第百三話『嵐の渦』
なぜ生きている?
それもこんな所にたった一人で――?
あの時、俺とボビンスキーは死嘲妖精の群れに襲われて窮地に立たされていた。
そんな時、カバテロが颯爽と現れ俺たちを守りながら戦ってくれて、それで……。
「カバテロっ……! 本当に、お前なのか……?」
俺は何度も目を擦り確かめる。
それでも消えない大きな背中に、これは夢でも幻想でもないことを実感する。
「無事だったんだな……よかった。なあ、カバテロ……」
俺はそのまま近づいていくと、安堵の気持ちでポン、とその背に手を置く。
「……ん? どうした? 久しぶりで小っ恥ずかしいのか?
なんでもいいから喋ってくれよ。なあ……おい……?」
その瞬間――言葉にならない嫌な予感が、俺の脳裏を走った。
反射より速く、両脚に力が宿る。
次の瞬間、俺は地面を強く蹴り、後方へ跳び退った。
ブゥオンッ――!!
耳を裂く豪快な風切り音。
カバテロの抱えていた巨大な大杖が、俺がさっきまで立っていた空間を横一線に薙ぎ払う。
「お、お前……! いきなり何すんだよ!」
叫んだ声が、空虚な部屋に虚しく響き渡る。
その直感は――やはり正しかった。
振り返ったカバテロの顔は、かつての無骨ながらもどこか安心させる、柔和な表情とは正反対だった。
血の気の失われた肌。
そして――屍人のように虚ろな眼差しが、焦点の合わないままじっと宙の一点を見つめている。
しかもよく見れば、あの死嘲妖精共によって受けた血痕が一つもついていない。
まるで箱から取り出したばかりの新品のフィギュアみたいに、どこにも傷も汚れもない、完璧に“整えられた”姿。
その異様な姿を前にして、俺の知っているカバテロではないという予感が、背筋にじわりと不気味さを覚えさせた。
「……なあ、返事しろよ。カバテロ……?」
何度声をかけても反応はない。
感情の欠片すら見えない視線が、ただ俺を射抜いてくる。
そして次の瞬間、カバテロはゆらりと大杖をこちらへ向けると、ぎこちない口調でポツリと呟いた。
「――嵐気弾」
短い詠唱と同時に、杖の先端から形成された淡緑色の球体が、俺に向かって流星のごとく放たれた。
「っぶねぇ!!」
反射的に身を捻り、どうにか軌道から外れる。
直後、淡緑の球体は俺のすぐ背後の瓦礫へ直撃した。
ドガァンッ!!
衝撃と同時に、巨大だった一つの瓦礫は、まるで砕け散るガラスのように、一粒一粒の石片へと変わり果てた。
「嘘だろ、お前……」
あんなのをまともに体で受けたら――幾らレベルが上がり防御力を多少強化していたとしても、まず無事ではいられないだろう。
「なにすん――!」
体勢を立て直し視線を戻すと、無表情のカバテロが再び大杖をこちらへと向けていた。
そして――
「――嵐気弾。
嵐気弾。
嵐気弾。
嵐気弾。
嵐気弾」
まるで壊れた目覚まし時計のように。
繰り返される狂気の"連続詠唱"。
カバテロの無情な風魔法が立て続けに襲いかかる。
「殺す気かよ、お前!」
爆風の中、俺は部屋の中を必死で駆け回った。
跳んで、転がり、どうにか回避を続ける。
しかし、度重なる連撃の中でわずかに気を抜いた、その瞬間。
「ぐぁああああっ!!」
回避し損ねた一発が右足を直撃した。
激痛が脚の付け根から脳天まで駆け上がる。
次の瞬間、身体がふわりと浮いた――そう感じた時にはもう遅かった。
風の球体に体ごと掴まれたような凄まじい勢いで、俺は一直線に部屋の奥へと吹き飛ばされ、入口付近の床へ背中から叩きつけられた。
肺から空気が絞り出される。
「くぅ……ばっ!!」
幸か不幸か、防御力が向上していたお陰で、右足ごと吹っ飛ばされる――そんな最悪だけは免れた。
しかしそれでも、無数の小刀で皮膚を刻まれたかのような鋭い痛みが、右足を容赦なくズキズキと責め立てる。
熱を帯びた痛みが脈動と一緒に跳ね上がり、見る間に出血が広がり、腫れも酷い。
(……クソ、これじゃ……さっきみたいに動けねぇ……!)
この足じゃ、先ほどのように回避する事は到底不可能。
(なんで……カバテロが俺を襲うんだ……?
まさか――あいつは最初から魔物側の人間だった、なんて……そんな訳……!)
痛む右足を押さえながら、ゆっくりと近づいてくる"カバテロ"に向かって、俺は必死に声を張りあげる。
「な、何があったのか説明してくれ!
お前だって――"イデアルを助けに"来たんじゃないのか!?」
「…………」
一瞬、カバテロの動きがぴたりと止まる。
「なぁ! 分かるだろ!? お前は白装束の一員で、ボビンスキー達と一緒に、この国を守る立派な魔導師だった筈だ!」
「…………」
相変わらず返事はない。
だがその沈黙を、俺はかすかな希望と捉えた。
「思い出せ……! カバテロッ!
そして俺と一緒に、この国をもう一度救ってくれ!」
胸の奥に灯った一縷の期待。
だが――その期待は、一秒も保たなかった。
カバテロはゆらりと首を傾けると、ゆっくりと大杖を再び構えた。
そのまま両腕で杖を握りしめると――次の瞬間、信じられない行動に出た。
ギリギリギリギリ……ッ!
「なっ……お前、何して――!?」
そのまま力任せに、カバテロは自らの大杖を叩き折ったのだ。
次の瞬間、杖の裂け目から抑えきれなくなった魔力が暴風のような勢いで噴き出す。
ゴオオオオオオ――ッ!!
嵐のような咆哮が響き渡り、たちまちこの空間全体が、吹き荒れる暴風の中心へと姿を変えた。
「幾らなんでも……ヤバすぎ、だろ……ッ!!」
凄まじい風圧が全身に叩きつけられ、俺の体は扉へと磔にされるように押しつけられた。
肩も腕も脚も――もはや指一本すらまともに動かせない。
空気が暴れる。
壁が悲鳴を上げる。
視界には、渦巻いた嵐の中心にカバテロの姿。
その中心で、カバテロの口がゆっくりかすかに開いた。
呻きでもない。
呼吸でもない。
それは――詠唱の“始まり”を意味していた。
「古風の環よ巡り集い、天嵐の門をいま開からん。
我、戒めを破りてここに顕現す――嵐気竜よ」
「ここごと……ぶっ壊す気かよ……っ!?」
カバテロの大きな身体は、暴風に吊り上げられるようにふわりと空中へ浮かぶ。
そのまま巻き上がる風の壁の中へ飲まれ、完全に見えなくなっていった。
それから一秒――いや二秒ほど。
耳を裂く風鳴りが一瞬だけおさまったと思ったその時。
暴風を切り裂いて"ソイツ"は現れた。
風そのものが竜の形を形成し、巨大な顎を開けた突風の化身が、
ステルめがけて一直線に襲いかかってきた。
「…………ッ!」
逃げ場など――もはやどこにもない。




