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空白のアクレリア  作者: 新田 あめ
第1章:セントラル
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5.イリアの寝顔

天井の蛍光灯が、無機質にイリアの横顔を照らしていた。

シャワーを浴びた後、イリアはタオルで髪を軽く拭きながら自分の研究室に戻ってきていた。

時計の針は、すでに深夜を回っている。だが、帰宅する気にはどうしてもなれなかった。


(レイの、故郷……)


研究用の端末を立ち上げ、データベースに再びアクセスする。


レイの過去を探る中で、目に留まった不穏な計画名《プロジェクトREBOOT/AA-LUX》。

「ルクス鉱に依存した領域の再構成。制御不能な“覚醒”を起こしたエリアを無害化・初期化するための限定指令」


その一文を思い返す。


(無害化、初期化……それって、エリア…つまり村や町ごと消すってこと?)


イリアは唇を噛んだ。もしこの予想が当たっていたなら、レイの故郷が消えた理由も説明がついてしまう。


しかもこのプロジェクト、記録上では約20年前からいくつかの“試行”がされているようだった。名前こそ微妙に異なるものの、《REBOOT》といったワードは、いくつかの記録に登場している。


しかし、どの記録も断片的だ。

アクセス権の問題か、意図的な改ざんか……判断はつかない。


(ルクス鉱への依存……)


幻覚作用。高揚感。依存性。反動。

イリアは自分のノートに、思いつくキーワードを一つずつ記録していった。


研究棟内はひっそりと静まり返り、空調のかすかな音だけが響いている。

蛍光灯の下で机に向かっていたイリアは、やがて限界を迎え、顔を伏せたまま浅い眠りに落ちていった。


***


レイは、研究棟の廊下を静かに歩いていた。

特に理由があるわけではなかった。ただ、足が自然とこの場所へ向いてしまう。


(主任の研究室は、落ち着く……)


研究室の前まで来ると、そっと扉をノックした。

……返事はない。


(また作業に集中してるのか)


レイはドアノブを回す。鍵はかかっていなかった。


室内に入ると、そこには、椅子に腰かけたまま眠っているイリアの姿があった。

机の上には開いたままのノート、スリープモードらしい端末。薄手の服をまとい、髪はまだ少し湿っている。


「……風邪ひくぞ」


レイはそっと彼女に近づき、自分のジャケットを肩にかけた。

意図せず、机の上のノートが目に入る。そこには、プロジェクト名のようなものと、びっしりと手書きのメモが残されていた。


(プロジェクト……REBOOT?)


一度も聞いたことがない名称だった。だが、それが正式な業務ではなく、イリアが独自に調べているものだと、すぐに察した。


レイは少しだけ悩んだあと、ソファに腰掛けた。


(鍵もかけずに一人で寝るなんて、警戒心がなさすぎる)


自分でも理由はうまく説明できない。だが、イリアをこんな無防備な状態で放っておくのは気が引けた。

それに——彼女の寝顔を、誰かに見せたくなかった。


部屋に置かれていた古いデータファイルを手に取り、レイは無言でページを捲っていく。


***


まぶたの奥に、ぼんやりと光が差し込んできた。

イリアはゆっくりと顔を上げる。


「……あれ、寝ちゃってた……?」


身体を伸ばしながら、「ん〜」と軽く声を漏らす。

その瞬間、背後から紙を捲る音が聞こえた。


(えっ……誰かいる?)


慌てて振り返ると、ソファに腰をかけていたレイがこちらを見ていた。


「起きたか。おはよう」


「えっ……もうそんな時間?!」


イリアは慌てて時計を見る。


「いや、まだ始業時間前だ。主任はいつも早いから、もう来てるかと思って……すまない」


「……そっか」


さらにイリアは、ぱちりと瞬きをしてから少し照れたように尋ねた。


「……寝顔、見た?」


少しの間を置いて、レイは視線を落としながら答える。


「いや……すまない」


イリアは、ノートも見られたのではないかと頭をよぎったが、あえて口にはしなかった。


しばらく沈黙が続いたあと、イリアはふと、自分の肩にかかっている布に気が付いた。

見覚えのあるジャケット。レイのだ。


「……これ」


「ああ、朝方は冷えてたからな」


レイの声はいつもより少しだけ優しかった。

イリアは小さく笑って、「ありがとう」と言った。

胸の奥が、じんわりとあたたかくなっていた。


***


この日の業務を終えると、レイはいつも通りまっすぐ自室へ戻った。

セントラル機関の敷地内、TMD所属者用の宿舎フロア。その一角にある、何年も使い続けている部屋だった。


本来なら、部署が変われば居住エリアも移るのが原則だ。だが、レイは例外だった。

戦術鉱装部門への異動はあくまで“暫定的”なもの。人員が不足すれば、TMDに戻される可能性が高かった。だから部屋もそのまま、このエリアに留まっている。


部屋の鍵を開け、中に足を踏み入れる。

照明を点けると、見慣れた無機質な光景がそこにあった。デスク、シングルベッド、ロッカー。壁は無地の白。整然としすぎて、まるで“人が住んでいない部屋”のようだ。


レイは制服の上着を脱ぎ、ベッドの縁に腰を下ろす。

無意識に、イリアの寝顔と——その横にあったノートを思い出す。


《プロジェクトREBOOT/AA-LUX》。


彼女のノートに書かれていたその計画名。レイが初めてその文字列を目にしたのは数日前、研究室で眠りこけていたイリアを見つけたときだった。


イリアと出会ってから、もうすぐ3週間になる。

ほとんど毎日顔を合わせ、研究室で共に時間を過ごしてきた。彼女はよく喋る。明るく、時におっちょこちょいで——それでも仕事に対しては真剣で、頼れる存在。

好み。故郷の話。日常の些細なことまで、彼女はよく話してくれた。


だからこそ——あのプロジェクト名について、彼女の口から一度も聞いたことがないのが逆に引っかかっていた。


(俺には、言えないことなのか……?)


レイは静かに端末を取り出し、電源を入れた。

TMD所属者専用の情報データベースにアクセスする。IDとパスワードを入力し、検索ウィンドウに、あのプロジェクト名を打ち込んだ。


《プロジェクトREBOOT》


画面が検索結果を表示するまでの数秒が、妙に長く感じられた。

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