第七十九話『罪なきブリーフ』
その頃ステルは――。
「違うんだ、俺は何もしていない!」
必死に両手を振って否定するが、その声はむなしく街に響くだけだった。
「憲兵さん、あの人です!早く捕まえてくださいっ!」
若い年頃の女性は、何か恐ろしいものでも見てしまったかのような表情で、近くの憲兵団へ助けを求めている。
「し、信じてくれっ!」
「待てぇーーっ!!この露出狂ぉぉぉ!!」
そうして俺は不本意ながら、三人の憲兵団に追われる形となってしまった。
一体なぜこんなことになったのかって?
……少しだけ、状況を整理しよう。
魔物の軍勢を討つため、国境際の橋を目指していた俺は、一先ず目的地の場所を確かめるために、街で聞き込みをすることにした。
で、たまたま通りがかったのが――近くにいた、ミカと同じ年頃くらいのお淑やかそうなお嬢さんだ。
「お嬢さん――突然ですまないが、魔物がいるという橋はどこにあるか知っているか?」
俺は後ろから軽く肩をトントンと叩き、声をかけた。
だが、次の瞬間――
「きゃあっ!? 変態っ!!ち、近寄らないでくださいっ!!」
「ヘ、ヘンタイ……!?違うぞ!俺はただ断捨離が趣味なだけだ」
自らの潔白を証明するために、俺は慌てて両手を上げて見せた。
「ほ、本当……?」
女性は一瞬、警戒を緩めた――ように見えた。
……が、その希望は、次の瞬間あっさりと砕かれる。
「じゃあ――その下着はどうしたんですかっ!!?」
彼女が叫びながら俺の下半身を指差す。
「ん……? 一体何のこと……」
おそるおそる視線を下げて見ると――何ということだ。
俺の唯一の装備品:純白ブリーフが、ビショビショのヌッメヌメになっているではないか。
「何だこれは…!?お、俺は何もしてないぞ!? 信じてくれ!」
「いやああああっ!! “何もしてない”のにその格好はもっとイヤぁぁぁ〜!!
助けて憲兵さんっ!! ほぼ全裸のパンツ濡れ男に襲われてますぅぅぅ!!」
「はぁっ!? ちょっ、違う!誤解だーーー!」
…そして現在に至る、というわけだ。
それにしても一体いつから――?どこで――?
俺は逃げながらこれまでの記憶を必死に辿る。
すると下腹部のあたりに、くすぐったいような独特の違和感が走った。
「ん……?」
確かめるために視線を下げたその瞬間。
ズルリ、と俺のブリーフの中から、奇妙な粘体が現れた。
半透明のそれは、全身をぬるりと流体させながら親指の形を作り……グッジョブとでも言うように叫び声をあげた。
「ビュルルッ!」
「ってオマエはーッ!!あの小屋にいたスライムみたいな粘体!いつの間に俺について来やがったんだッ!?」
……何てこった。
確かにコイツは、婆やの術で一度“空瓶”の中に封じられていたはずだ。
いつの間に脱走した?いやそれ以前に、よりによって寄生先が俺の股間ってどういうチョイスだ。
無理やり剥がそうと試みたが、コイツはぬるぬると上手いこと逃げ回る上、吸着力が思ったより強い。
くそう、どうりで股間周りが重苦しいと思った訳だ。
「なんでついて来たんだ、俺はこれから魔物と戦いに行くんだぞ…」
「ピュピュッ!」
そう短く鳴くと、名もなき粘体は、全身をぐにゅりと変形させて再び“指”のような形を作った。
そして、ぷるぷる震えながら俺の右方向を指し示す。
「……右?」
それはまるで、向かうべき道を“教えている”かのようだった。
「オマエ、もしかして俺の行き先がわかるのか?」
「ビュルル!」
粘体は張り切った様子で答えた。
どうやら否定する気はないらしい。
「……信じるぞ!」
そうして俺は、奇妙な粘体に導かれる様な形で、フォルトゥーナの街中を駆け抜けていく。
石畳を蹴るたびに、背後からは憲兵たちの怒号が響く。
それでもコイツはぴょんぴょんと俺の股ぐらから指を突き出しながら、右へ――左へ――と、まるでナビゲーションのように進路を指し示していく。
どれほど走っただろうか。
息を切らしながらも、なんとか憲兵たちを撒くことに成功した俺は、そのまま粘体の示す方向へと進み続けた。
そして気がつけば、周囲の喧騒は消え、堅牢な城門が姿を現す。
そう、そこは紛れもなく――国境付近の門前だった。
「……本当に、あっさり着いちまったな」
国境付近へ近づいてすぐにわかったことがある。
ここは正真正銘、戦の最前線だ。
堅牢な城門が高くそびえ、その向こうの景色は一切見えない。
だが、厚い扉越しにも伝わってくる。
金属がぶつかり合う甲高い音。
爆発の衝撃が地を震わせ、空気に焼けた匂いが混じる。
そして――耳をつんざく、魔物たちの咆哮。
少し先では、今まさに戦いが繰り広げられているのだろう。
この門一つを隔てた先で、人間と魔物が命を懸けてぶつかっている。
「ビュルルッ!」
そんなことを考えていた矢先、粘体は元気よく鳴き声を上げると、全身をぐにゅりと変形させて“親指”を作り、ドヤ顔気味のグッジョブポーズを取ってみせた。
「なんだオマエ、よく分からんがご機嫌だな」
流体だから当然顔なんてないのに、なぜか表情まで見える気がしてくるのが不思議だ。
なにより意外と、可愛いなコイツ。
そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。
……いや、喋れないし聞いたところで返事もできないか。
「ありがとな、"ビュルル"。一時はどうなるかと思ったが、オマエがいてくれて助かった」
俺が礼を言うと、ブリーフの中の粘体が、嬉しそうにチャプチャプと動いてみせる。
「おいっ!? や、やめろ動き回るなっ! わーかったから大人しくしてくれって!!」
俺は必死にブリーフを押さえ込みながら、辺りをキョロキョロと見回していると、遠くから白装束をまとった集団が、こちらをみるやいなや、近づいて声をかけてきた。
「勇者様ッ!こんな所に一人でどうして――」
いかした口髭をたくわえた中年の男が駆け寄ってくる。
こいつはどこかで見た覚えがあるぞ。
うっ、しかし名前がパッと出てこない。
「お前は確か――"ボインスキー"!」
「ち、違いますっ!"ボビンスキー"です!その間違え方は色々と誤解を生むのでやめてください!」
慌てて口髭をなでつけながら、ボビンスキーは必死に訂正した。
俺は名前を間違えたことを詫びたあと、これまでの経緯をかいつまんで説明した。
「成程、適正試験を……それで一人で国境を目指されていたのですね…」
ボビンスキーは腕を組み、うなずきながら言った。
「ああ、俺自身も魔法に適性がないのは何となく分かっていたことだからな。生憎、俺は魔物討伐の方が性に合ってる」
「加勢していただけるとは、大変助かります。
正直、こちら側でも予想外の事が続いておりまして……」
ボビンスキーは一瞬、険しい表情を見せた。
「ついて来てください――案内します」
その言葉を最後に、俺は白装束たちに導かれるまま、重厚な城門の中へと足を踏み入れる。
その時、俺はまだ知らなかった。
この一歩が、想像以上に深い“戦いの渦”へ踏み込むことになるとは――。




