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空白のアクレリア  作者: 新田 あめ
第1章:セントラル
7/10

6.存在しない村

(今日はレイがいない……か)


イリアは椅子に座ったまま、小さく息を吐いた。

いつもの朝と違って、研究室が少しだけ広く感じる。


TMDに人手が足りず、レイは急遽任務に駆り出されたらしい。彼から送られてきた短いメッセージには、四日後に戻るとだけ記されていた。


「……四日間、長いな……」


つい口から漏れた言葉に、イリア自身がハッとする。

慌てて姿勢を正し、いつも通り作業に取りかかろうとしたその時——


コンコンッと扉をノックする音がした。


「はーい」


返事をするのと同時にドアが開き、ニーナが顔を覗かせた。


「イリア、調子はどう?エルシードくんとはうまくやってる?」


「……まぁそこそこ。でも今日から四日間はTMDの任務で不在みたい」


「なに〜?その言い方、ちょっと寂しそうじゃん」


イリアは小さく笑いながら、「別に、そんなことないよ」と返した。

そのやり取りのあと、ふいにニーナの表情が真剣なものへと変わる。


「……イリア、ライゼス村のことなんだけどさ」


空気が一瞬で張り詰めた。

イリアは無意識に息を呑み、ニーナの次の言葉を待つ。


「最近、生活応用開発部門のスタッフで、北部山岳エリアの調査に行った人がいたの。……で、ちょっと聞いてみたんだけど、変なことを言ってたのよ。“その辺りにライゼス村なんて名前の村は存在しない。セントラルの管理地しかない”って」


「……え?」


イリアの思考が一瞬で凍りつく。

存在しない? 村が? 私の家族が住んでる、あの場所が?


「北部山岳エリアには、ルクスの管理棟と、管理スタッフの住宅だけがあるって。書類上でも“無人区域”だと記録されてたって……。おかしいわよね?」


(理解が追いつかない……)


目の前の現実が崩れていくような錯覚。

イリアの手が、気づかぬうちにわずかに震えていた。


ニーナが、心配そうに顔を覗き込む。


「イリア、大丈夫? 私の方でも、もっと詳しく調べてみようか? ……上層のアクセス権が必要になるかもしれないけど、頼めば——」


「ううん、大丈夫。ありがとう。でも……ニーナを巻き込みたくないから」


イリアは静かに微笑んだ。けれどその笑みには、どこか痛々しい力がこもっていた。


「……そう。分かった。でも、無理しないで。何かあったら言ってちょうだいね」


ニーナの声には、なお消えない迷いと不安が滲んでいた。


***


ニーナが研究室を出ていったあと、イリアはその場にじっと座ったまま、しばらく動けずにいた。


心臓の鼓動が、自分でも不快なほどに速い。胸の奥がざわつく。指先が冷たい。


(……ライゼス村が、存在しない?)


自分が生まれ育った、あの場所が。家族が今も暮らしているはずの村が、無人区域?


(気になる。確かめたい。……今すぐ)


イリアは研究机の端末を立ち上げる。機関ネットワークに接続し、ログイン。手のひらに汗を感じながら、キーワードを入力する。


「北部山岳エリア ルクス管理棟」


検索開始。


でも、結果は予想通りだった。


——何も、出てこない。


「該当する結果はありません」と、機械的な文が表示されるだけ。


(……やっぱり)


イリアは深く息を吐く。


3ヶ月前に届いた母からの手紙。いつものように、村の近況や天気の話、イリアの体調を気遣う文面だった。そこに、管理棟の話など一切なかった。

——もちろん、それまでの手紙にもそんな話はなかった。


もし、村のすぐそばにそんな大規模な施設ができていたなら、母が黙っているはずがない。

母は、些細な出来事でも必ず知らせてくれた人だ。誰かが転んだとか、飼い犬が逃げたとか、近所の子供が木から落ちたとか——それすら手紙に書くような人だった。


(……おかしすぎる)


イリアの中で、ひとつの仮説がかたちを成していく。


——何らかの理由で、ライゼス村は消された。

——その場所、あるいは近くに、ルクスの管理棟が建てられた。


この3ヶ月でライゼス村が消され、その跡地に管理棟が建てられたのだとしたら。つまり、最近になって建てられたものなのだとしたら……。

今はまだデータベースに記録がないのも、頷ける。もしくは、機関が意図的に隠しているのか。


自然災害なんかじゃない。地図から削除され、名前も消え、痕跡すら残されていないのだ。

もしこれが機関の手によるものだとしたら、そこには意図と計画がある。


そして、その計画の名はおそらく——《REBOOT》。


ふと、頭をよぎる。


(エルシードくんの故郷は?)


