第五十二話『昔話 後編』
「あれは……アクダインのことか……?」
俺が問いかけると、蒼鬼は静かに頷き一つで返した。
「その話、もう少し詳しく聞かせてくれんか?」
道玄の言葉を聞いて、しばらく考え込んだ素振りをみせた後、蒼鬼はゆっくりと口を開いた。
"本当の"昔話の続きを――。
それは、鬼族の当主を巡って起こった争いの最中だった。
それぞれが赤鬼と青鬼を指導者として、二つの大きな派閥を築いていた。
そして同族達の争いが激化していた頃、赤鬼の元に一人の人間が現れる。
人間の男はこう言った。
「このまま争いを続けていても、無駄な血が流れるだけだ。
ワガハイの手にかかれば、この争いを終わらせることができる」――と。
赤鬼は当初、そんな素性のわからない、ましてや人間の言うことになど聞く耳を持たなかった。
だが、次に放った男の一言によって、赤鬼の表情は一変する。
「鬼族はこのままいけば、間違いなく滅びる。
それはこの争いが"原因"ではなく、"****"の手によってな――」
赤鬼は問うた。
どうすれば"****"から一族を守れるのか。
自分に何かできる事はないか――と。
男は答えた。
「これは双方にとって都合のいい取引だ。
ワガハイは鬼族のこの先を保証する。
代わりに、オマエはワガハイの右腕として働くのだ。そうすれば……」
男の言葉を、赤鬼は黙したまましばらく聞き入っていた。
その晩、深い眠りについた仲間たちの間から姿を消すと、翌朝には一人で青鬼のもとを訪れていた。
そして彼が口にしたのは、三つの約定だった。
ひとつ、当主の座は青鬼に譲ること。
ひとつ、その代価として、年に一度"金貨百枚"を用意し、鬼族の墓の前に埋めること。
そして最後に、赤鬼は死んだと伝えろ――と。
そんな一方的とも言える約定に、青鬼は勿論のこと反論した。
人間達と関わりが殆どない鬼族にとって、年に一度、金貨百枚という話がそもそも難しい。
それに、こんな形で勝敗が決まるなんて納得がいかない。
青鬼はただ赤鬼に認めてもらいたかったのだ。
正直、実力で劣っていることは最初からわかっていた。
共に育ち幾度となく競い合っていった兄妹。
だが、どの分野においても兄は妹を凌駕していた。
それがどうしようもなく悔しくて、情けなくて。
一度でいいから認られたい。
青鬼だって、こんなに大きく、強くなったと。
しかしそんな声も虚しく――赤鬼は振り返ることなく一族のもとを去っていった。
赤鬼が姿を消して以降、青鬼は残された鬼族達をまとめ上げ名実ともに当主の座に就いた。
だがその傍らで、青鬼の心は常に、赤鬼のことで囚われ続けていた。
「それだけ聞くと、赤鬼は結局何がしたかったんだ…?
それに、墓の前に金貨を埋めろってのも引っかかる」
「最後まで聞け」
蒼鬼は鋭くひと睨みで牽制する。
「すまんすまん」
俺はきっちりと姿勢を正すと、再び蒼鬼の話に耳を傾けた。
「……そしてそれから数年経った頃、ウチは本当の真実を知ったんだ」
ある日、青鬼の耳に届いたのは、辺境の地で囁かれる一つの噂だった。
村を襲い、金品を奪い、人を攫う恐ろしい赤鬼がいる。
その噂を聞いた瞬間、脳裏をよぎったのは赤鬼の姿。
だが同時に、脳裏に一つの疑問が浮かび上がる。
金品を奪い、人を攫う。
そんな真似を赤鬼がするはずはない。
なぜなら赤鬼には、揺るぎない信条があったのだから。
人と鬼――その間には、古より続く深い因縁が横たわっていた。
遥か前、ユーディリア大陸において「鬼」の名を耳にした者は誰もが恐れ慄き、抵抗も虚しく降伏した。
鬼は、魔物の中でも群を抜いた畏怖の象徴だったのだ。
だが時は経ち、人間たちの文明は進歩を重ね、魔法の力もまた飛躍的に発展していく。
かつて畏怖の象徴であった鬼族の脅威は、次第に薄れ、過去のものとなりつつあった。
そして――遂にその時が訪れる。
人間たちは長きにわたり蹂躙られてきた積年の恨みを晴らすべく、鬼族への一斉掃討に打って出たのだ。
その作戦を主導したのは、ユーディリア大陸北部に位置する、国土のすべてが一年を通して雪に閉ざされる極寒の地――"ジグラス帝国"。
さらには幾つもの国が兵を派遣し、誕生したのが"ジグラス連合国軍"である。
後に振り返っても、その戦いはあまりに凄惨なものだったと語り継がれている。
争いは実に十年に及び、両陣営の死傷者は"数百万"にも達した。
