第百四話『嘲け嗤う者』
まさに絶体絶命。
迫りくる暴風の竜を前にして、ステルは一度たりとも瞬きをせず、目の前の光景を真っ直ぐに見据えていた。
逃げようとする素振りも、もがく様子もない。
まるで“覚悟”すら通り越して、この結末を受け入れたかのように静かだった。
ゴォオオオォオオォオオ――ッ!!
(一か八か……やるしかない)
一呼吸置いたのち、ステルは高らかに声を大にして叫ぶ。
「"ユニークスキル:断捨離" ――発動!」
ステルの叫びと同時に、暴風の竜――嵐気竜の巨体が、視界に出現したゴミ箱の中に、ヒュルヒュルと吸い込まれていく。
ステルにとって、まさに"奥の手中の奥の手"。
魔法攻撃を断捨離するのはこれが初めてではないが、決して気軽に使える手段ではない。
というのも――ステルは過去、断捨離スキルの“使いすぎ”で、
スキルそのものが一時的に使えなくなる…という致命的な経験を二度もしている。
そのため以前から「使用する時は十分に注意してください!特にレベルの低いうちは、基本魔力核化したものだけです!」と、念入りにモデスから釘を刺されていた。
魔法攻撃や物体"そのものの断捨離"は――負担が桁違いに大きいらしい。
そして何より、ステルは断捨離スキルの本質を、まだ完全には理解していない。
扱い方次第では、意図せぬモノまで“まとめて断捨離してしまう”危険がある。
(……もし、カバテロごと断捨離してしまったら――)
それだけは絶対に避けなければならない。
だからこそ今回の使用は、文字通り一か八かの賭けに近い、限界ギリギリの選択だった。
「ウオオオオオォオォオオォオオオッ!!!!」
流れ込む魔力の奔流が、全身を突き抜ける。
ミシミシと軋むように音をたてる自らの体。
直撃はしていないにも関わらず、体にかかる負担は相当なものだった。
嵐気竜。
この魔法は、カバテロが四十年にも及ぶ研鑽の果てに、自ら編み出した風属性の上級魔法である。
その名の由来は、かつて世界に君臨したと伝えられる伝説の風竜、"翠竜・グランヴェルデ"の異名「風を纏う暴風竜にちなんだもの。
本来であればこれほどの大魔法だ。
容易に行使できる代物ではない。
だがカバテロは、日々欠かすことなく自らの魔力を――少しずつ、少しずつ、大杖に蓄え続けていた。
その長年の蓄積を、今まさに一気に放出することでのみ発動可能な、数年に一度きりの大魔法。
それが、嵐気竜である。
「ハアッ……ハアッ……ハァ……」
さっきまでの嵐は嘘のように静まり返り、部屋全体に静寂が訪れる。
安堵感から全身の力が抜け、ステルは磔状態から解放されると同時に、地面へ膝をついた。
「……ハァ……」
一拍置いて、ゆっくりと顔を上げる。
そして気がつく。
数メートル先の方に、大の字で倒れ込んだカバテロの姿が見える。
「カバテロッ!」
右足の腫れと痛みが容赦なく主張してくる。
いや、そんなもの今は構ってられない。
俺は弱音を噛み殺しながら、右足を押さえ引きずるようにしてカバテロへ駆け寄ると、そっと優しく声をかけた。
「う……うぅ……うう……」
カバテロは左胸を押さえ、地面に転がったまま苦悶の声を漏らしていた。
「大丈夫か! しっかりしろ!」
呼吸が乱れているのかと思い、俺はその巨体をゆっくりと起こそうと手を添える。
その時、カバテロの唇が震え、低く呟いた。
「ゆ……勇者、ステル……」
「そうだ!正気に戻ったのか!」
「……一つだけ、伝えたいことがある」
「なんだ言ってみろ?一つなんて言わずに何個でもいってみ――」
俺が言いかけたその刹那。
「ゲーム⭐︎セット」
間の抜けた、俺でもカバテロでもない男の声。
次の瞬間だった。
カバテロの体が、風船のように、ぷくりと不自然に膨れ上がる。
「なっ、」
俺の理解が追いつく前に。
パァンッ!!!
