仕立て屋カリンの観察眼
シンプルで静かな短編です。寝る前にでもどうぞ。
「今日もありがとー」
「はーいまたねー」
本日の営業を終え、カリンは一息ついていた。
温かい紅茶にチョコレートクッキーが二枚。ささやかな瞬間ではあるが、これがカリンにとっては何よりもたまらないひと時なのだ。
小さな町に建てた小さなお店。戦乱ばかりの世とは離れた世界で、ゆっくりと町人たちの服の仕立てをする。身分や階級などとは無縁のこの町は、カリンにとってとても居心地が良かった。
齢二歳で針を持ってから十五年。まだ十七歳の少女は既に達観し、人生において『ゆったりと流れていく時』こそが最も美しく素晴らしいことだと理解していた。
それほどまでに仕立て屋という仕事は、人の人生に触れる機会が多いのだ。
紅茶を半分ほど飲み終え、今日一日分の疲れを吐息で外へと流した。
その時、軽いノックの音が二回響いた。
「ん?なんだろ?」
カリンの返事を待たずに、扉が開いた。
「すいません、もう閉店でしたか?」
声の主は、見慣れない若い男だった。 整った顔立ちだが、粗末な旅装束。金色の髪には整髪剤はつけられておらず、寝起きに近い状態。けれど、背筋の伸びた姿勢と靴の磨き方は田舎者のものではない。
第一声の言葉遣いからしても、物盗りなどの危険な相手でないことは予想出来た。
「まあ少しぐらいなら。どうされましたか?」
「この服にほつれがありましてね。少し急ぎの用事がありまして、早急に直していただけるとありがたいのですが」
「あぁ。これぐらいならすぐに……」
言いかけて、カリンは少し黙った。
手渡されたのは軍服。
『ドレスレッド』と呼ばれる濃い赤色。近隣の大国”アルドルド”の騎士団のものだ。
しかもこのタイプは、迷彩効果の施された戦闘服とは違い士官用。
左胸の布地にはいくつかの縫い跡。この位置から考えると、勲章が縫い付けられていたと推測出来る。それに不自然な引きつり。千切れた糸が腰に落ちている。強引に引き剥がしたのであろう。
カリンはもう一度男を見た。
この男は身分を隠そうとしている。それでいて、バレても問題ないと思っている。ということはつまり———何かを試している。
それもそうだ。アルドルドからこの村までは馬車に乗って半日以上はかかる。この程度のほつれを直すためにわざわざこの村に来る必要などない。
では、一体何を?
いや内容はどうだっていい。
この男が満足しつつ、自分とこの村に何も起こらなければそれでいい。
ただ当たり障りなく、いつものお客様の一人としてやり過ごす。
カリンは男に向かって微笑んだ。
「十分ほどでお直しさせて頂きます。しばらくそちらにお掛けくださっていてください」
そう言って、入口の横の椅子を指差した。
しかし、男は座ろうとする素振りすら見せない。
「ありがたいですが結構です。仕立てに興味がありましてね。失礼でなければ、是非とも勉強させて頂ければと思います」
「かしこまりました。退屈されないといいですが」
意外な返答にやりにくさを感じつつも、特に断る理由も思い浮かばなかった。
カリンは仕事に取り掛かった。
カリンの糸棚には、全部で320種類の色とりどりの糸が準備されている。かなりの色に対応できるようにはしているが、カリン自身はもっと増やしたいと思っている。
軍服を丁寧に広げ、何度も見比べながら色を厳選していく。
リッチな色合いに加え一般の服よりも頑丈な糸で作られているため、なかなか全く同じものを見つけるのは難しい。
糸棚には全く同じ糸は置いていなかった。
適当に近い色を見繕って仕事を済ませる。ということも可能ではあったが、カリンの仕立てのプロとしての矜持がそれを許さない。
「少しお待ちを」
カリンは軍服を机に置くと、一度裏の倉庫へと入った。
そこにはカリンでも数えきれないほどの数千種類の糸が綺麗に並べられていた。
その中から、カリンは迷わずに一つの赤い糸を選びとると、小さくため息をついた。
「はぁ……騎士団なんてもう二度と関わりたくないのに……仕事も適当に出来ないなんて、ほんと嫌な性格に生まれてしまったものだわ」
店頭に戻り「お待たせしました」と一言告げると、糸を針に通した。
手際よくほつれの中へと針を運んでいく。
繊細な集中を要するこの作業であるが、カリンは慣れた手先で淀みなく進めていく。
「そういえば、ミシンは置いていないのですね」
男が店内を見回しながらそう言った。