誰もがただ、いつ終わるとも知れぬ殺し合いに疲弊し、天に祈るような日々を送っていた。
やがて、民の悲願を汲み取った両者の代表者が相まみえ、互いに停戦協定を誓う条約が結ばれる。
かくして――鬼と人間との間には、表向きの平和がもたらされたのである。
そんな不可侵の条約を、鬼族は現代に至るまで律儀に守り抜いてきた。
中でも赤鬼こそ、その約定を誰よりも尊重し、重んじていたはずだ。
赤鬼に限って、そんな事をするはずはない。
半ば懐疑的なその噂を、青鬼は結果として信じることはなかった。
ただ鬼族として、条約を勝手に破ったどこかの鬼族への制裁として、青鬼は噂の地へと足を運んだのだった。
だが、その思いはすぐに覆されることになる。
青鬼の目は一つの光景を捉えた。
一人の人間と、一人の鬼族が並ぶその背中を。
そして――それは紛れもなく、赤鬼だったのだ。
赤鬼はまるで何かに取り憑かれたように、逃げまどう村人達を容赦なく襲っていた。
村中の金品をことごとく巻き上げると、最後に人間の男が家屋へ火を放ったのだ。
たちまち辺りは炎に包まれ、硝煙が立ち込め、あっという間にかつての村はただの焼け野原と化した。
青鬼はその光景を暫くの間、遠くから呆然と只々見ている事しかできなかった。
だが、すぐに湧き上がってきたのは、怒りだった。
青鬼は真っ先に赤鬼のもとへ駆け出すと、鋭い爪を振りかざして背後から襲いかかる。
「グラァアァァアァァァアヴッッ!!!」
ババババァンッ――!!
しかし、その奇襲は失敗に終わった。
青鬼の存在に気づいた人間が、持っていた散弾銃でその体を容赦なく撃ち抜いたのだ。
青鬼の体は、鬼族の中でもとびきり頑丈で、それこそ拳銃程度では致命傷にはならない。
だが、不意を突かれたことで、一瞬攻撃の速度が鈍ってしまった。
赤鬼は、拳銃の音と同時に青鬼の存在に気づくと、青鬼の振りかざした右腕をがっちりと抑え込み、そのまま容赦なく腹部へ強烈な突きを叩き込んだ。
青鬼は吐血し、全身の力を失ったまま地に倒れ込む。
そして薄れていく意識の中、男の一言がこだましていた。
「ビョビョ!いつまでも赤鬼に執着する愚かな青鬼よ……何も知らずに当主となって……ビョビョッビョ!
兄は鬼族の為に、自らの魂をワガハイに売ったのだ!」
薄れていく意識の中で、アクダインの不気味な笑い声が響いていた。
後に知ることになるが、その人間の名はアクダイン。
奴隷商を営んでおり、闇社会では知らぬ者はいないという。
とにかく悪い噂が絶えない男だった。
なぜ、赤鬼があんな男と共に村を襲っていたのか。
きっと、なにか理由があるはずだ、そうとしか考えられない。
話は終わり――俺と道玄は、蒼鬼の話を最後まで聞き終わると、しばらくの間沈黙し思考を巡らせていた。
「だから……ウチは真実が知りたい。
寡黙だけど、仲間思いで頼り甲斐のある兄鬼がこうなったのは、絶対に"ナニカ"がある」
「ふむぅ。真相は闇の中じゃが、間違いなくあの"アクダイン"という男が鍵を握っている事は確かじゃな」
爺さんは何度も頷きながらそう言った。
「ああ。それは間違いない」
「だからウチはこの武道会に参加したんだ!」
蒼鬼は拳を握り締め、声を震わせる。
「絶対に、絶対にあのバカ兄鬼に、正々堂々今のウチを認めさせる為に…」
蒼鬼はどこか虚空を見つめながら、少し寂しげに呟いた。
「……よし!なら、立場は違えど目的は一緒だ!
アクダイン、奴が元凶なのは間違いない。あいにく俺も、大事な仲間を攫われた身だ」
「そうなのか?」
「ああ、だから真実を突き止める為にも、アクダインとは一度真正面から相対する必要がある。その時は俺も協力するさ」
ステルのその一言を受けて、蒼鬼は握りしめていた拳をゆっくりと解く。
さっきよりは、少し落ち着きを取り戻したようだ。
「それじゃあそろそろ、決勝戦をはじめるぞォオオオォーー!!!」
その時、バッセイのアナウンスが会場に響き渡った。
まずい、気づけばもうこんな時間か。
「じゃあ、俺は行ってくる」
そう言い残し、俺は足早に控え室を後にする。
扉を閉める直前、蒼鬼がこちらを見据え、一言だけ投げかけてきた。
「……負けるなよ。絶対に」
その声に一瞬足が止まる。
振り返った俺は、力強く頷き、短く答えた。
「ああ――任せろ」
次回、決勝戦が幕を開ける――。




