02話 夢を見ていた
卒業を間近に控えた頃。
ローザは、公爵令嬢フィーネに再び忠告された。
「ローザ嬢、貴女にはテオバルド殿下の愛妾になる覚悟はあるの?」
フィーネは淡々とローザに語った。
「愛妾になったら一生、日陰の存在になるのよ。生まれた子も皆、庶子になるわ。耐えられて?」
「……テオバルド様は、私と結婚してくれると言いました」
「それは無理よ。テオバルド殿下は私と結婚するのだから、貴女とは結婚できないわ。私とテオバルド殿下との結婚は政略なの。だからローザ嬢がこのままテオバルド殿下とお付き合いを続けるなら、愛妾になるしかないのよ」
フィーネは表情を厳しくして言った。
「愛妾になりたくないなら、テオバルド殿下から離れなさい。誘われても断りなさい」
そのフィーネの言葉は、ローザの心に暗い影を落とした。
◆
ローザはフィーネから言われたことを、再びテオバルド王太子に相談した。
「あの女、またローザを虐めたのか。愛妾などと侮辱しおって……」
テオバルド王太子は憎々し気にそう零すと、ローザに優しく言った。
「安心しろ、ローザ。そなたは王太子妃になるのだ。愛妾になどしない。私が守ってやる」
テオバルド王太子はそう言ったが、ローザは男爵家の娘が王太子妃になれるのか不安に思った。
伯爵以上の身分がある家の娘でなければ、王族の妃にはなれないと聞いたことがあったから。
「男爵家の娘が王太子妃になれるでしょうか……」
「ローザには高位貴族の養女になってもらう。卒業したら、私が養家を探してやる。伯爵以上の家の養女ならば身分は問題ない」
「伯爵家が……私などを養女にしてくれるでしょうか?」
「ローザは私と結婚するのだ。王太子妃の実家になりたがる家はいくらでもある。私に任せておけ」
「フィーネ様は政略結婚だとおっしゃっていました。政略は大丈夫なのですか?」
「政略というほど大層なものではない。たしかに一応は政略だがな」
テオバルド王太子はローザに説明した。
「王家には、地方の公爵家と縁組をする慣習があるのだ。地方との絆を深めるためだ。政略といえば政略だが、今の時代さほど意味はない。廃れつつある慣習だ」
その話はローザも何となく知っていた。
王家から、王女が公爵家に降嫁したり、公爵家の娘が王妃になったりした歴史を知っていたからだ。
国史は学院でも学んでいる。
今の王妃を始めとする王族の妃たちがどこの家の娘なのかという話題も、教師や友人たちからそれとなく聞いていて知っていた。
「たまたま私の代にハルトヴィヒ公爵家に年齢の釣り合う娘がいたので、私との縁談が持ち上がっただけだ。私がフィーネと結婚しなくても、別の代の王族が結婚すれば良い。最近は公爵家との婚姻はなくなっているから、このまま廃れる慣習かもしれんがな」
戦乱の時代、地方領主との縁組は政略だった。
より強固な協力関係を結ぶためだ。
だがここ数十年ほどは、この国に戦争は起こっていなかった。
現在の国王は、戦争を経験していない。
国境での小競り合いはあったのだが、大規模な戦ではなかったため、すべて地方領主が解決していた。
国王は報告を聞くだけだった。
また、そういったことは軍関係や、政治に明るい者しか知らないことだった。
王都で平穏な日々を過ごしている者たちの大抵が、遠い国境で何が起こっているかなど知らないのだ。
何故なら、日々の生活に関わりのないことで、関心もなかったから。
ローザのような若い令嬢たちが関心を持っているのは、ドレスや装飾品の流行や、美味しいお菓子や、王宮での華やかな式典や大貴族の夜会の話題。
それからまだ婚約者がいない有望な令息や、誰と誰が婚約したの別れたのという類の噂話。
そんな他愛のない話をしていて許される平和が、この国にはあった。
それが国境付近の地方領主の尽力によるものだとは、ローザだけではなく他の大勢の者たちも知らなかった事だ。
国王ですら、報告を受けていても危機感を持っていなかった。
何故なら、国王が生まれてから今まで大事に至ったことが一度もないから。
「地方領主との縁組は、廃れかけている慣習だ。叔母上も公爵家には嫁がなかったからな。田舎は嫌だと言って……」
テオバルドは、叔母の若かりし頃の我儘に「やれやれ」と呆れながらも微笑ましく思っているのか、眉を下げながらも楽しそうに微笑んだ。
「田舎が嫌だという理由が通じるのだ。愛する者と結婚したいという私の理由だって通じる」
「そうだったのですね……」
テオバルドの話にローザは安堵した。
テオバルドの叔母、先王の王女が、伯爵夫人となって王都で暮らしていることはローザも知っている。
(そっか。ちょうど身分が釣り合うから婚約したんだ。そうよね、テオバルド様は王太子だもの。だから国王陛下は早い時期に婚約をまとめたんだわ)
「婚約しているだけだ。結婚しているわけではない。ローザ、安心しろ」
「はい」
現在の国王の代では、国境問題は地方領主がいつも解決していたので、王都では問題になったことがなかった。
ゆえに危機意識は薄れていた。
ローザにとってハルトヴィヒ公爵は、公爵という位を持っているから偉い、広い領地を持っているからお金持ち、くらいの認識だった。
遠い田舎に広大な領地を持っているらしい大貴族、という認識だ。
序列に従った作法は学んでいるので、公爵の身分が高いことは当然知っている。
だが、どうして身分が高いかという理由は考えたことがなかった。
ローザが生まれたときから王家も爵位も存在していたから。
ローザにとって王家や爵位は世界に最初からあるもので、そして変わりないものだった。
没落する貴族が稀にあるが、それは家の事情だったり何らかの事件が原因だったりするものだ。
それらは国家を揺るがしローザたちの生活を激変させるような事件ではなかった。
後から噂で聞く程度のことだ。
だから夢にも思わなかったのだ。
まさか戦争が起こり、王太子が王太子でなくなるなんて。