。


前に進みだした途端デカい壁にぶち当たって、そのまま潰れちまって消えていったヤツらを今まで何人も見てきた。


 


忘れるはずもない――――数年前に起こった、あの世界的パンデミック。


 


世界が突然、止まった。


 


 それまで「会うのが当たり前」だった日常が、まるごと剥ぎ取られて、人と人の距離が強制的に離された。


 


 その代わりに急速に伸びたのが、動画コンテンツやe-Sportsとか、各種オンラインサービスの類だ。


 ――この業界も、その波に乗って一気に跳ね上がった。


 


 当時は、配信を始めさえすれば誰かしらが見に来てくれる時代だった。


 ファンも配信者も「特別」であることを意識するより先に、「繋がれる」ことそのものに熱狂していた。今思えば、あれは完全なるバブル景気でしかなかったんだろう。


 


 けど、今はもう違う。


 


 バブルはもう崩壊した。かつてのパンデミックも既に終息を迎えており、元の世界の姿に戻ってきている。しかしその一方で、かつての熱狂ぶりが忘れられないのか、全体的なVtuberの数は今でも指数関数的に増え続けている。そんなわけで、今じゃもう完全に飽和状態。


 


 どこを見ても似たような声、似たような企画、似たような配信枠が並んでる。


 もう“始めた”だけじゃ誰も振り向かないし、生き残るためには人並外れた工夫やセンス、覚悟がなきゃいけない。


 


 ――その過程で、潰れていった人間を山ほど見てきた。


 声が出なくなったヤツ、燃え尽きたヤツ、消えるように去っていったヤツ。


 名前なんて、もうほとんど思い出せない。消滅した事務所も数知れず。


 


 この世界って、そういう場所だ。


 冷たいって言えば冷たいし、残酷って言えば本当に残酷。


 


 「血も涙もない世界だよな、ホント……」


 


 誰に言うでもなく、ぼそっと呟く。


 私は今の仕事が好きだし、誇りだって持ってる。けど――それと同じくらい、どうしようもなく儚くて、脆い現実も知ってる。


 


 そんな世界で、あの藍川が――あんな根暗で、人前に立つのが苦手で、すぐ顔色をコロコロと変えたりするあの子が――最近ちょっとずつ変わってきてる。


 ……そのことが、なんか、ずっと頭の片隅に引っかかっているのだ。引っかかってはいるのだが――


 


「……けどなんつーか、腹が立つくらい、いい表情してたなぁ」


 


軽口まじりで呟いたのに、口元が勝手に緩む。あーもう、こういうのが面倒見たくなる原因なんだよ。


……チッ、やべぇな……私、ほんとチョロい先輩だな。


 


(しっかし、一体なにがあの子を変えたんだろうな?)


 


ここ数日間でほんの少し――いや、“本当にほんの少し”なんだけど、柔らかくなった。


 


(誤差と言っちゃあ、誤差なんだが……なんか、纏ってる空気自体がもう以前とは違うように見えたんだよな)


 


オーラとか、そういうフワッとした言い方は嫌いだけど――あえて言うなら、そういう感じ。


声のトーンも少し明るくなったし、目にうっすら光がある。


 


でも、それが“何がきっかけなのか”がまったく分からない。


誰かに何か言われたのか。


何か、いいことがあったのか。


あるいは、ただ気分が良くなっただけなのか。


 


(……いや、気分だけであそこまで変わるタマじゃねぇよな、あの子)


 


アタシの知ってる藍川茉莉香という人間は、頑固なまでに自分の世界に閉じこもってるヤツだ。


ちょっとやそっとじゃ殻なんか破らないし、人の言葉も表面だけ受け取ってすぐ壁を作る。


だから私は、たぶんあいつがちょっと笑ったり、少しだけ声を張るようになったり――そういう小さな変化を、無意識に“記録”してるんだと思う。


 


(……けどなぁ、ホントに分かんねぇ)


 


考えても、糸口すら掴めない。


マネージャーに聞いてみても、何か知ってそうな気配はなかったし、特に他のメンバーと絡んでる様子もない。


 


まさか恋バナとか……いやいや、あの子に限ってそれは――


……いや、でも、あの子も年頃の女だしな。


そういう可能性が“ゼロ”じゃないのが、逆に腹立つ。


 


(…………あーもう止めだ止めだ。何でこんなにマジになって考えてんだ私。別に保護者でも恋人でもねぇのに)


 


眉間に指を当てて、ひとつため息をつく。


 


(ま、そもそも無理に突き止める必要もねぇしな)


 


あの子が変わった理由が何であれ、悪いことじゃない。


少なくとも、前よりちょっと楽しそうだ。


それならそれで、私はそれを“見守る側”でいいのかもしれない。


ただ――。


あいつがあんなふうに笑えるようになった裏に、なにか“ひと押し”があったのは、間違いない。


 


(……まぁ、いずれ分かるか。あの子のことだし)


 


そうやって思考に耽っているうちに、廊下の先にある撮影スタジオの扉の前に着いていた。


 


