表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/15

第六話 見えぬ明日

 

 夜が明けきらぬ山道に、湿った土の匂いが立ち込めていた。木々の間を縫うように、白虎士番隊の列が進んでいく。湊――いや、“酒井峰治”もその一員として、静かに歩を進めていた。


 足元はぬかるみ、草の露が脚絆を濡らす。風が冷たく、だが心はもっと冷え込んでいた。


 (本当に……行くのか)


 自問は意味を持たなかった。すでに命令は下り、列は止まることなく戸ノ口原を目指している。


 背後から、伊東悌次郎の声がした。


「なあ酒井、剣は研いできたか?」


 湊は一瞬、返答に詰まる。だがすぐに、言葉を繕った。


「……中村がやってくれた」


「お、そりゃ心強ぇな」


 中村時太郎が笑って応じる。「お前の剣、切れ味悪いと怪我するだけだしな」


 いつもと変わらぬ軽口。しかし湊は、どこかその笑いの奥に無理を感じた。


 隊はやがて林を抜け、広がる原野――戸ノ口原へと差し掛かる。霧がまだ低く漂い、遠くの山影がぼんやりと見える。


 その瞬間だった。


 「前方に敵影!」


 斥候の声が響く。緊張が列を駆け抜け、誰もが鞘に手をかけた。


 湊もまた、腰の刀に手を添える。その手が、微かに震えていた。


 (来る……)


 銃声。


 最初の一発は、乾いた風を裂いた。


 次いで、怒涛のような銃撃が続く。新政府軍の先鋒が突如霧の中から現れ、乱戦が始まった。


 「下がるな! 前を崩すな!」


 指揮官の叫びが飛ぶ。


 白虎隊は必死に応戦するも、相手は数も装備も上。薩摩、長州、土佐の連携は見事で、銃と剣が次々に仲間をなぎ倒していく。


 湊は目の前で、見知った顔が血に倒れるのを見た。


 息を呑む間もなく、敵兵が迫る。反射的に抜いた刀が、ようやく一太刀を受け止める。


 手が、痛いほどしびれた。腕の芯が震え、それでも足を止めることは許されなかった。


 「酒井! 下がれ、囲まれるぞ!」


 篠田儀三郎の声が飛ぶ。


 後方では会津軍の本体が崩れ、全体が退却を始めていた。混乱と恐怖が地面に渦を巻くように広がっていく。


 「撤退だ! 戸ノ口原から離れろ!」


 命令が飛ぶと同時に、湊たちは山の方角へと走り始めた。


 仲間の姿がばらばらになっていく中、湊は必死に中村と伊東を探す。ようやく視界の端に二人の姿を捉え、合流する。


 「大丈夫か!」


 「足にかすった……だがまだ動ける!」


 負傷しながらも必死に笑う伊東の姿に、湊は喉の奥が熱くなるのを感じた。


 (俺は……ここで死ぬのか?)


 震えが、また戻ってくる。だがそのとき、篠田が背後から叫んだ。


 「生き残れ、酒井! お前は生きて伝える役目があるんだ!」


 その言葉は、湊の胸を貫いた。


 生きて、伝える。


 それはこの時代にいない“未来の者”としての、唯一の存在理由に思えた。


 「分かった、必ず……!」


 返す声が、かすれていた。


 夕刻、ようやく野営地の端に辿り着いた湊たちは、そこで夜を迎える。


 飯盛山の影が、遠くに霞んでいた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