鋭い破裂音が空間に炸裂し、カバテロの巨体は次の瞬間――粉々に弾け飛んだ。
「なにが一体……どうなってる……」
普通なら飛び散るはずの何かが、そこには存在していなかった。
肉片も、血潮の一滴たりとも。
淡くきらめく魔力の残滓だけが、雪のように空中へ散って消えていった。
ついさっきまでの出来事が、全て淡い幻想だったかのように。
「ヘハヘハッ! 何度見ても笑えるなぁ、人間フーセン⭐︎」
嘲け嗤いながら、ふざけた芝居を打っているような男の声。
「誰だよ、お前……」
ステルは奥歯を噛みしめ、握りしめた拳を震わせながら、声の飛んできた天井の方へと鋭く睨み上げる。
「ボク? ボクのコト?
もしかしてぇ……興味あったりするワケ?
気になってるの? ねぇねぇ、気になっちゃってるのぉ? ヘハヘハヘハッ⭐︎」
室内のあちこちから、跳ね回るように甲高い声が反響する。
軽い調子の言葉遣いとは裏腹に、漂う気配は底知れず気味が悪い。
その声は一つの方向ではなく、壁・天井・地面に至るまで……まるで空間そのものが喋っているかのようだった。
「ま〜ぁ?キミも薄々気がついてると思うけどさぁ〜?
そうだよ、ボクがこのダンジョンを作った張本人――だよ⭐︎」
男はサラリとそう告げた。
「……そうか。となるとお前が、この国に魔物を送り込んでいる張本人――そう受け取っていいんだな」
「そのと〜〜ぉり⭐︎ あいつら退屈してそうだったからさぁ〜?
ボクの魔物達と遊んでもらおうと思って、ね⭐︎」
「お前もどうせ、魔物の一種かなんかだろ。
自分だけ隠れて傍観なんて、卑怯で情けない奴だ」
吐き捨てるように言った瞬間、室内に反響していた男の笑い声が、ぴたりと止まった。
「糞塵芥屑共と同列にするな」
先ほどまでの軽薄な調子は跡形もない。
凍てついた刃のように鋭い声が響き渡る。
「キサマも――“舐め腐ったあの女”と同じ結末を辿らせるぞ」
「それは、イデアルの事を言ってるのか?」
一瞬の沈黙の後。
「はい、威圧タイムはお〜わり⭐︎」
別人のようにふざけきった声へと切り替わる。
「今は確か、六十三深層だよねぇ……?
うんうん、右足もボロボロみたいだし――キミには特別に、"スキップ権"を贈呈しよう⭐︎」
「……スキップ権だと?」
「次の階層はね――九十九深層。
ほら、特別扱いってヤツだよ、もっと喜んでいいんだよぉ?⭐︎」
(……コイツの考えている事が、全く読めない)
「それじゃあボクはずっと見てるから、せいぜい頑張ってくれたまえ。ヘハヘハヘハッ!!」
狂気じみた笑い声がまだ響いている最中、ブツッ――と雑音が混じり、音はそこで突然途切れた。
そして、幾度となく聞かされた、あのお馴染みの音声が流れ出す。
「第六十三深層エリアの殲滅を確認しました。
これよりダンジョンマスターの特権により、"第九十九深層エリア"へのスキップを実行――完了。ゲートを解錠します」
「……何が何だか分からんが、亡き人間を弄ぶような真似をするヤツは絶対に許さん。待ってろ、ヘラヘラ男」
右足はまだ痛む。
全身も重い。
だが、それでもステルの足取りは止まらない。
「行くぞ……第九十九深層」
物語は、着実に "真実の輪郭" へと迫っていく。




