第六十三話『愛』
「ヴォオッ!?」
赤鬼が勢いのまま拳を弾き返すと、反動で牛鬼は十メートルほど後方へと下がる。
「ロッ、赤鬼!?どうしてここに?蒼鬼を助けるためにアナタは……」
困惑する表情を浮かべるミカ。
「蒼鬼は、無事だ。とりあえず意識は取り戻している」
「そうだったのね、妹さんが無事で良かったわ」
ひとまず蒼鬼の安否を知った安堵と共に、赤鬼が味方であるということにホッと息をつく。
「ここに来た理由はただ一つ――決着をつけるためだ」
「あ、ちょっとまだ聞きたいことが……!」
赤鬼はたった一言そう呟くと、翼を大きく広げ牛鬼へと急接近した。
そして両腕で牛鬼の腕をがっちり掴み、残る二本の腕で顔面へ容赦なく一撃を叩き込む。
「グゥモォッ!」
だが牛鬼も簡単には倒れない。
負けじと脇腹からさらに腕を二本――いや、赤鬼よりも多い四本の腕を生やすと、赤鬼の腕を全て受け止め、力強く殴り返した。
「ゴファ……ッ!」
全ての腕を封じられた赤鬼は、抵抗することができずひたすらに攻撃を受け続ける格好となる。
(嘘……あの赤鬼が押されてるなんて…!)
このままでは一方的にやられてしまう。
ミカは必死に頭を巡らせ、牛鬼の注意を逸らす手段を探した。
が、名案どころか妙案でさえ思いつかない――改めて自らが魔術師であり、魔法が使えない今の無力さを呪った。
(あ〜もう何も思いつかない〜!この時ステルならどうするかしら・・・)
その時ミカはふと、ステルの奥の手である"ブリーフ砲"の存在が脳裏をよぎった。
(って――ダメダメダメダメ!あれは特殊な訓練をしたステルだけの特権よ!私がやったら色々とマズいに決まってるわっ!)
一瞬想像して冷静さを取り戻すと、ミカは目の前の現実に集中した。
そしてとりあえず床に転がっていた、まだ中身の残った酒瓶を手に取り、牛鬼の頭部めがけて放り投げる。
「牛鬼ーーッ!くらいなさいっ!」
「ブゥモォッ!?」
酒瓶は見事、牛鬼の頭部へと命中し一瞬気を逸らすことに成功する。
掴む力が弱まったその隙に、赤鬼は四本の腕で牛鬼の体を力強く抱きしめた。
「ステージを変えるぞ」
そう言うと、赤鬼は牛鬼を抱えたまま勢いよく空へと舞い上がり、出口の方へと飛び去っていった。
「い、いっちゃった……」
ミカは状況が飲み込めず呆然と立ち尽くしていた。
だがすぐに、赤鬼の行動の意味を理解する。
それは赤鬼なりの配慮だった。
動けないステルと、魔法が使えず戦闘に参加できないミカ――その二人を戦いの巻き添えから守るための判断だったのだ。
赤鬼は決して「邪魔だから」と見捨てるのではなく、危険が及ばぬよう自らの行動で場を制御していた。
そして戦いの舞台は空へと移る。
「グゥモォォオオオッオオッ!!」
Zarkの内部から脱出し、牛鬼を抱えながら空へと移動した赤鬼は、そのまま強引に体から引き剥がした。
牛鬼に翼はない。
これなら、上空約五十メートルの所から落下させる事ができる――そう確信しかけたその時だった。
「グルルゥウウォオオォオンッ!!」
牛鬼の咆哮が空を裂いた。
次の瞬間、牛鬼の背中の皮膚が不気味に盛り上がり、筋肉と骨が軋むような音を伴って裂け開く。
血と粘液を撒き散らしながら、そこから黒々とした巨大な翼が隆起する。
まるで地獄の深淵から這い出た悪鬼の如く。
右に三枚、左に三枚――合計六枚。
漆黒の羽は血に濡れたように鈍く光り、羽ばたくたびに瘴気を撒き散らす。
その姿は牛なのか、鬼なのか、あるいは――。
もはや、誰もその正体を定義することはできない。
ただ一つだけ、揺るぎない事実がある。
アクダインは、人としての人生を二度と取り戻すことはできないのだ。
「俺にできることは、キサマにもできるという訳――か」
もはや今更、驚くことはない。
赤鬼は冷静に牛鬼から距離をとり、出方を窺っている様子だ。
(追ってくる様子がない……何か策があるのか?)
これまでの好戦的な牛鬼と違う違和感を、赤鬼は察する。
「デカいのが……くる」
赤鬼の予感は的中していた。
牛鬼はゆっくりと浮かび上がると、空中で胡座をかくように安座し静止する。
そして両手を祈るように合掌したその時、双角の先端から禍々しいエネルギーが噴き出した。
ドギュウルルルンンンンンンンンッ――!!
