第2話『この愛は、絶対にバレてはいけない』
――それは、命をかけた“愛”と“秘密”の物語。
朝、校門の前。
結衣はマスクと手袋、アレルゲン除去スプレーを携え、万全の装備で登校する。
彼女の周囲では、クラスメイトたちがその姿に慣れつつも、どこか距離を取っていた。
それでも、結衣は笑っていた。
「おはよう」
彼女の笑顔に、どこか作られたものを感じ取れる者はいなかった。
だが――
そんな日常の裏で、もうひとつの“秘密の世界”が動いていた。
***
放課後。人気のない体育倉庫。
そこに、2人の影があった。
「……誰かに見られたら終わりだぞ」
緋人が小声で言う。
「わかってる。でも、こうでもしないと会えないでしょ」
結衣は制服の襟元を押さえ、酸素の小型パックを外すと、そっと緋人に寄り添った。
――2人は、極秘裏に結婚している。
しかし、それはどんな関係者にも明かしてはいけない「絶対の秘密」。
「私たちが夫婦だって知られたら、きっと私、アイドルを続けられなくなる」
「でも、俺は……お前をひとりにできない」
「わかってるよ。でも、お願い。今はまだ……私を“アイドルの真白結衣”として見ていて」
結衣の手が、そっと緋人の制服の裾を掴んだ。
その瞬間――
扉の外に、微かに足音が聞こえた。
(まずい……!)
緋人が結衣を物陰にかばい、ドアに背を向ける。
「……誰かいるの?」
それは、同じグループのメンバー・相良あかりの声だった。
「いや……ちょっと荷物探してただけ」
緋人は涼しい顔でごまかす。だが、結衣の背中は震えていた。
***
その夜。
2人は病室のような清潔な部屋で、並んで座っていた。
「いつか全部、バレてしまうのかな……」
結衣がつぶやく。
「バレてもいい。その時は俺が全部背負う。だけど、お前が壊れてしまうのは……それだけは絶対に嫌だ」
緋人の声は、どこまでも真剣だった。
結衣は彼の肩に寄りかかる。
触れたい。でも、触れられない。
愛してる。でも、愛していることを誰にも知られてはいけない。
「この愛は、絶対にバレてはいけない」
それが、2人の間に課せられた、最も過酷なルールだった。
翌日――。
GRT48のレッスンスタジオ。
ダンス練習の最中、結衣は小さく咳き込む。
それでも彼女は、誰にも弱さを見せず、振付を間違えることもなかった。
「結衣ちゃんって、ほんとすごいよね」
「そうそう、あんなに体弱いのに、休まないし」
メンバーたちの囁きが、結衣の耳に入る。
(うん、それでいい……このまま、誰にも知られずにいたい)
そのとき、マネージャーの桐谷がスタジオに入ってきた。
「真白、ちょっと話がある。来てくれるか?」
――控室。
緊張した空気の中で、桐谷はノートPCを結衣に向ける。
「……これ、見覚えあるか?」
そこには、昨夜誰かがSNSに投稿した写真が映っていた。
写っていたのは、体育倉庫のドアのすき間。結衣と緋人らしき人影が、ぼんやりと映っている。
「これは……」
結衣の心臓が音を立てて跳ねる。
「本当に偶然ならいい。でも、これ以上噂になったら、君も緋人も危ない。君は今、グループの顔なんだ」
桐谷の声は冷静だったが、その裏にある“圧力”は明白だった。
「……すみません。でも、私たちは何もしてません」
「それならそれでいい。だが、火のないところに煙は立たない。気をつけてくれよ」
***
その夜、結衣は緋人の部屋に身を寄せていた。
「……見つかりかけた」
「やっぱり、もう限界なのかもしれないな」
「ねえ、緋人くん……」
結衣は彼に顔を向ける。
「私、もしアイドルでいられなくなったら……それでも、隣にいてくれる?」
緋人は即答した。
「当たり前だ。アイドルじゃなくても、病気だろうと、俺はお前の夫なんだから」
その言葉に、結衣はこらえていた涙を落とす。
「ありがとう……ほんとはね、こんな体で、こんな立場で、誰かを好きになっちゃいけなかったのかもって、思ってた。でも、もう止められないの」
緋人はそっと手を伸ばしかけるが、結衣の皮膚に触れるその直前で、指を止める。
「触れたい。でも……」
「だめ。私、君を殺したくない」
そう、それが2人のルール。
愛しても、直接触れてはいけない。その理由は――結衣の皮膚にさえ“接触性アレルゲン”が潜んでいるから。
ふたりは、言葉だけで抱きしめあった。
誰にも知られず、誰にも気づかれず。
そして、結衣はそっと口にした。
「この愛は、絶対にバレてはいけない――そうでしょ、緋人くん?」
彼はただ、頷くしかなかった。
深夜0時。
静まり返った緋人の部屋。結衣は加湿器と空気清浄機が稼働する完璧な環境の中、ソファに腰掛けていた。
「ねえ、緋人くん……どうして君は、私なんかを好きになったの?」
ふと漏れたその問いに、緋人は目を細めて言った。
「“なんか”じゃない。お前は……世界で一番、強くて、きれいで、儚いんだ」
「そんなこと言っても、私、君に触れられないし……料理も一緒に食べられないし……人前では知らないふりしなきゃいけないし……」
ぽつりぽつりと出てくる言葉は、抑えていた感情のしずく。
「全部、苦しいの。恋してるのに、隠してなきゃいけないなんて……。夫婦なのに、抱きしめてもらえないなんて……!」
その言葉に、緋人はぐっと息を飲む。
そして――ほんの数センチ、顔を寄せた。
「結衣……」
彼女の瞳の奥にある、どうしようもない寂しさと、焦がれるような想いに触れたくて。
けれど――
「やめて」
結衣が、震える声で制した。
「お願い……これ以上、近づいたら……死んじゃうかもしれない」
言葉の重みが、空気を切り裂いた。
そう、これは普通の恋じゃない。
触れたら命を落とす恋。愛しているのに、殺してしまうかもしれない関係。
緋人はそっと手を引っ込めた。そして、結衣の目を見て、静かに言った。
「だったら、俺が死んでもいい。……それでも、お前に触れたいって、思ってしまうくらい、お前を愛してる」
その言葉に、結衣の瞳から、静かに涙がこぼれた。
「バカ……そんなの、愛じゃないよ」
だけど、心のどこかで思ってしまった。
(……少しだけ、触れてみたい)
***
翌日。
SNSに一枚の画像が拡散され始めた。
《真白結衣、深夜の密会写真!?》
小さな影と、マスクを外した素顔の結衣の横顔が、そこには写っていた。
(嘘……バレた……?)
結衣の心臓が凍りつく。
この愛は、絶対にバレてはいけない――なのに。
ここから、すべてが少しずつ、崩れ始めていく。