彼は確か、5歳のときにセントラルに保護された。

故郷が無くなったと言っていた。でもその詳細を、本人の口からは一度も聞いたことがない。

語らなかったのではなく──何も知らず、語れなかったのかもしれない。


あの資料、《孤児育成プログラム選別レポート》の中で見つけた──レイだと思われる子供のページにあった記述。


「X-11857 初期化完了。国内対象データ、全消去」


イリアは震える手で、今度は国内に存在するルクス管理棟の情報を検索した。

今回は、広域データベースにアクセスするために許可申請を飛ばす。数分の待機の末、承認が下りた。


——結果は、驚くほどあっさり出た。


画面に表示されたのは、国内に点在する数多の管理施設の分布マップ。

それぞれの管理棟には建設年、所在地、用途が簡易的に記載されていた。


イリアは目を凝らし、リストをスクロールする。


(レイが保護されたのは、20年前。つまり、その頃、もしくはそれより少し前に建てられた棟が怪しい)


表示順を【建設年順(古い順)】に並べ替えた。

一番上に表示されたのは、ちょうど20年前に建設された管理棟だった。


********

管理棟 No.01/南西トロム湿原地区

建設年月:21**年6月

備考:初期対応施設・旧型処理区画あり

********


「トロム湿原……聞いたことない名前」


イリアの眉がわずかに動く。


(レイが生まれた場所、消えた故郷が……もしかしたら、この施設と繋がってるかもしれない)


——まだ仮説でしかないけれど

村が、何らかの理由で地図から消され、その痕跡の上に「管理棟」が建てられる。

これが一箇所ならまだしも、他にもあったら?

管理棟という名目のもとで、どれだけの集落が——どれだけの人が、過去を奪われたのか。


「…………っ」


イリアはそっと、ノートを手元に引き寄せた。

ライゼス村、ルクス管理棟、トロル湿原……

いくつかの言葉をメモした後、深呼吸をした。

少しだけ背筋を伸ばし、首を回す。


脳はまだ冴えているが、目の奥に疲れが溜まっているのを感じる。


(この先、何が出てくるんだろう)


レイには、まだ話せない。

レイの“過去”に関わるかもしれないことを、確かな根拠もなくぶつけるわけにはいかない。


でも、真実から目を逸らすこともできなかった。


「ごめんね、エルシードくん……でも私は、知りたい」


独り言のようにそう呟き、イリアは研究室の照明を少しだけ落とした。

再びノートに目を落としながら、次に調べるべき項目を脳内で整理していく。


これ以上進めば、もう元には戻れない。

でも——それでも構わない、真実が知りたい。


"REBOOT=再起動"


その単語が、イリアの脳内を支配していた。


***


レイがTMD任務に出てから、3日目。


ライゼス村の件が頭から離れず、イリアは仕事にも集中できないでいた。


「……はぁ」


食堂で軽く昼食を済ませ、廊下を歩く足取りも重い。


(こういう時、誰かと一緒にいたら、少しは落ち着くかもしれないのに……)


そんなことを考えながら、角を曲がった瞬間だった。


研究室の前に、見慣れた黒髪の男が立っていた。


「……え?」


「任務、急いで終わらせてきた」


レイは淡々と言う。


イリアの中で何かが、ふっと緩んだ。


(戻ってきた……)


それだけで、なぜか涙が出そうになるくらい、安心してしまった。


「……ありがとう」


「なんのことだ?」


イリアは何も言わず、ただ笑った。

緊張が、ようやく少し解かれた気がした——その笑顔は、久しぶりに心からのものだった。

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