それはまるで小さな黒穴のよう。
ゴウゴウと空気を呑み込み、周囲を黒く染めるかのように肥大していくその塊。
一秒ごとに膨れ上がる質量の渦が、ビリビリと大気を震わせる。
「まさか……ヤツはこの村ごと破壊する気かッ!!」
地上には、無数の村人達がこちらを見上げている。
その中には、実の妹、蒼鬼の姿もあった。
蒼鬼はすでに満身創痍の状態で、ヨッコイとドッコイの肩を借りながらも、必死に立ち上がっていた。
激痛に震える身体に鞭を打ちながら、それでも、兄鬼の勇姿を一目見る為に、救護班の制止も無視して飛び出してきたのだ。
「…………」
遠くから、幾つもの声援が聞こえる。
アクダインの右腕として、これまで幾度となく悪行に手を染めてきた。
操られていた――そう言えば半分は正しい。
だが、それは今になってみればの話。
結局のところ、確かに俺は自らの意思で選んだのだ。
その選択が、多くの人間や他の種族を傷つける結果になったとしても。
すべては、鬼族を”滅びの運命”から守り抜くため。
鬼族の――家族のためならば、悪魔にだって魂を売ってやる。
「グルルゥウウォオオォオンッ!!」
牛鬼の双角が禍々しい光を放ち、空に膨れ上がる黒球は今にも落下せんとしていた。
その圧倒的な脅威を目の前にしながら、赤鬼はふっと小さく笑みを浮かべる。
「フッ……せっかくの再会だったというのに。蒼鬼よ、お前とはろくに話すことすら出来なかったな」
赤鬼はゆっくりと瞼を閉じ、胸の奥底から一度だけ深く息を吸い込む。
それはまるで、すべてを置き去りにするような静かな呼吸だった。
そして次の瞬間、カッと瞳を見開いた赤鬼の全身に、烈火のごとき闘気が爆ぜる。
「グゥオオオォオオオオオオオオオオオッッ!!!」
溢れ出す闘気は、赤鬼の体を包むように広がり、太陽のような輝きを放っていた。
そして閃光のごとき速度で、赤鬼は牛鬼へと肉薄していく。
だが――ほぼ同じ瞬間、牛鬼の双角から黒き球体が解き放たれた。
轟音と共に放たれる、村そのものを壊滅しかねない絶望の塊。
赤鬼は咄嗟に両腕を大きく広げ、その全身でそれを受け止める。
「グゥッ!ギッ……!ギギギギギギギギッ……!!」
赤鬼の体はじりじりと押し下げられ、空から地上へと無理やり引きずり落とされていく。
その間も、全身は絶え間なく悲鳴をあげていた。
力を解放した反動か、それとも黒球そのものの圧力か。
肌は焼け爛れ、肉は裂け、軋む骨が耳障りに響く。
翼もまた、無数の傷と裂け目でボロボロになっている。
だが――赤鬼が退く事はなかった。
たとえ、この身朽ち果てようともかまわない。
刺し違えてでも、必ず食い止める。
蒼鬼の姿を見て確信した。
鬼族は今もなお、強く誇り高く、この世界を生き抜いているのだと。
ならばもう、恐れることはない。
「フゥンッ!グアヌッ!ウオオオオオオオオオッッッ!!」
赤鬼は猛り咆哮した。
そして、持ちうる全ての生命力を燃やし尽くすように全身に力を込める。
離れかけた腕に渾身の力を注ぎ込むと、黒球をがっしりと抱え込んだ。
もはやこれは、押し引きの勝負ではない。
自らの全力で、黒球に強大な負荷をかけ、万力のように押し潰そうとしている――まさに命を削る覚悟の行動だった。
「まさかッ……赤鬼よ、自爆する気かッ!!」
道玄は誰よりも早く、その行動の意味を理解する。
その言葉を聞いた蒼鬼は、空へ向かって必死に声を張り上げた。
「兄鬼!もうやめてくれっ!!これ以上は――兄鬼のカラダが持たねえよっ!」
赤鬼の耳に、蒼鬼の叫びは確かに届いていた。
だが、すぐにその気持ちを振り払う。
今振り返ればすべてが崩れてしまう、そんな気がしたから。
黒球を抱え込む両腕に全身の力を集中させ、身体中の痛みと悲鳴を押し込める。
そして、赤鬼は小さく、しかし確かな声で一言だけ呟いた。
「蒼鬼――愛している」
チュン――
ドォオオオオオオォオオオオォオオォオオンッ!!
その瞬間、赤鬼の全身と黒球が凄まじい光を放ち、天地をひっくり返すような轟音とともに、黒球は大爆発を起こした。
炎と衝撃波が混ざり合い、黒煙が空を覆い尽くす。
その圧倒的な爆発は、牛鬼ごと飲み込んでいく。
「ア…ア……兄鬼ィッ……」
蒼鬼の瞳からは、大粒の涙が溢れ落ちた。
やがて爆煙が晴れると、そこに在ったはずのかつての光景は、跡形もなく消え去っていた。
残っていたのは、赤鬼の意志の痕跡。
それは守り抜いた鬼族への愛情と、消えぬ想いの証だった――。