扉を開け、周りのスタッフに「おいーす」と軽く挨拶しながら歩みを進めていく。すると、スタジオの端の方から「ひめのー」という声がかすかに聞こえた。そちらの方を振り返ってみると、そこにはスタジオ端に用意されたソファに横たわっている、なんだかポヤポヤした雰囲気の女性が一人。


――いや、これを女性って言うと何か語弊があるな。我が事務所の誇る狂人、とでも言うべきか。


 


「おーおースズちゃん。相変わらず好き勝手やってんねぇ」


 


「おぉ〜、姫野ー。おっつかれ〜。なんか今日、髪ハネてるよ」


 


「あんたも大概だろ。人の髪の毛チェックする前に、その寝ぐせ直せよ。なにその立体感」


 


聞いてる側が欠伸が出そうになる声でこちらを見上げるのは――スズちゃんこと事務所の大先輩、清白芽衣花すずしろ めいか


 


この事務所をここまで引っ張ってきた最古参メンバーであり――何よりぶっちぎりで一番の狂人。


……一体この人のどこが狂人なのかって?まぁ、見てりゃわかるよ。


 


とにかくこの人は――スズちゃんは、何もかも“普通”の物差しじゃ測れない。


会話のテンポも、思考の方向も、現場の空気の読み方も――いや、読んでるのかどうかも分からないけど。まぁ何というか、とにかく一人だけ別次元にいるって感じがする。


あとは……なんでか知らんけど、いっつも寝起きみたいテンションなんだよな。


 


「そういえば姫野さ〜、今日の収録、急に台本変わったって話聞いた〜?」


 


「聞いたよ。外部コラボ先が押してんだろ? だから冒頭の段取り、全部こっち持ちって話」


 


「そそそ〜。でもわたし、ほら、段取りとかそういうの、よく分かんないからさぁ〜……」


 


あっ、これヤバいやつ……。


 


「おい。……まさかとは思うけど――」


 


「………姫野、ぜんぶ任せた!」


 


「はい出たァアアアアアアア!!!」


 


……出たよ、いつもの。


まぁ、この人に逆らっても無駄だって、全員が学習済みなんだけどさ。


 


「なんでいつも、土壇場でブン投げてくんだよ……!」


 


「え〜? だって姫野、器用だし、声通るし、あたしよりセンスあるんだもん〜」


 


「単に褒めてんのか、おだてて押し付けてようとしてんのか分かんねぇんだよ!!」


 


地面にうつ伏せになり、五体投地で吠える私をよそに、スズちゃんは頬をぷにっとつまみながら「あ〜今日も可愛い〜」とか抜かしてる。


 


……何か変なモンとかキメてないよな?ホント。


 


けど――この人がこういうふうに登場するのは、別に今日に限ったことじゃない。


いつだってこの人は、最初から全開だ。


 


「ん〜〜姫野、今日の“スキル振り”は『ほんのりデレ寄り』だね〜」


 


「何その分析……バカにしてんの?」


 


「褒め言葉だよ?」


 


……そう。


この人、どんな状況でも軽口を叩いて、空気を一瞬でひっくり返す。


たとえ会議が修羅場だろうが、納期が燃え盛っていようが、嵐の真っ只中でもまるで自分だけ晴天の下にいるみたいな顔で笑ってんだ。


 


そして、不思議なことに――その“バカみたいなノリ”が、いつも現場を動かす。


 


スズちゃんが「いけるっしょ!」って言えば、みんな腹括る。


「やるぞ!」って言えば、なぜか全員が本気になる。


あの人には、そういう空気をひっぺがす力がある。


 


(……ずるい人だよな、ほんと)


 


だから、みんなから「狂人」と呼ばれながら、誰よりも慕われてる。


私だってそうだ。イラッとくるときは山ほどあるけど――この人の背中がなかったら、今のこの事務所はなかったってことくらい、分かってる。


 


「ったく。まだ胃薬のストックあったっけな……」


 


ボヤきながら照明の前に立つ。


ライトの白が視界を包み込んで、空気が一段階、きゅっと引き締まる感覚がする。


 


「よし……やるか。うちの後輩にカッコ悪い背中、見せらんねぇしな」


 


スズちゃんはその隣で、相変わらずポヤポヤした声で「ファイッ」とか言ってる。


”ファイッ”じゃねーんだよ……。ったく、この人と仕事すると、胃腸の消耗がエグイ。


 


でも――ま、何だか不思議と悪くない気分だ。



大根の別称に「すずしろ」っていうのがありますよね?ホラ、春の七草のアレです。


すずしろの漢字表記がすんごいムズイのは元々知ってたんですよ。そう、「蘿蔔」って書くんです。この表記見てどう思いました?きっと、こんなの読めるわけねーだろって誰しもが思ったはずです。


で、最近知ったんですが、どうやら「清白」って表記でもOKらしくて。絶対こっちの方が覚えやすいし、直読みしない所とか格好いいじゃないですか。なんでこっちをメインにしなかったんでしょうね?



何で急にこんな話をしたのかって?…………さぁ?なんででしょうね?

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