第五十五話『赤い悪魔』
ロッソの着ていた服は灼け焦げ、炭のように崩れ落ちていく。
露わになった肉体は、じわじわと赤みを帯び、全身を侵食していった。
そして頭部からは、皮膚を突き破るように、禍々しき 黒緋色の角 が隆起する。
「グゥオァアァァアァァァァア゛ア゛ッ!!!!!」
腹の底から絞り出されるような絶叫。
それはもはや、人の声ではなかった。
獣とも、怪物ともつかぬ咆哮――いや、まるで別の"ナニカ"が内側から這い出そうとしているかのような声。
「こっこっこれはっどういう事だァア〜!?
先程までのロッソとは、何かが明らかに違うぞォッ〜!?」
バッセイの軽快な実況とは裏腹に、会場からは不安の声とどよめきが広がっていく。
(嘘……あのロッソって子、まだあんな能力を隠していたの…?
それにあの外側から溢れ出るような禍々しい魔力……あれは人の力じゃないっ、魔物の力よっ……!!)
かくいうミカは心の内で必死に叫んでいた。
メロンネの事もある、ステルは真実を知らないのだ。
このまままではステルの身が危ない。
すぐにこの武道会を、中止しなければ……!
「あ゛っ…ぐっ…ふぅ……んん゛……っ!!」
必死に身をよじり声を出そうともがくが、ミカの体はガッチリと拘束された状態で、ソファの上から立ち上がることすらままならない。
「ビョビョッ!何をもがいておる、大人しく見届けるのだ」
男はそう言うと、ミカの肩に腕を回し強引に抱き寄せた。
「んん゛〜〜っ!!」
「ビョビョビョビョッ!!元気なヤツだ」
男はニタリと口角を吊り上げる。
側近が恭しく注ぎ足した杯を片手に取ると、注がれた酒を勢いよく喉へと流し込んだ。
アルコールの熱が体内を駆け抜ける感覚に、恍惚の笑みを浮かべる。
「愚民共を見下ろしながら飲む酒は、やはり格別……ビョッ」
満足げに吐き出した息とともに、男は眼下のステージを一瞥する。
そして低く、しかしはっきりと――その場にいる誰もが背筋を凍らせるような声で呟いた。
「――この村も潮時だ…やってしまえ、ワガハイの"最高傑作"よ」
そして――遂に異変は現実のものとなった。
体表はじわじわと赤熱し、蒸気が立ちのぼる。
骨が軋み、肉が裂け、悲鳴のような音を響かせながら、小柄だった少年の身体は瞬く間に膨張していく。
皮膚の下で暴れる何かが、外へ飛び出そうともがいていた。
ボコボコッ……ボコッ、ボコボコッ……!!
不気味な鼓動音と共に、ロッソの脇腹を突き破るようにして、二本の赤黒い異形の腕が這い出してくる。
さらに背中の肉が裂け、そこからは漆黒の翼が現れた。
四本の腕――禍々しい両の翼。
誰がどう見ても、かつて“ロッソ”と呼ばれた少年の面影など、微塵も残されてはいない。
ほとばしる瘴気にも似たオーラの奔流が、空気を震わせる。
その衝撃はステルの全身へビリビリと襲いかかる。
「ロッソ、お前が……!道玄と蒼鬼が言っていた……伝説の鬼――赤鬼だったなんてな…」
それは赤鬼の実妹である蒼鬼とは、近いようで全く似て非なるものだった。
鬼族は、本来ここまで恐ろしい存在なのか。
これでは鬼ではない、例えるならそう――悪魔だ。
ステルの体を巡る血管が、ドクドクと脈を打つ。
内側から押し寄せる不安が、全身を支配していく。
魔女が放つのは底知れぬ「静」の恐怖。
だが、目の前に立つものはそれとは正反対――「動」の恐怖。
柔ではなく、剛。
得体の知れぬ畏怖ではなく、力を見せつけ一方的に叩きつけるような圧力。
その堂々たる存在感に、ステルは生まれて初めて、恐怖心を覚えていた。
「って、呑気に変身シーンを見てる場合じゃないよな。
仕掛けるなら――今しかない」
そして、まだ完全に変異が完了していないこの機を逃すまいと、俺はロッソ……いや、赤鬼へと急接近を仕掛けた。
「ドラァッ!!!」
鍛え上げた腕に渾身の力を込め、俺は大きく振りかぶる。
狙いは、真正面。
全力の左拳を、赤鬼の顔面へ容赦なく叩き込んだ。
ドガァッ――!!
