第九十四話『痛恨のワンタップ』
「よし――行くか」
「はい」
一人の男を先頭に、白装束の集団が列を成す。
“カヴァテロフ”の死から、まだ一日。
悲しむ暇など誰にも許されず、彼らは再び橋上へと歩みを進めていた。
だが、何もかもが無駄だった訳ではない。
昨日の戦いで、戦場を支配していた“スケルトンライダー”の群勢は掃討され、さらに“危険度A-”に指定される魔獣モルグリンの複数討伐にも成功。
ステルの功績は確実に戦局を押し戻していた。
疲弊した者たちに積極的に声をかけ、自らが先陣を切って魔物の軍勢へと立ち向かう――その姿は、たった一日とは思えないほどに周囲を鼓舞し、いつしか彼の背中に、人々の視線と希望が集まり始めていた。
当の本人は全く気づいていない。
だがステルには、人を惹きつける“何か”があった。
言葉よりも先に、行動で示すその姿勢が、仲間たちの胸に確かな希望の火を灯していく。
「ハァハァハァ……そろそろ拠点へ戻りましょう。
もうじき、交代の時間です」
荒い息を吐きながら、ボビンスキーが先を行くステルへと声をかけた。
「俺は大丈夫だ、ボビンスキー達は先に戻っていてくれ。
夕飯時には必ず戻る」
「お、お待ちくださいっ!勇者様……!」
ボビンスキーの静止もむなしく、ステルは振り返ることなく、国境を跨ぐ大橋の先へと駆け出していった。
「勇者様は……やはり、責任を感じているのでしょうか」
黒髪に眼鏡をかけた女性の白装束が、小さく呟く。
「ああ、言葉には出さないが責任を感じているのだろう。
勇者様の所為ではないと何度も伝えてはいるのだが」
ボビンスキーは深く息を吐き、どうしたものかと眉を寄せる。
「ですが、休憩もなしにあの調子ではいつか倒れてしまいます!
勇者様はいわば我々の希望の光。
何かあってからでは遅いのです、私も勇者様の後を追わせてください!」
「……駄目だ」
「で、でも――!」
彼女が踏み出した瞬間、ボビンスキーは素早くその腕を掴んだ。
一拍の沈黙。
やがて彼は、ぐっと力を緩め静かに手を離す。
「……気持ちは分かる。だが、勇者様はお強い。
一介の魔術師がサポートしたところで、たかが知れている。
それよりも――我々を気にして動きづらくなることの方が、よほど足手まといになる可能性が高いだろう」
「は、はい……」
「"ルールー"。分かったらお前は部隊を率いて先に戻れ。
ご苦労だった」
静かにそう告げると、ルールーと呼ばれた黒髪の女性は唇を噛み、名残惜しそうに一礼してから、他の白装束たちを率いて橋を下がっていった。
その背中が見えなくなるまで見届けると、ボビンスキーは深く息を吐き、ゆっくりと踵を返す。
(ああはいってみたはいいものの、今日の勇者様は明らかに生き急いでるように感じ取れる。冷静さを欠いては、それこそ"魔物"の思うツボ。私だけでも、せめて側で注意深く見守っておかねば)
心の中で決意すると、ボビンスキーは再び杖を手に取りステルが駆け出して行った方向を見据える。
靴音を殺し、風の音に紛れるようにして慎重に、彼はその背を追っていった――。
「ふぅ……これでひとまず最後か」
ステルは、最後に残った一匹のガロウルフを拳の一撃で沈めると、静かに息を吐いた。
早朝から行われた防衛作戦。
気がつけば、空は茜色に染まり始めていた。
飲まず食わずのまま一日中駆け回り、迫り来る魔物たちと戦ってきたその身体は、すでに限界間近だった。
ステルは崩れかけた橋の瓦礫に腰を下ろすと、夕焼けに染まる空をぼんやりと見上げ、独り言のように呟いた。
「あーあー……モデス、モデス聞こえるか?……応答なし、か」
「ビュル?」
