第九十二話『禁断の魔法』
ミカが魔術師になる事を最初に志したのは、他でもない"母"の存在。
朧げな遠い日のかつての記憶。
それはミカが三歳の誕生日を迎えて、初めて魔法を唱えた時のこと。
「フフフ――やっぱり私に似てる。
この誰よりも濁りのない純粋な炎は、ミカのこの先を明るく照らしてくれる。安心しなさい。だって――未来は明るいんだから」
その言葉は、幼いミカにとってすべてだった。
優しくて、あたたかくて――あの瞬間の母の表情を、ミカはいまでも鮮明に覚えている。
それを最後に、母はどこか遠くへと旅立っていった。
あれから、十年と少し。
未だ母には会うことも、どこで何をしているのかすらも分からない。
だけど、幼心でも分かる。
母ほど偉大な魔術師を、ミカは知らない。
そんな母が、たった一度でも自分を“認めてくれた”。
それが、ミカにとってどれほどの救いだったか。
だから――この“炎”だけは、誰にも譲れない。
それは母が認めてくれた証であり、誇りであり、魂そのものだから。
「見せてあげるわ――とびっきりの魔法をね」
その時だった。
ミカの握る杖が、これまでにないほどの光を放つ。
次の瞬間、足元に――巨大な魔法陣が展開された。
幾重にも重なり合う紋様が、地を這いこの空間を支配する。
直径およそ十メートル。
散蘭まるごと呑み込むほどの規模だ。
魔法陣は轟轟と唸りをあげ、地鳴のような地響きが辺り一体を震わせる。
「な、な、な、なんですかァァァ??あれはァァァ!?」
珍牛は分厚い眼鏡を外し、目をこすりながら思わず三度見する。
直径十メートルを超える巨大な魔法陣。
それを、"編入初日の彼女"が発動させているという事実に、思わず言葉を失った。
他の生徒たちも珍牛と同様に、その光景を固唾を飲んで見つめている。
「あの溢れ出る魔力の渦――クハハ!……面白ぇ女」
高台から見下ろすバサラが、唇の端を吊り上げニヤリと笑う。
そして何より、一番驚いているのは、本人のミカだった。
「な、なんかすっごいのがきてる……け、ど……!
せ、せ、制御が……できないッ!」
グラグラと地盤が揺れ、大気が震える。
積み上げられた土嚢や岩塊が、ガラガラと音を立てて崩れ始めた。
それはまるで地の底から――“何か”が目を覚まそうとしている前兆のよう。
展開された魔法陣が、激しく明滅を繰り返す。
赤と金の紋様が脈を打つたび地面が震え、まるで魔法陣そのものが、危険信号を鳴らしているようだった。
「駄目ッ!と、止まってーーーッ!!」
ミカは必死に杖を押さえつけた。
しかし、溢れ出す魔力は止まらない。
やがて、その中心から魔力の渦が天へと昇り始めると、赤と黒の火花を散らしながら、渦はゆっくりと形を変えていく。
そして、空に現れた。
ドス黒い炎の球体。
それはまるで、“黒い太陽”のようだった。
「あちゃー、アレは僕の白睡 でも到底斬れなさそうだ。さて、どうしたもんか」
散蘭は一瞬、刀を抜きかけて――すぐに鞘へと戻した。
先ほどまでとは明らかに違う異質感。
彼はそれをただ見上げることしかできず、その場で立ち尽くしている。
ゴゥ……ゴゥゴゥゴゥ――!!
ミカの体が揺れ、杖を支える手が震える。
「も、もう……抑え、きれ……ない……!」
膝をつき必死に抑えるも、遂にはその手から杖が離れかけたその瞬間。
「十分経過――模擬戦は終いだ」
「え……?」
一瞬、誰の声か分からなかった。
一体いつの間に現れたのか。
地盤が崩れ落ちそうなその中心に、彼はただ平然と立っている。
右手には黒い手袋。
手の甲には、金色で第四宮の紋章が刻まれていた。
「離れてろ」
バサラはミカに短く告げた。
「は、はい……!」
ミカはかろうじて返事をし、ふらつく足取りでなんとか再び杖を握りしめる。
「散蘭! スカーレットとすぐに避難しろ!
あと――そこのぼんやり突っ立ってるエシュミラも連れてけ!」
轟くような声が一体に響いた。
散蘭が短く頷き、即座に視線を横へ向ける。
いつのまにか、エシュミラは岩陰から移動しすぐ近くまで来ていた。
彼女は頭上を仰ぎ、空に浮かぶ“黒い太陽”を見上げている。
その瞳に宿るのは、恐怖というより好奇心。
まるであの"黒き太陽"に魅入られているかのようだった。
彼女は一歩も動かない。
ただ、静かに。
恍惚とした表情で見つめ続けていた。
「スゥ――」
バサラは静かに息を吸い込み、右手を天へと掲げた。
手の甲の金の紋章が、応じる様に輝きを放つ。
そして、頭上の“黒い太陽”を真っ直ぐに見据えると、たった一言呟いた。
「爆裂獅子!!」
次の瞬間、バサラの掌から放たれた魔力は、炎と光を纏って獣の形を成す。
赤熱を帯びた鬣と、鋼のようにしなやかな四肢の爪、そして燃え滾る魔力を映したような鋭い眼光。
それはまさに、"炎を纏う獅子"そのものだった。
咆哮とともに、獅子は天へと跳躍する。
黒き太陽へ向かい、灼熱の軌跡を描いて一直線に突き進んだ。
空気が焼け、雷鳴のような音が大気を裂いた。
バゴォオオオオオォオォオンッ――!!
パラパラパラ……と、灰のような光の粒が空から降り注ぐ。
黒い太陽は完全に消滅し、戦場に残ったのは焦げた匂いと熱気だけだった。
一時はどうなるかと思われたが、最終的にはバサラの手によって事なきを得た。
自らの衣服についた煤を払うと、焦げ跡の散らばる地を踏みしめながら、静かにミカのもとへ歩み寄る。
そして、短く一言だけ呟いた。
「――初日からこの学院ごとぶっ壊すつもりか?
おてんば嬢ちゃんが、無茶しやがって」
「ご、ごめんなさい……! あんなこと、私も初めてで……制御できずに……!」
「ククク……面白ぇ。模擬戦の勝敗は“分け”だが――歓迎してやる。たった今から正真正銘、お前は第四宮の一員だ。
これから毎日、血反吐吐くまでしごいてやるから覚悟しろよ」
そう言って、バサラは悪魔のようにニヤリと笑みを浮かべた。
ミカは目を見開き、力強く頷く。
「はいっ!」
「だが一つ――忠告だ。
あの魔法は、二度と使うな」
「え……?」
バサラの声には、先ほどまでの軽さはなかった。
真剣な眼差しでミカの瞳を見つめている。
「あれは"魔術師が使っていい"魔法じゃねぇ。
言いたいことはそれだけだ、戻るぞ」
そう言い残しバサラは何事もなかったかのように背を向け他の生徒たちの元へと歩き出した。
"魔術師が使って良い魔法じゃない"。
その言葉が、ミカの脳内で何度も反復するように繰り返される。
それが何を意味するのか――彼女はまだ知らない。




