第九十一話『白と黒』
かくして舞台は、整った。
ミカは神妙な面持ちで、静かにスタート地点へと歩みを進める。
両陣営の最後尾には、それぞれ白と黒のフラッグが立てられていた。
ミカが属するのは、黒の陣営だ。
(大丈夫――私ならできるわ、頑張れ自分!)
自らを鼓舞するように、ミカは心の中で呟いた。
そして両陣営が持ち場につくやいなや、バサラが高台の上から告げる。
「制限時間は十分、ルールは単純だ。
先に相手のフラッグに触れた方の勝利……以上。
細けぇルールはねぇ、あとは好きにやれ」
あまりにも簡潔で、あまりにもバサラらしいルールだった。
遂に――始まる。
ミカはゴクリと息を飲み、杖を構えて前方を見据えた。
前方には、岩陰から顔だけ覗かせてこちらを伺う少女――エシュミラと、後方で気だるげに立ち尽くす男――散蘭。
そもそも魔術師同士の戦い自体、ろくに経験した事の無いミカにとって、いささかハードモードとはいえる。
(二人の得意魔法が分からない以上、私のやるべきことは――)
冷静に辺りの地形を分析していた所、ふとバサラの声が高台から鋭く響き渡った。
「出し惜しみはすんじゃねぇぞ。己が持つ全てを出し切って全力で殺り合えッ!」
「ついに始まるんですなぁ…!
ミカちゅわぁん、ファイトォォウ!」
少し離れた観覧席から、珍牛が愛の雄叫びを上げる。
「フラッグ争奪戦争――開始!!」
バサラの合図と同時に、何処からともなく銅鑼の音が鳴り響く。
そして真っ先に動き出したのは――ミカの方だった。
その背には、なぜか黒色のフラッグがはためいている。
「ミ、ミカちゅわんっ!?そ、それは自殺行為ですぞーーー!」
予想外の出来事に、開始早々珍牛が叫ぶ。
「……」
高台の椅子に腰を下ろしたバサラは、足を組んだままその光景を黙して見つめていた。
ミカの一見無謀とも言えるその行動。
だが――それは決して、勝算のない賭けではなかった。
二対一の構図である以上、どちらかに意識を取られた瞬間、相手にフラッグへ触れられ即敗北。
それだけは、何としても避けねばならない。
ならば、最初から自らの最も近い所で死守するのが得策。
シンプルながら存外悪くない戦略だ。
「ビクビクしてるそこのアナタッ!
悪いけど――初っ端から容赦しないわよっ!」
「ふふぇっ……!?」
ミカは勢いよく地を蹴り、黒い旗をなびかせながら白陣営へ突撃する。
先手必勝――自らの杖を掲げると、考える間もなく振るった。
「フレイマッ!」
ボフッ、と短く乾いた爆音が響く。
杖先から放たれた火球が、一直線にエシュミラを目がけて飛ぶ。
もちろん、本気で当てるつもりはない。
あくまで牽制、先手を取るための威嚇が目的。
のはずだったが――エシュミラは避けようともせず、その場から離れずに、ジタバタと慌てふためいている様子だった。
「ちょ、ちょっと!?
避けて、避けてってば!加減はしたけど燃えるわよっ!?」
「ふぇえええぇええ〜〜〜!!」
エシュミラは半泣きで、ポケットの中からごそごそと魔道具を取り出しては、片っ端から放り投げている。
瓶に巻物、トカゲの尻尾――もはや何でもありのパニック状態。
あ、これ完全に我を失ってるやつだ。
だがミカの放った火球は待ってくれるはずもなく、案の定直撃する。
ボフンッ!
爆煙が辺りを包み込む。
「うわああーーーっ!やっちゃった!!
ごめんなさいーー!! 早く救護班呼んで〜〜!!」
ミカが慌てて駆け寄ろうとした、その時だった。
「え……? いつの間に――」
爆煙がゆっくり晴れていくとそこに現れたのは、傷ひとつないエシュミラ――そして、その前に立ちはだかる男の影。
散蘭だ。
「まったく……これじゃ僕ひとりの方がまだマシだな」
そう呟く彼の両手には、自らの体長ほどもある巨大な太刀が握られていた。
刃はうっすらと蒸気をまとい、先ほどの炎を切り裂いたような痕跡が残っている。
「あ、あふ……ありがとうございます……」
エシュミラはその場にへたり込み、辺りには取り乱した時に放り投げた魔道具の残骸が散乱していた。
ミカは眉をひそめ、心の中で息を呑んだ。
(あの刀で防いだの…?物理攻撃で魔法は防げない筈……)
そんな疑問が脳裏をよぎる。
だが、今は考えている暇などない。
幸い、相手の位置は一時的に密集している。
この好機を逃す手はない。
気を取り直して再び脚に力を込めると、白陣営のフラッグへと駆け出した。
外側を大きく迂回して、積み上げられた土嚢を利用し影を潜める。
(思ったよりフラッグまでの距離は近い。これなら――)
「させないよ」
瞬間、ぞくりと背筋を走る悪寒。
気配を感じて振り返ると、いつの間にか真後ろに散蘭が立っていた。
風ひとつ乱さず、音もなく。
ミカの背後で、散蘭の手が静かに伸びる。
狙いは勿論――彼女の背負う黒のフラッグ。
「っ――!!」
ミカはギリギリの所で体を捻り回避する。
そしてなんとか後ろへ下がり、四メートルほど距離をとった。
「あーあ。声かけなきゃよかったな」
散蘭はボソリと一言嘆いた後、再びゆっくりミカへ近づいていく。
(奇跡的に避けられたけど、このままじゃまた間合いを詰められる。もっと距離を取らないと――!)
ミカは即座に杖を構え、自らの魔力を注ぎ込んだ。
「これならどう!? フレイマーラ!!」
瞬間、杖の先が眩い閃光を放つ。
幾つもの火球が次々と生成され、紅蓮の軍勢となって散蘭を包み込むように襲いかかった。
だが――
「……綺麗な炎だね。
でも――ただ斬る数が増えただけ」
散蘭はわずかに息を吐き、静かに刀を抜いた。
次の瞬間、風が鳴り、閃光が走る。
飛来し襲いくる火球その全てを、ひとつ残らず悉く斬り伏せていく。
爆ぜる寸前に分断された炎は空中で四散し、まるで散りゆく花弁のように散っていった。
「ど、どうやって……その刀で、魔法を……?」
ミカは呆然と立ち尽くした。
炎の残滓が空に散り、焦げた匂いだけが残る。
自分の魔法が――完全に、通用していない。
散蘭は涼しい顔で答える。
「ただの刀じゃないからね。
一応これでも“魔導杖”の一種なんだ。
見た目は完全に僕の趣味だけど」
その声音は恐ろしいほど冷静で、淡々と“事実”を告げるだけのその響きが、ミカの胸を締め付けた。
「っ……!」
「炎魔法はもう見飽きたよ、他にはないの?
それならもう"終わらせたい"んだけど」
そう言って、散蘭はゆっくりとミカの方へと歩を進める。
徐々に迫っていく距離。
このままではあっさり敗北が目に見えている。
(……嫌……!もう絶対に、負けたくない……!)




