9.レイの確信
「クロイツ部長にちょっと用があるから、少しだけ待っててくれる?」
扉の前でそう言い残し、イリアは足早に研究室を出ていった。
その声も仕草も、普段と変わらないように見えたが——どこか、言葉の終わりに“決意”のようなものが感じられた。
レイは無言で軽く頷き、鉱装へと視線を戻す。
研究用の鉱装ユニット。イリアと共に進めている新型設計の調整作業は、今も続いている。
イリアが部屋を出た後、部品配置の最適化を進める上で、確認したい点が浮かんだ。
——イリアが描いた設計の初期案
彼女は以前、「わからないことがあったら、いつでも私の端末見ていいからね」と当然のように言っていた。
(ロックがかかっているだろうが…)
レイは大して期待もせず、イリアの端末に手を伸ばした。
スリープ状態。
ロックは、掛かっていなかった。
普段は必ず掛けているのに、今日は珍しい。
(……急いでたのか)
レイは一瞬だけ指を止めたが、そのまま端末を起動した。
目当ての設計図を探そうとして、画面の一角で開かれている別のファイルが目に入った。
——「休暇申請」
レイの指が止まる。
申請期間は“3週間”。開始日は……明日から。
作成時刻は、ついさっき。
("クロイツ部長に用がある"。その理由はこれか)
嫌な予感がした。
ゆっくりと、他の開いているウィンドウに視線を移す。
開かれていたのは機関のデータベース。レイは彼女がここ最近調べていた検索履歴の一覧を開く。
ルクス管理棟、ルクス鉱への依存、そして——
《ライゼス村》
「……」
その名前を見た瞬間、レイの中で記憶がよみがえった。
イリアのノートに書き留められていた一つの単語。
《プロジェクトREBOOT/AA-LUX》
ただの偶然で目に入ったにすぎなかった。
けれどその言葉がどうにも引っかかり、レイもまたイリアと同じように調査を進めていたのだ。
TMD上層部しかアクセスできないデータベースをハッキングして調べてみると、最新の《REBOOT》対象地域のみが非公式に残されていた。
それは、イリアの口から聞いたことのある名称だった。
——《エリアコード:X-20032(通称:ライゼス村)》
(イリアにとって、“ライゼス村”が何なのか。聞いたことはない)
でも、その名を口にした時の彼女の表情が、忘れられなかった。
どこか、目の奥が揺れるような、遠くを見ているような——そんな顔だった。
「あれは……イリアの故郷か」
あの辺りまでは片道で1週間。調査まで含めれば、最短で往復3週間が妥当だろう。
—— 3週間の休暇申請に、直近の検索履歴。あまりにも露骨だ。
「……一人で行く気か」
誰に聞かせるでもない、独り言。けれど、その声音には淡い焦りが混ざっていた。
機関が関わっている場所に、一人で突っ込もうとしている。
しかも、データベースに検索履歴を残して。
(まずい……最悪、もう目をつけられてる)
背筋を何かが駆け上がり、思わず息が詰まる。冷静でいろ、と自分に言い聞かせても、胸の奥のざわめきは収まらなかった。
レイは端末を閉じ、急いで部屋を出る。
——はやく止めなければ。
⸻
廊下を足早に進みながら、イリアの姿を探す。
彼女の足が向かう先は、クロイツ部長の執務室だ。
(間に合え……)
自分の足音が、やけに響いて聞こえた。
どうして一人で行こうとする。
どうして言ってくれなかった。
——もっと早く、気づいていれば。
そう思ったところで、クロイツ部長の部屋に辿り着いてしまった。
息を潜め、扉の前に立つ。
中から声が聞こえてきた。
イリアの声。部長の声。
会話しているのは間違いないが、内容までは聞き取れない。
ドアの隙間に耳を寄せるわけにもいかず、レイはすぐに判断を変える。
——イリアとの鉢合わせは避ける。
扉の奥の曲がり角に身を潜めた。
やがて、扉が開きイリアが出てきた。
姿勢を低くして、気配を消す。
イリアの顔色は、ほんの少しだけ暗かった。
数十秒後——
続いて現れたのはクロイツ部長だった。
手には、一枚の書類。あれはおそらく、イリアが渡した休暇申請だ。
表情に変化はない。だが、歩調がわずかに速い。
何かを急いでいるような足取りだった。
レイは物音ひとつ立てずに、その背を追った。
クロイツ部長の足は、中央管理棟へと向かう。
やがて、上層の者しか立ち入れないID認証フロアに直通するエレベーターへ乗り込んだ。
「……上階か」
最上階に近い、情報管理エリア。国の重要な情報は、そこで管理されている。
部長がそこへ入るとしたら、よほど大きな問題がある時だけだ。
(このタイミング……)
やはり、イリアの休暇申請が機関の確信につながったと見るべきだ。
レイの胸にあった嫌な予感が、現実味を帯びて大きくなる。
——このままでは、イリアが危ない。
レイは踵を返し、再び研究室へと戻った。




