03話 婚約破棄
「しかしフィーネの奴、少々つけ上がりすぎているな。ローザを脅したことは許せん」
テオバルド王太子は苦々しい顔で言った。
「公爵家の権威をふりかざして下位の者を脅すとはな。見下げた行いだ」
テオバルド王太子も王家の権威をふりかざしてフィーネを見下しているのではないか、とは、そのときのローザは気付けなかった。
「フィーネ様は、テオバルド様を愛しているのでしょうか。婚約を解消したくなくて、私にあんなことを言ったのでしょうか?」
「フィーネは私の王太子という地位が好きなだけだ。何度か交流したが、いつもツンとしていて、私を王太子としてしか見ていなかった」
ローザは知らないことだったが。
テオバルド王太子の前で、フィーネは公爵令嬢として慎ましい振舞いをしていて、それは下位貴族の令嬢たちの気さくな振舞いとは違っていた。
またテオバルド王太子は王立貴族学院に入学して、その美貌と王太子の地位により令嬢たちにチヤホヤされて、同年代の女性を見下すようになっていた。
平たく言えば、つけ上がったのだ。
テオバルド王太子は、下位貴族の令嬢たちの熱っぽい視線や、はにかみながらも話しかけてくる気さくな振る舞いを好ましく思った。
それに比例して、節度あるフィーネの振る舞いをつまらないと感じるようになっていった。
またこれもローザは知らないことだったが。
ローザは珍しいピンク髪と可愛らしい容姿とで、令息たちに間では密かに話題になっていた。
テオバルド王太子は、愛らしいローザが気に入ったということもあるが。
それ以外にも、戦利品を見せびらかすような快感にも酔っていた。
テオバルド王太子はローザと親密にすることで、ローザに興味を持っている多くの令息たちの羨望の眼差しを浴び、それに心地良い優越感を覚えていた。
学院から一歩外に出れば、ローザはしがない男爵令嬢だ。
しかし学生同士が対等に付き合うことのできる学院という閉鎖的空間の中では、容姿が優れているローザは令息たちの注目を集める存在だった。
慎ましい容姿の公爵令嬢フィーネよりも。
ましてや政治にまだ馴染のない箱入りの令息令嬢たちだ。
遠い地方の公爵領の重要性など知る由もない。
何の不自由もない生活をしている若い令息令嬢たちの関心事の大半は、麗しい異性のことだった。
「フィーネ様は、テオバルド様を愛しておられないのですか?」
「私に対する態度を見れば解る。冷たいものさ。フィーネは私と言う人間には興味がないのだ」
テオバルド王太子は、下位貴族の令嬢のように過剰に彼をチヤホヤしないフィーネの態度を「冷たい」と評していた。
見方と言い方を変えれば、公爵令嬢フィーネは高貴で慎ましく、下位貴族の令嬢たちの行動は蓮っ葉ではしたないと言えた。
しかしそんなことはローザは知らない。
テオバルド王太子がフィーネのことを「冷たい」と言ったので、フィーネはテオバルド王太子に冷たいのだと、ローザはそう素直に思った。
「フィーネは私の王太子の地位に執着しているだけだ。私と結婚すれば王太子妃になれるからな。地位を狙って私との結婚を望む者は多い。だが私は、愛のある結婚がしたい。結婚したら人生を共に歩むことになるのだ。それなら私は、真に愛する人と歩みたい。ローザ、君と……」
「テオバルド様……」
ローザはテオバルドの甘い囁きに絆された。
そこには愛し愛される幸せな未来があるように思えた。
その先に、まさか処刑台があるなど、夢にも思わなかったのだ。
「フィーネとて、私と愛のない結婚をしても幸せにはなれないだろう。これはフィーネのためでもある。だがあの女は高慢で頭が固い……」
テオバルド王太子は少し考えるようにして言った。
「公爵家の権力を振りかざしてローザを脅したことも許せん。フィーネには解らせてやる必要がある」
そうして……。
テオバルド王太子が思いついたのが、卒業パーティーでの婚約破棄だった。
大勢の前でフィーネの行いを糾弾して、公爵家の力を振りかざす高慢なフィーネの鼻っ柱を折る。
そして皆の前で、華々しく、ローザを新たな婚約者にすると宣言する。
というのが、テオバルドの計画だった。
王太子が悪役令嬢を成敗して、虐げられていたか弱い少女を助ける。
そして王太子と少女は、皆に祝福されて結婚する。
そんな陳腐な筋書の婚約破棄劇だった。
◆
――そして、卒業の式典の後のパーティーで。
婚約破棄劇は上演された。
「そう……。解ったわ」
テオバルド王太子がハルトヴィヒ公爵令嬢フィーネに婚約破棄を突き付けると。
フィーネはあっさりと了承した。
(え? ……良いの?)
それはローザの予想外の反応だった。
ローザはテオバルド王太子から、フィーネはテオバルド王太子の身分に執着していると聞かされていたからだ。
だがフィーネは何の執着も見せず、テオバルド王太子とローザの気持ちを確認すると、すんなりと婚約破棄を受け入れた。
微笑みすら浮かべて。
「婚約を破棄しましょう」
そしてフィーネはパーティー会場を後にした。
ハルトヴィヒ公爵家の派閥の令息令嬢たちもフィーネとともに退場した。
あまりにも静かな幕切れだった。
「……」
テオバルド王太子もフィーネの行動に呆気にとられている様子だった。
だが陳腐な婚約破棄劇が静かに幕を閉じた後、本物の戦争が幕を開けた。