その呼びかけに答える様に、ブリーフの中からぴょこっと丸い頭が飛び出す。
「ああすまん、お前のことじゃないぞ」
ステルは苦笑しながら、手のひらで“ビュルル”の頭を優しく包み、そのままそっと元の位置へと戻した。
「さて、これをやるのも久しぶりだな。
どうやるんだったか…」
ステルは朧げな記憶を手繰るように目を閉じ、ゆっくりと心の中で念じた。
次の瞬間、瞼を開けると、空中に淡い光が浮かび上がり、まるでゲームのステータス画面のようなパラメータが展開されていた。
「よし……できた。……って――なんだこれはっ!?」
ステルは思わず目を見開き、そのまま反射的に立ち上がった。
“断捨離”スキルが復活して以来、初めての“ステ振り”。
だがそこには、未だかつて見たことがない"脅威の経験値"が表示されていた。
「一、十、百、千、万……"五百万"だとっ!!?」
ステルは思わず二度、三度と瞬きを繰り返した。
何度見直しても、数値は変わらない。
残り割り振り経験値:5,007,221
「ど、どうなってる……遂にこのスキル、壊れたのか……?」
動揺するステルを前に、少し分かりやすく説明しておこう。
ステルが最後に“ステータス振り”を行ったのは、実に"第二十話『大きすぎる貸』" 以来である。
当時の称号は【流浪の断捨離人】レベルはLv.35(Max)。
その時点で必要だった総経験値は――およそ125万。
つまり今、ステルの目の前に表示されている“残り経験値:5,007,221”とは、それまで獲得した経験値の約4倍に相当する膨大な数値なのだ。
そして奇妙なのは、ここからである。
“断捨離スキル”が復活したのは、ほんの昨日のこと。
それ以前のワルバッカ村での戦闘経験、あるいはスケルトンライダーとの激戦――それらは反映されていないはず。
にも関わらずこれだけの経験値が積み上がっている理由とは――。
「ひ、ひとまず割り振ってみるか…!」
状況を完全に理解できぬまま、ステルは恐る恐る指先を動かし始めた。
その結果――。
称号:魁‼︎断捨離人:Lv.52
• HP《体力》300
• MP(魔力)1
• STR(筋力)405
• DEF (防御力)255
• AGI (敏捷)297
次Lv.までの必要経験値...270840
「魁……?読み方はよく分からんが、やけに男臭い称号だな」
ステルは首を傾げながら、久々にステータスを振り、明らかに増した力の流れを全身で感じ取っていた。
「まぁいい。思ったよりレベルは上がらなかったが、ステータスは前よりだいぶ伸びて――んなぁ!?!?」
次の瞬間、彼は文字通り目を飛び出さんばかりに見開いた。
「ば、ばかな……! そ、そんなはずは……!!」
ステルは何度も画面をスワイプし、目を凝らしては、また擦り、もう一度確認する。
だがそこに映っていたのは――紛れもなく現実だった。
MP:1
「う、嘘だ……あ、う……お、押し間違えたぁああぁああぁああぁああぁああぁああぁああっ!!!」
断捨離スキルを手に入れた時から決めていたことがある。
“MPなんていう軟弱で邪なものは、俺には必要ない”。
そう信じ、何十レベルもの間、頑なに振らずにここまで来た。
その誇り高き信念が、久しぶりの操作ミス一発で崩れ去ったのである。
「と、取り消させてくれ……!
い、今ならまだ間に合うだろ!? なぁ!?」
必死に画面をポチポチと連打するが、“確定”ボタンは無慈悲にもグレーアウト。
「モデスーーーーッ!!!ミ、ミカーーー!!パコーーーー!!だ、誰でもいいから、助けてくれぇええええええええええッ!!!!」
その日ステルの絶叫は、遥か彼方の地平線まで轟いたという。




