04話 ハルトヴィヒ公爵の離反
「さて、どうしたものか」
学院のパーティでの惨事の報告を受け、国王は眉間に皺を寄せた。
この時点では、息子であるテオバルド王太子が厄介な事件を起こした、と、その程度の認識だった。
「父上! 私はノイマン男爵令嬢ローザと結婚します!」
さらにテオバルド王太子が突撃してきて、国王は頭を抱えた。
「父上、ハルトヴィヒ公爵令嬢フィーネとの婚約を解消する手続きをお願いします。すでにフィーネからは了承を得ています。卒業パーティーにいた皆が証人です!」
(これが若気の至りというやつか。やれやれ……)
面倒な事になった、と国王は思った。
だが、ハルトヴィヒ公爵はへそを曲げて王宮に来ないかもしれない、あるいは、新年の祝賀会には出て来るだろうがきっと嫌味を言われるな、と、その程度に思っていた。
(さてハルトヴィヒに何と言えば良いか……)
大っぴらに婚約破棄をしているので撤回することは難しい。
仮にハルトヴィヒ公爵がこの件を水に流して、婚約が継続できたとしても、令嬢に恥をかかせたのだから何らかの賠償は必要だろう。
だが令嬢も婚約解消を承知したというのだから、継続はかなり難しい。
結婚する当事者の二人が、婚約解消を望んでいるのだ。
しかもそれが知れ渡ってしまっている。
(まずはハルトヴィヒに非礼を詫びる書状を送らねばなるまい。それで、あちらが何と言って来るか……)
国王はそんな悠長なことを考えていた。
貴族の反乱など、国王は生まれてから一度も体験したことが無かったからだ。
関係の悪くなった貴族はいても反乱にまで発展したことはなかった。
暗殺が疑われるような事件はあっても、戦争が起こったことはなかった。
国王が生まれてからずっと今まで、領土を得ることも失うこともなく、国境線が変わることは一度もなかった。
それゆえにハルトヴィヒ公爵が隣国に寝返り、ハルトヴィヒ公爵領が丸ごと隣国の領土になるなど全くの想定外だった。
◆
「ハルトヴィヒめ、売国するとは!」
国王はテオバルド王太子のやらかしについて、ハルトヴィヒ公爵に謝罪の書状を送ったが音沙汰がなく。
ようやく返事が来たかと思えば。
それはハルトヴィヒ公爵からの、公爵位の返上、およびフィーネとテオバルド王太子との婚約を破棄するという通達だった。
そして今後は隣国に仕えるという宣言。
ハルトヴィヒは隣国の国王に忠誠を誓い、すでに隣国から公爵位を授かっていた。
ハルトヴィヒ家が治める広大な領地は、隣国の領土となった。
王宮で緊急の会議が開かれた。
「重大な叛逆です!」
「いや、これはもう外交問題だ」
「売国だ」
「まずは話し合いを……」
「今後のためにも厳しく対応すべきでしょう」
「ぬるい対応をしていては示しがつきませんぞ」
会議は荒れた。
「そういえばハルトヴィヒの嫡子は、隣国の娘を妻にしていましたな」
「隣国のソルダン公の娘でしたか。前々から売国を考えていたのでは?」
(……!)
国王は思い出した。
テオバルド王太子に縁談をもちかけた、ハルトヴィヒ公爵の言葉を。
――隣国との均衡もありますので。
ハルトヴィヒの嫡子ユリアン・ハルトヴィヒが隣国のソルダン公爵の娘と婚約したので、本国との絆を深めるためにフィーネを王太子妃にという話だった。
国王はその話を理解していて覚えてもいた。
だが、王太子とフィーネが婚約解消したら、すぐにハルトヴィヒが隣国に寝返るような、そんな深刻な話だとは夢にも思っていなかった。
「テオバルド王太子殿下が、ハルトヴィヒの娘との婚約を継続していたら、こうはならなかったでしょうな」
状況に気付いた誰かがそう言った。
「学院のパーティーで婚約解消を叫び、令嬢に恥をかかせたとか」
「いやはや……」
結局、多数決により武力行使が決まった。
ハルトヴィヒ公爵は私兵団を持っていたが、大兵団というわけではない。
領地の治安に必要な最低限の兵団だ。
こちらが倍の兵力を出せば降伏するだろうという算段だった。
まさか隣国の辺境伯の兵団がすでにハルトヴィヒ公爵領に入っていたとは、この場にいた誰一人として予想していなかった。
もし貴族の婚姻に詳しい者がいれば、先々代の国王の時代に、ハルトヴィヒ公爵令嬢が隣国の辺境伯家に嫁いでいることに思い当たったかもしれない。
だがこの場にいる者の中には、ハルトヴィヒ公爵が隣国の辺境伯家と遠縁の関係にあることを知る者はいなかった。
隣国と国境を接しているハルトヴィヒ公爵領が、ここ数十年一度も隣国の侵略を受けていなかった所以は、婚姻により隣国と友好関係を築いていたからだった。
◆
緊急の会議に疲れ果てた国王は、王宮の私的な居住区に戻った。
すると、国王の帰りを待ち構えていたのか、すぐに息子テオバルド王太子が来た。
「父上、ローザをどこかの家の養女にしたいのです。彼女を王太子妃にするには身分が……」
「黙れ! それどころではないわ!」
国王に怒鳴られ、テオバルド王太子は訝し気に眉を寄せた。
「父上、どうなさったのです」
「そなたはしばらく謹慎しておれ!」
「は? 何故ですか?」
「男爵家の娘を妃にすることは許さん! そんなもの愛妾にすれば良かろう!」
「何を言うのです!」
不満をわめき出したテオバルド王太子を、国王は腹立たしく思った。
「誰のせいでこんなことになっていると思っておる! そなたが軽率に婚約破棄などしたからだ!」
テオバルド王太子の軽率な行動が原因であることは確かだった。
だが国王も、ハルトヴィヒ公爵の娘との婚約を解消した程度で、ハルトヴィヒ公爵領を丸ごと失うとは予想していなかった。
だからハルトヴィヒを軽んじていた。
テオバルド王太子が学院で令嬢たちにチヤホヤされていることは、国王は報告を受けて知っていた。
だが国王はそれを微笑ましく思っていた。
令嬢たちを虜にするとはさすがは自分の息子だと、密かに誇っていたほどだ。
テオバルド王太子が学院で、婚約者以外の、特定の令嬢に熱を上げているという報告も受けていた。
だが放置していた。
学院でハメを外すくらいは大した問題ではないと思っていたからだ。
それにその娘が気に入ったなら愛妾にすれば良いと軽く考えていた。
テオバルド王太子が学院で婚約者をないがしろにしていることについては、全く問題視していなかった。
ハルトヴィヒの娘は、結婚すれば王太子妃の位を得られるのだから、それで満足だろうと。
それに王立貴族学院はそもそも学びの場であり、婚約者と慣れ合う場所ではない。
王宮の舞踏会などの行事で婚約者のエスコートをすっぽかしたとあれば問題だが、学院で慣れ合わなかったとしても問題ではない。
だから放置した。
その結果が、ハルトヴィヒ公爵の離反だ。
テオバルド王太子の行いを諫めなかった自分にも落ち度があることを、国王は頭の隅では解っていた。
しかしそれを認めることが不愉快で、テオバルド王太子に当たった。
そして愚かなテオバルド王太子は、国王の気も知らず、相変わらず女のことばかり言っている。
それが国王を更に苛立たせた。
「テオバルドはしばらく謹慎させよ。連れて行け」
「父上!」
国王は侍従たちに命じ、テオバルド王太子を軟禁した。