「ええ。ミシンだと自分の感覚とは少し離れてしまう気がして……」
「なるほど。道理で……素晴らしい技術だ」
「いえいえ。大したことありませんよ」
「謙虚ですね。ところで、僕の正体にはもうお気づきでしょうか?」
男は目を細めて微笑んでいる。
カリンの手が、わずかに止まった。
「どこかの軍の方、それぐらいですかね」
「まあいいか。では、私の目的は?」
「冗談はやめてください。そんなこと、分かるはずありませんよ」
「いや、貴方は気づいている。普通の人間が、このドレスレッドの糸をものの数秒で選んで戻ってくる事は出来ないんです」
カリンは、軍服から一度も視線を逸らさず、静かに針を通し続けていた。
逆に男は、カリンから一瞬も目を逸らさない。
「仕事柄、糸を選ぶのが得意なだけですよ」
「それに、素晴らしい手際だ。一つの無駄も乱れもない。やはり貴方こそが、僕が探し回っていた人で間違いない」
男は興奮気味に続ける。
「あなたは、”仕立てた服を着れば、必ず戦場から生きて帰って来られる”と言われた”仕立ての女神”カリン。違いますか?」
「そんなの、ただの迷信ですよね?」
「否定はしませんか。充分です」
男が言い終わると同時に、カリンは針を置いた。
軍服のほつれは、優雅に流れる川のように完璧に縫い合わされていた。それはまるで、ほつれなど元々無かったかのようだった。
「終わりました。どうぞ」
男は、手渡された軍服を手に取り広げると、感嘆した。
「完璧だ」
「大層ですよ」
「いーや。私の目に狂いはない。貴方は本物の仕立ての女神だ」
男は軍服に袖を通した。簡単に髪を整えると、カリンに手を差し出しこう言った。
「申し遅れました。私はアルドルド王国国王直属騎士団団長カイール•ランドです。
カリン様。貴方の話は、ずっと父から聞かされていました。十歳の頃には既に幹部全員の仕立てを任されていたとか。
私が騎士団に入る直前で消息を立ったと聞かされ、ずっと探していたのです」
カイールの目は、まるで宝物を見つけた子供のように輝いている。
「もうすぐ大きな戦が始まります。是非とも、もう一度騎士団に戻って、仕立ててもらいたい」
「それは出来ません」
カリンは目を背けた。
「私は、もう戦いの為に仕立てるのはやめたのです。私が仕立てるのは誰かの”生”の為。
騎士団で服を仕立てるのは”死”を縫い合わせているように思えて仕方が無いのです。
それに、ここの生活もとても気に入っています、離れる理由はありません」
「では、騎士団のためではなく、私カイールの為だけに仕立てると言うのはどうですか?」
「どういう意味ですか?」
「なに、それ程までに私は貴方に惚れ込んでいるのです。貴方の仕事ぶり。貴方の考え、それら全てが貴方を美しくしている。
どうしても貴方に騎士団に戻っていただきたい。
一言で言えば”一目惚れ”と言ったところです」
一切迷いのない眼差し。
服にシワの一つも作らない程の直立。
少しだけ跳ねた髪。
この男は、嘘を言うタイプではない。そして、たぶん少しおバカだとカリンは思った。
「恋の言葉は、簡単に吐くものではないですよ」
「もちろん。私は軽々しい男ではありません。これは騎士団長ではなく、一人の男としての申し出です。
私の”生”の為、是非とも仕立てをお願いしたい」
カリンは、少し目線を下に送った。
冷め切った紅茶カップが、静かに揺れながらカリンを映している。
「申し訳ございませんが、お断りさせていただきます」
「そうですか。では、また日を改めて正式にご依頼をさせて頂きます」
「いや、お断りさせていただいたんですが?」
「男という生き物は、時に強引な物なのですよ。それに貴方はきっと来る。職人というものは、客の熱心な願いを断れないものですから」
「意地悪なんですね」
「いいや。それ程までに貴方がほしいということですよ」
そう言うとカイールは、丁寧なお辞儀をした後、店を出た。
カリンは椅子に座ると、クッキーをひとかじり。
少しシケってる。もう一つ出そうかな。
そう思って席を立った瞬間、カリンは気づいた。
「あっ!お代もらってない!」
カリンはクッキーを諦めた。
後日、カリンの元にアルドルド騎士団から一通の手紙が届いた。
このあとカリンは騎士団に向かい、仕立ての女神として皆を導くことになるだが、それはまた別の話。
少し謎は残しつつ……
お読み頂きありがとうございました。