第十話 光を求めて告白
夜の帳がようやくほどけ始めた。飯盛山の中腹は、わずかな焚き火の明かりだけが頼りだった。
湊は、何も言えなかった。
肩を寄せ合って眠る者、空を見上げる者、黙って短刀の柄に手をかける者。それぞれが、それぞれの最期を思い描いていた。誰もが口にせぬが、ここが終点だと、悟っていた。
そして、彼もまた――。
いや、違う。自分だけが、まだそこに至れていない。
心の中で、何度も言葉を繰り返していた。
(本当に……ここで終わっていいのか?)
「……誰か、来る」
焚き火の脇から、誰かがそう呟いた。
その声に、場が張りつめる。皆、いっせいに顔を上げた。
「山の下から、人影が見えた。数は多くないが……隊列を組んでいるようだった」
「敵か?」
「いや……いや、あれは……」
その時だった。
空の端に、かすかに揺れるものが見えた。城下のほう――遠く、遠く、鶴ヶ城の方向。
旗だ。
紅白の縦縞が、朝靄のなかに確かにあった。
「……あれは……!」
誰かが叫んだ。
湊の心臓が、大きく跳ねた。
黒煙の向こうに、確かに、あの旗はあった。
「落ちてない……鶴ヶ城は、落ちてないんだ!」
思わず、立ち上がっていた。
「黒煙は――城が燃えたんじゃない。火薬庫か、町の一角か、別の何かの炎なんだ!」
だが、誰もすぐには答えなかった。
疑念と希望とが、せめぎ合っていた。
そして、それでも短刀を手にしている者はいた。隊士のひとりが、静かに口を開く。
「だとしても……我らの任は、果たせず。殿の命に背き、ここで逃れ、生き延びて……何になる」
「名を汚して、生き恥を晒すだけだ」
「……それでも」
湊は言った。
「それでも、死んじゃいけない……」
風が、吹いた。
夜明けの冷たい空気が、焚き火の煙を揺らした。
「俺は……」
声が震えていた。足元が、ぐらついた。
だが、それでも前を向いた。
「……俺は、本当は“峰治”じゃない」
その場の空気が、凍った。
それは、最初から言えなかったこと。
言ってしまえば、崩れてしまう何かがあると思っていた。
「……俺の名前は、榎木 湊。会津の人間でも、士族でもない。……俺は……未来から来た」
誰かが、目を見開いた。
誰かが、短刀をそっと下ろした。
「……何を、言ってるんだ」
ひとりの隊士が、絞り出すように問うた。
「わからない。……でも、本当にそうなんだ。俺も、信じられなかった。でも、ここで――皆と過ごしてきて……それでも、確かに思うんだ」
湊は両手を胸に当てて言った。
「“峰治”として、生きてきたこの日々が、全部、現実なんだって」
目の奥が、熱くなる。
「誰かが名前を呼んでくれて、誰かが俺に背中を預けてくれて……俺もその中で、ちゃんと“ここにいる”って思えたんだ」
湊は、周囲の少年たちを見渡した。
「だから……俺の未来は、ここにある」
それは矛盾だと、自分でも思う。
だが、それでも本心だった。
ふいに、一人の隊士が、ぽつりと言った。
「……お前が何者でも、構わないよ」
静かな声だった。
だが、その一言が、全てを溶かしていった。
「俺は、お前が“峰治”だと思ってたし……今でも、そう思ってる」
湊は、歯を食いしばった。
涙がこぼれた。
――ありがとう。
心のなかで、誰にともなく呟いた。
やがて、朝の光が山を照らしはじめた。
夜が明ける。
影が、光の中で形を取り戻していく。
誰かが言った。
「……行こうか」
別の誰かが、うなずいた。
「まだ、終わっちゃいない」
「殿の命も、まだ生きているかもしれない。……それを、確かめてからでも遅くはない」
湊は、まっすぐ前を見た。
その視線の先には、ぼんやりと赤く染まりゆく城下の空が広がっていた。
この戦場を、生きて語る者になる。
自分は、この時代に“来た”意味を、まだ見つけていない。
ならば、それを見つけるまで、命は預けておく。
未来へ。
まだ見ぬ誰かへ。
そして――あの旗の下に、希望があるのなら。