第五十一話『昔話 前編』
「グ……ウ……グァウ……ッ……!!」
ガッツォは酷く苦しんだ様子で、呻き声を上げていた。
運営による監査の結果、ガッツォは男性ではなく女性と判断され、不本意ながら俺は不戦勝という形で決勝戦に進出することになった。
今はそのいざこざの為に、一時休戦となっている。
「じ、爺さん!成り行きで連れて来ちまったけど、大丈夫なのか?それに……苦しんでるみたいだぞ」
俺は慌ててガッツォを床へと慎重に下ろした。
その時――首筋の後ろに、怪しく光を帯びた札のようなものが貼りついているのに気がつく。
「……? なんだこれ……」
俺は思わず手を伸ばしかけたが、その直前に爺さんの鋭い声が飛ぶ。
「いかん!絶対に、剥がしてはいかんぞ。
お札には、鬼の力を一時的に封じる強力な魔力が込められておる」
直後、俺はハッと息を呑む。
そうか、そうだったのか。
いくら不意打ちとはいえ、この屈強な肉体を誇るガッツォが、手刀一発で気絶するはずがない。
倒れた理由は、すべてこの札の力によるものだったのだ。
「本来ならば、赤鬼の為にと用意した"とっておき"じゃったのだが……どうやらそれも、必要無くなったようだしの…」
爺さんは、どこか少し名残惜しげに静かに呟いた。
「……ってことは、ここに赤鬼はいないのか?」
俺の問いかけに、道玄はゆっくりと首を縦に振った。
「残る決勝。お主の相手は――確か"ロッソ"とかいう少年じゃったな。あのボウズはどう見たって、純粋無垢な少年そのもの。
赤鬼とは似ても似つかん…」
爺さんの言葉に、俺も深く頷いた。
確かにあの”ロッソ”という少年は、十代半ばのいたって普通の少年にしか見えなかった。
恐らくはこの村で育ち力試しに参加して、運良く勝ち上がった強運の持ち主。
どう見ても、爺さんの故郷を滅ぼしたとされる恐ろしい魔物――赤鬼とはかけ離れた存在だ。
「……だよな。じゃあ、爺さんの追い求めてた赤鬼はもうどっか別の所に行っちまったのかな」
「恐らくの。じゃが――収穫はあった」
そう言って、爺さんは視線を下の方へと向ける。
すると次の瞬間、ガッツォの閉じていた瞼がカッと見開いた。
「グラァウッーー!!」
そしてそのまま獣じみた咆哮と共に、ガッツォは床を蹴り 道玄に向かって勢いよく飛びかかっていった。
するとすかさず爺さんは、右手の指を素早く組み替え、忍者が術を繰り出すときのように複雑な形を作った。
そして人差し指と中指を額に立て、低く鋭い声で叫ぶ。
「禁ッ!!」
「ガァッ……!?」
するとガッツォの巨体が、まるで見えない鎖にでも縛られたかのように、寸前で空中に凍りついた。
「うお!なんだこれすげえな。これもあのお札の力か?」
道玄はそのまま額に当てた状態で、ガッツォへとじりじり歩み寄っていく。
そして気がつけば、目と鼻の先まで迫っていた。
「ガッツォ……否。この際、本当の名で呼ぶとしよう。
赤鬼の実妹にして鬼族の現当主――蒼鬼よ」
「……なぬっ!?ガ、ガ、ガガ、ガッツォが、赤鬼の妹ぉ!?」
俺は思わず、場の空気をぶち壊すような勢いで声を上げてしまった。
だが、驚くのも無理はない。
赤鬼に兄妹がいたなんて。
それも当の本人――赤鬼はいないのに妹だけはいるって、なんだこの謎すぎる状況。
俺の脳内は、すっかり赤鬼と青鬼で埋め尽くされパンパンになっていた。
「老いぼれが……なぜ知っている……!」
蒼鬼は重々しく口を開くと、爺さんに向けて確かにそう言い放ったのだ。
「って、普通に喋れたんかーーーーいっ!」
いかん、反射的にツッコミをお見舞いしてしまった。
俺は今完全に疲れている……自重しよう……。
「主の兄、赤鬼の事をどれほど調べ上げたと思うておる。儂ほど鬼について詳しい者は、そうそうおらんぞ?
それに、主ら兄妹の仲が、壊滅的な事もな」
その一言で蒼鬼の体が明確にピクリと動揺したのを、俺は感じとった。
「……ならば話は早い……早くこの術を解け」
蒼鬼は苛立った様子で、爺さんへ向けて言い放つ。
「それは出来ん。儂にはまだ、主の目的が分からないからのう」
「…………」
一瞬の沈黙の後、蒼鬼はゆっくりと口を開いた。
「鬼族の恥――あのバカ兄鬼を連れ戻す為に、ウチはこのくだらねぇ大会に出場したんだよ」
「ほぉ。それはまた予想外の答えじゃな。
てっきりこの手で"殺すため"とでも言うのかと思ったが」
爺さんは、まるで当たり前かのようにさらりと言った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。話についていけないんだが、その……お前達兄妹は、そんなに仲がアレなのか……?」
俺の問いに、蒼鬼はしばし考え込むような表情を見せる。
それを見かねた爺さんが、唐突にこんな昔話を始めた。
――それはとある鬼族のお話。
あるところに、一本の角を生やした赤鬼と、二本の角を生やした蒼鬼の兄妹がおったそうだ。
その兄妹は、幼少期から鬼族の中でも腕っぷしが特に強く、ゆくゆくはどちらかが鬼族の当主になると言われていた。
おかげで鬼の一族はどんどん力を増していき、ほかの魔物たちを次々と従え、領地を広げていったという。
やがて二人は大きくなり、どちらが当主となるかで赤鬼派と蒼鬼派に分かれ、激しい争いが始まったそうだ。
幾晩にもなる激闘の末――勝利したのは蒼鬼。
敗れた赤鬼は姿を消し、各地で悪行を重ねたと伝えられておる――と。
「その当てつけに犠牲となったのが儂の故郷。
ここまでが、儂の知る事実じゃが――」
「違うな」
爺さんが言い終わる前に、蒼鬼は遮る様に口を挟んだ。
「本当は……勝ったのはウチじゃない……あのバカ兄鬼の方だ」
「なんとっ」
爺さんの驚きはよそに、蒼鬼は続ける。
「兄鬼が当主になるはずだった……でもそれは叶わなかった。それもこれも……全部"アイツ"のせいだ!!!」
蒼鬼の額に、ピキリと一本の筋が走る。
「"アイツ"のせいで、兄鬼は変わっちまったんだ…」
「"アイツ"って、一体誰のことだ?」
蒼鬼は俺の方をちらりと見やると、言葉を発さずに人差し指をゆっくりと天へ向けた。
その指の示す先には、高みから会場の光景を優雅に見物する男――"アクダイン"の姿があった。