衝撃と共に、鈍い音が鳴り響く。
続いて、シュウゥウウゥウウゥウ……という何かが焼ける様な音。
「嘘だろ……びくともしてな――あ゛熱っ!!」
拳は確かに、赤鬼の顔面をもろに捉えた。
だが、その巨体は一歩たりとも揺らがない。
まるで――殴られたことすら認識していないかのように。
そして次の瞬間。
俺の拳に、焼けた鉄板へ直接素手を押し当てたかのような激痛が走った。
皮膚が焼き切れる前に手を離し、俺は思わず距離をとった。
(どうなってんだアイツの体…?一瞬左手が燃えたかと思ったぞ……あれじゃ近寄ったとしても何をすれば――)
その瞬間、突如として視界から――赤鬼の姿が、音もなく消えた。
「……終わりだ」
そして、背後で響く低く冷たい声。
ゾクリと背筋を貫いた刹那、俺の身体はいとも簡単に持ち上げられる。
「ま、まずい……!」
そのまま四メートル近い巨体の腕に、凄まじい力で振り回されるようにして、俺の体は無残にも宙へと放り投げ出された。
視界がぐるりと反転し、地面と天井が何度も入れ替わる。
俺には翼などない。
ましてや空中を闊歩する便利なスキルも持ち合わせてはいない。
一度空に打ち上げられた時点で、抗う術は失われていた。
バサァッ!!
次の瞬間、赤鬼は大きく翼をはためかせ飛翔する。
そしてあっという間に俺の頭上へと到達し、空中で逃げ場を失った愚かな獲物を刈り取るように、赤鬼は両腕を高々と掲げる。
そして組み合わせた拳を、まるで落雷のごとき速度と重みをもって――容赦なく振り下ろしたのだった。
「ぐはっ!!」
俺の体はそのままステージへと叩きつけられる。
ドゴォン――ッ!!
轟音と共に床が大きく揺れ、意識が一瞬吹き飛んだ。
全身に走る激痛と衝撃。
コンクリート製の床に大きなヒビが入る程に、その光景が赤鬼の一撃の重さを物語っていた。
「ダァアッーーーートォッ!!
これはあまりにも重いイチゲキだァーーーーッ!!!
勇者ステル、これには堪らずノックアウトかァッーーー!?」
だが、追撃はなおも止まらない。
ステージ上で完全にのびているステルへ向けて、その巨体は空中から勢いよく襲いかかる。
「ま、負ける、訳には……!」
間一髪、俺は体を転がし、なんとか致命の一撃を回避した。
「いぐっ!!?」
激痛が全身を走り、思わず顔を歪める。
骨の何本かは確実に逝ってるだろう。
ああ、こんなことになるなら、もっとDEF(防御力)にステータスを振っておけばよかったと後悔するが、生憎そんなことを考えている暇はない。
さらなる追撃を防ぐために、俺はなんとか力を振り絞り体を起こすと、目の前の赤鬼へ向き直った。
(まともに戦っていて勝ち目はない――無策で突っ込んでも同じ事の繰り返しだ…)
体が発する無意識の警告
脈が速く打ち呼吸は荒く、全身の筋肉は悲鳴を上げている。
まさに「次はないぞ」と全神経が叫んでいるかのようだ。
もう、些細な一発だって受けられない。
パワー、スピード、機動力――その他全てにおいて赤鬼は俺の遥かに上をいく。
だが、だからといって勝機が完全にゼロというわけではない。
なぜなら俺には、道玄から譲り受けた"とっておき"があるのだから――。
ステルはおもむろに下着の中へと手を入れると、ゴソゴソとまさぐり始めた。
やがて安心したような表情を浮かべ、次の瞬間には、まるで何事もなかったかのように手を引き出した。
「よし、あとは一瞬の隙さえ作り出せれば……」




