第五十六話『鬼の血筋』
迫り来る赤い悪魔――赤鬼。
俺は全神経を研ぎ澄まし、回避することのみに専念する。
というより、避けるだけで精一杯だった。
(くっ……なんとか一瞬でも、赤鬼の気を逸らす事が出来れば……っ!)
ステルへ向けて、岩の様に頑強な拳の雨が休む暇なく降り注ぐ。
もう一撃だってもらう訳にはいかない。
「人間にしてはやる、認めよう――キサマの実力」
赤鬼は唐突にそう告げた。
降り注ぐ拳の雨を必死に凌ぎながら、俺は荒い息の合間に答える。
「それは、光栄だ…っ!でもっ…なんでお前ほどの実力者が、あんなオッサンなんかに従ってるんだ?」
一瞬の沈黙。
赤鬼は目を伏せ、静かに言葉を落とす。
「キサマに――家族はいるのか?」
想定外の問いに、俺は思わず言葉を詰まらせる。
「……俺の家族は――もういない」
その答えを聞いた瞬間、赤鬼の眉がわずかに動いた。
そして、振り上げた拳をゆっくりと下ろし、静かに俺の前に立つ。
「そうか……俺には沢山いる。鬼族のすべてが、俺の家族だ。
血が繋がっていなくとも、産声を上げた瞬間から死にゆくその時まで――心はあいつらと共にある」
その時だった。
赤鬼の光を失った漆黒の瞳が、一瞬だけ光を取り戻した様に見えた。
「なら、なんでこんな事をしてる。
家族の事が大事なら、お前が一番近くにいなくてどうすんだ」
「…………」
言葉はなく、赤鬼は真っ直ぐな瞳で、ただただこちらを見つめていた。
観客達は二人の会話を聞き取ることはできないが、その神妙な面持ちに、誰もが思わず息を呑んだ。
「アクダインにどんな弱みを握られてるのか、そんなこと俺は知らない。だけどな――罪のない人達の居場所を、命を……!!」
言い終わる前に、俺は勢いよく地面を蹴ると、一気に赤鬼の懐へと潜り込んだ。
「奪っていい理由なんてねェッ!!!」
ドォンッ!!
鈍い音と共に、俺は全力の拳を赤鬼のみぞおち目掛けて打ち込んだ。
完全に油断していたのだろう。
強靭な肉体をもつ赤鬼の表情が一瞬歪む。
畳み掛けるなら――ここしかない。
己が持てるありったけの力を込めて、俺は最後の乱撃に全てを賭けた。
「くらえっ!"断捨ラッシュ"ッ!!!」
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ――!!!!
呼吸する間も与えぬ、拳の嵐。
ステルの闘気に押され、赤鬼は反撃の余裕もなく、両腕をしまい込み、必死に攻撃を防ぐのが精一杯だった。
「ビョー!なにをしておるーっ!!そんなヤツ、早く殺ってシマエーーッ!」
高台から見下ろす男は、防戦一方な赤鬼の姿を目にして、露骨にイライラした様子で地団駄を踏んだ。
(いける……ステル、頑張ってっ!!)
ミカはステルが戦っている様子を、固唾を飲んで見守っていた。
「ウォオオオォオォオオオォオォオオッッ!!!」
止まったら最後、こんな機会が訪れることは二度ないだろう。
握りしめた両の拳から血が吹き出す。
まるで分厚いコンクリートの板を殴っている様な感覚。
あとは体制を崩すことさえできれば――。
赤鬼の体はジリジリとステージ外へと後退していく。
「勇者ステルの意地がァ!遂にロッソに牙を剥くゥ〜!!
防戦一方のロッソォォウッ!!これは本当に、もしかして!もしかするのかァァアァァァアーーー!!?」
会場は再び大歓声に包まれる。
絶叫のような、もはや獣の雄叫びのような声が周囲で飛び交う。
(いける……っ!いける……ぞ――?)
それは本当に唐突だった。
突然、糸がプツリと切れたかのように、ステルの攻撃はピタリと止まる。
体力を使い果たしたのか――否。
ステルの体には、突如として電撃のような激痛が走った。
「ぐぃ……い゛!!」
全身がビリビリと麻痺し、ステルの体は拳を握ったままの状態で硬直する。
その隙を赤鬼が見逃す訳はなかった。
巨体から放たれる容赦ない拳が、ステルヘと襲いかかる。
ズボォッ――!!
何かが貫通し、破裂したような音が聞こえた。
赤鬼の拳は、ステルの体を貫いたかに思われた。
だが、事実は少し違っていた。
赤鬼の拳が貫いたことは事実。
だが、それはステルの体ではなく――実の妹、蒼鬼の体だったのだ。
会場の誰もが、その光景に驚きと動揺をみせていた。
いつもなら軽快に叫ぶバッセイでさえ、実況する事を忘れ見守っている。
「グハッ……!」
蒼鬼は大きく吐血しながらも、朦朧とした瞳でなんとか赤鬼を見据えている。
「な……なぜ……蒼鬼が……ッ!」
思いがけない出来事に、赤鬼は大きく動揺する。
すぐに腹部から腕を抜き取ると、倒れ込む蒼鬼を抱き抱えた。
「なぜ庇った!!」
「ゲホッゲホッ!……そんなの決まってんだろバカ兄鬼……これ以上、兄鬼が人間を殺すとこ、ウチは見てらんない……から……な」
息も絶え絶えの様子で蒼鬼は小さく呟いた。
「オレはオマエに――鬼族を、一族を任せたはずだ。
苦しむのはオレだけで充分なんだ……なのに、なぜオマエが……!!」
今まで堪えていた思いが、大粒の涙となって溢れ出す。
「……バカ。そこが兄鬼の……悪い癖だ。
ハァハァ……何も言わずに出ていって、たった一人で抱え込んで……一方的すぎるっ……つの……」
蒼鬼は震える声を必死に絞り出しながら、赤鬼の頭を小突いた。
「心配……すんな……鬼族は今もあの里で元気にやってる……だから兄鬼も……こんなところにいるのはやめて、戻ってきてくれ……ウチは、アニ……を……連れ戻しに……きた、んだ」
「いい、もういい、今は喋るな!今ならまだ間に合うはず…」
赤鬼はそう言って蒼鬼を抱き抱えたまま振り返ると、高台へ向けてこう叫んだ。
「試合は中止だ!すぐに救護班を呼んでくれ!今なら、まだ助かる!!」
だが――返事はない。
救護班を呼ぶ気配すら感じられなかった。
必死の叫びも虚しく、ただ刻一刻と、無情な時間だけが過ぎていく。
その時、高台に佇む男がポツリと一言呟いた。
「ありゃもう駄目だな。ドゥルバリ」
そう言うと、男は無造作に右腕を持ち上げ、わずかな仕草で合図を送った。
すると、男の背後が一瞬揺らめく。
そしてどこからともなく、影の様に漆黒な軍服をまとった男がぬるりと現れる。
その手には、重々しく光る"狙撃銃"が握られていた。
ドゥルバリと呼ばれるその男は、すぐに狙撃体制を整えると、赤鬼を狙って銃口を構える。
そして一切の躊躇なく、銃の引き金を引いた。
消音装置を装着したその一撃は、ほとんど音もなく空を裂き、標的へと襲いかかった――。




