第十三話 静けさのなかで、
夕焼けが、鶴ヶ城の西の壁を金に染めていた。
湊はその縁に立ち、黙って町の方を見下ろしていた。城下町の屋根瓦は薄煙にかすみ、まるで静止した絵のようだった。だが、その下では誰かが死に、誰かが泣いている。たった二十日前まで、自分が立っていた“時代”からは想像もつかない、血の匂いが満ちている。
「峰治さん」
背後から、すみの声がした。振り返ると、彼女の手には布で包んだ味噌団子が三つ。彼女は湊の隣に立ち、同じ景色を見つめた。
「今日、また一人、戻らなかったって……五番小隊の小林さん」
湊は、静かにうなずいた。名前を記録したばかりだ。少年たちの命が、ひとつ、またひとつと、“未来”に届かない数字になっていく。
夕暮れの光が城内に柔らかく射し込む。
医務室では、包帯を巻かれた白虎隊士たちが、畳に寝転んだり、壁にもたれたりして、ぼんやりと過ごしていた。いくつかの湯呑に、お茶が冷めかけている。
「鶴ヶ城が落ちたら、俺たちどうなるんだろうな……」
誰かが、口にした。
「俺は母上に、もう一度、味噌汁を飲ませたかった」
「……あいつ、親父の柿嫌いでさ。干し柿だけは残してたんだよ、いつも」
笑っているのか、泣いているのか、分からない声が重なる。
湊は壁際に座り、湯呑を手の中で転がしていた。過去の話、未来の話。どちらも遠く、自分にとっては異邦の風景だった。
「未来か……」
呟いたとき、ふと視線を感じた。
すみが、こちらを見ていた。
その夜、医務室の片隅。
すみが、湊の前に膝をついた。灯火管制で、部屋の明かりは最小限に抑えられている。
「峰治さん。城が……落ちたら、どうするの?」
その問いに、湊は少しだけ息を呑んだ。
この問いを、ずっと避けてきた。だがもう、逃げられない。誰もが、そうして向き合っているのだから。
「……俺は、生きる。生きて、書き残すよ」
その言葉は、思っていたよりも静かに、自分の胸からこぼれた。けれど、不思議なほど、迷いはなかった。
すみは、ほっとしたように微笑んだ。そして懐から、小さな桐の箱を取り出した。
「これ、あげる。小さな筆と、紙。……峰治さんが、“書く人”なら、きっと必要になると思って」
湊は、受け取った小箱を両手で抱えた。ぬくもりが、掌に伝わってくる。
「ありがとう、すみ」
夜が深まり、空気は冷え込んできた。
湊は一人、地下壕の書庫へ向かう。西洋の書が眠るその空間は、今では湊の“記録所”となっていた。
筆を取り、紙を広げる。
記すのは、少年たちの声。すみの笑顔。城壁から見た町の景色。そして、誰にも知られない、血の跡。
遠くで、砲声が響いた――けれど、今夜は異様に静かだった。
「おかしいな……」
兵の誰かが呟く。
誰もが、その“静けさ”に違和感を覚えていた。
翌朝。
夜明け前、斥候の報告が城内に響いた。
「敵軍、総攻撃の構えに入りました!」
緊張が走る。
だが、湊の表情は変わらなかった。
恐怖ではなく、覚悟。そして、使命。
「俺は……書き続ける。誰かが、これを読む“未来”のために」
朝陽が、城の屋根をゆっくりと照らし始めていた。