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第八十話『一宿一飯』

「こちらです、どうぞ中へお入り下さい」

城門を抜けると、そこにはいくつもの仮設野営地が並んでいた。

おそらく魔物との戦いで疲弊した者たちを休ませるために設置されたのだろう。

その中の一張り、小さな拠点へと俺は案内された。


「さあ、こちらへかけてください。さぞかしお疲れでしょう」


「助かった。正直ここまで走りっぱなしで疲れてたんだ」

ボビンスキーに促され、俺は椅子へと腰を下ろした。

 

「簡素なものですがすぐに準備して参ります。

カヴァテロ――疲労回復によく効く薬膳料理を作ってくれ」

ボビンスキーは、白装束の中でもひときわ大柄な男へと声をかけた。

男が静かにフードを脱ぐと現れたのは、これまた立派な顎鬚を蓄えた、穏やかな目をした大男だった。


カヴァテロは「御意(ぎょい)」と低い声で応じると、ズシリとした足取りで奥へと向かっていく。

それにつられるように、周囲の白装束たちもそれぞれの持ち場へと散っていった。

 

気がつけば、いつの間にか俺とボビンスキーの二人きりになっていた。

ボビンスキーは俺の向かいに腰を下ろすと、木製の水筒を手に取り、グイッと一気に飲み干した。


よく見ると、間近で見る彼の顔には深い疲労がにじんでいる。

額には細かな汗、頬には黒い(すす)がつき、白装束のあちこちには裂け目と焦げ跡があった。

つい先ほどまで、激しい戦禍の中にいたのだろう。

俺は改めて、この国が置かれている現状を痛感すると同時に、胸の奥で引っかかっていた疑問を口にした。

 

「イデアルは、ここにはいないのか?」


「はい。魔物たちが現れた元凶を突き止めるため、ひとりで調査に向かわれました…」


「そうか。アイツもいろいろと大変なんだな」

その後もボビンスキーから戦況について包み隠さず教えてもらった。


いわく――現在の状況は、最悪に近いとのこと。

突如として現れた魔物の軍勢は勢いを増す一方で、倒しても倒してもひっきりなしに、まるで底なし沼のように湧いて出てくるという。


魔物達はどこから現れているのかも分からず、根本を断たぬ限り、こちらの戦力はいずれ尽きる。

まさに朝も昼も夜も、休む暇などない。

負傷者が増え、今では交代制すら成り立たなくなっているそうだ。


このままではジリ貧――その状況を打破する為に、イデアルはたったひとりで調査に向かった、というわけだ。

 

「状況は大体分かった。――つまり、イデアルが元凶を断つまでの間、俺たちは"魔物どもの侵攻を食い止めればいい"ってことだな」


「はい。正直、このような危機は我が国始まって以来のことでして……情けない話ですが、お力添えいただけるとありがたいです」

ボビンスキーは、自責の念に駆られたように拳を握りしめ、唇を強く噛んだ。

その瞳には、疲労よりも責任の色が濃く浮かんでいる。

まったく、心底真面目で責任感の強い男だ。


そんなこんなで、ちょうど話がひと段落しかけたその時、タイミングを計ったかのように、出来たての料理が運ばれてきた。

湯気とともに、香ばしい匂いが拠点の中いっぱいに広がる。

 

「へい、おまち」

ポツリと一言だけ呟くと、カヴァテロはそそくさと立ち去っていった。

 

「なんだ、あいつも一緒に食べればいいのにな」


「不器用な男ですが、料理の腕とこの国への忠誠心は確かなものです。ささお気になさらず、熱いうちに召し上がってください」


「そうか。それじゃあ遠慮なくいただくぞ」

俺は両掌を合わせ目を閉じると、いつもの口上を呟いた。

 

「我が身の血となり肉となり、この魂が尽きるまで、俺と共に過ごそう。嗚呼、生命に感謝――いただきます」

こうして、俺はまず湯気の立ち上る真紅のスープを啜った。

口にした瞬間、長時間煮込まれた香草の甘みがふわりと広がる。

溶け出した肉の旨味と混ざり合い、喉を通るたびに幸福感が全身へ駆け巡っていく。

 

「美味い…これはいかにも力が湧いてきそうなスープだな」

指先がじんわりと温かくなり、疲弊し切っていた体が再び脈動を始めた気がした。


「お口にあったようで、なによりです」

ボビンスキーが安堵したように笑みを浮かべる。

いわく、この紅のスープ――名を紅根汁ボルシュッチュというらしい。

香草と獣骨をじっくりと煮込み、旨味を極限まで引き出した、この国伝統の薬膳料理だという。


続けて、俺は中央の皿へと目を向けた。

そこには、湯気を立てる白米と、香ばしく炒めた牛獣の肉。

その上からは、白いソースがとろりと流れ、光を受けて淡く輝いている。


見た目はカレーライスに近いが、立ちのぼるその香りだけで。

嗚呼(ああ)、白米五杯はいけそうだ。


「うぉ!これまた濃厚な味わいだ…それにこの白いソースが絶妙に合う。美味いぞ!」

口の中に広がるのは、霊酪(れいらく)と呼ばれるこの地秘伝のソースらしい。

それはまるで豊かな大地の上に降り積もる雪のようで。

ほのかな酸味と、牛肉の芳醇な味わいが融合し、味わったことのない衝撃が舌を襲う。

これまた一口ごとに、疲弊した筋肉が蘇るような気がした。

 

「それは牛皇煮(ストロガナート)と言います。かつては高級食だったのですが、輸入経路が確立されてからは、こうして私たち庶民もいただけるようになりました」


「そうだったのか。でも魔物達が橋に陣取ってるようじゃ、そういうわけにもいかないよな」


「はい。現在は輸入、輸出共にできていないのが正直な所です。今は蓄えた備蓄でなんとかやり繰りしておりますが――いつ尽きてもおかしくはありません…」


「……早くなんとかしないとだな」

恐らくボビンスキーたちは俺を気遣って、貴重で豪勢な食事をわざわざ用意してくれたのだろう。

その気持ちに応えるように、俺は他の料理もペロリと平らげ、米一粒残さず、きれいに食べ切った。


「ご馳走様。あとでシェフにも礼を言わないと」


「いえいえ、当然のことをしたまで、お気になさらず。

それでは勇者様、私はそろそろ戦場に出向かねばなりませんので。一度失礼します」

そう言うと、ボビンスキーは重い腰をゆっくりと上げ背を向けた。

 

「ああ、俺もついていくぞ」

そう言って立ち上がる俺に向けて、ボビンスキーは慌てたように両手を振った。


「いえいえ! どうかもうしばし休んでいてください!

聞けば、長いことまともに眠ってもいないそうじゃないですか。

明日からでも、十分間に合います!」


「それはボビンスキーも同じだろ? 今さら気なんて使うなよ」

その言葉に、ボビンスキーは一瞬だけ目を見開くと、ゆっくりと深く頭を下げた。


「……勇者様、ありがとうございます……!」


こうしてボビンスキーたちのお陰で胃袋も満たされた俺は、満を持して魔物達の軍勢へと、歩を進めるのだった――。

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