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第3話 『愛を、再び語れる日まで』 (緋人視点)


春の風が吹く研究棟の中庭で、俺は久しぶりに深く息を吸い込んだ。

消毒液の匂いが、少しだけ懐かしい。


「緋人さん、こっちです」


梓の声が聞こえる。

彼女の研究室は、免疫応答とナノカプセル治療を掛け合わせた最先端のプロジェクトの中枢にあった。


「すごいな……。こんな技術、10年前には想像すらできなかった」


「全部、あの人がいたからです。結衣さんの症例は、異常で、でも美しかった。人類が“生きる”とは何か、その核心でした」


梓は言葉を選びながらも、丁寧に語る。

彼女は科学者であり、結衣の“理解者”でもあった。


「私はきっと、結衣さんみたいにはなれません。でも……あなたの“希望”になりたいとは思っています」


その言葉に、胸がざわついた。


希望。

それは、俺が一番恐れていた言葉だった。

希望を抱くことは、また誰かを失うかもしれないという恐怖と隣り合わせだったから。



研究棟を出ると、梓が言った。


「緋人さん、よかったら今夜、私の家で夕食でもどうですか? 母が、ぜひお礼をしたいって」


「お母さんが……?」


「実は昔、結衣さんの握手会に行ってたんです。“この子には触れなくても、心は触れた”って、今でも言ってます」


笑っている彼女の目が、少し潤んでいた。

俺は静かにうなずいた。



その夜。

梓の家は、ごく普通の木造一戸建てだった。

食卓には、あたたかい料理が並び、家族のぬくもりが溢れていた。


「あなたが緋人さんね。……ありがとう。うちの子、ずっとあの子に救われてたの」


梓の母は、昔話をしてくれた。

結衣のライブに通ったこと、Vlogを観て泣いたこと、そして――


「私、結衣さんの最期の配信、今でも録画してあるの。あの言葉、“あなたが生きてくれるだけで、世界は美しい”って。あれで、何人の命が救われたか……」


俺は答えられなかった。


ただ、泣きそうになるのをこらえながら、箸を止めた。



その夜、帰り道。

梓がふと、言った。


「……ねえ緋人さん。今も、彼女のことを“愛してる”って、思いますか?」


静かな夜風が吹いた。

俺はしばらく黙って、それから口を開いた。


「うん。愛してる。

でも――

それと同じくらい、“君たちを守りたい”って思う自分もいる」


「……それで、いいと思います」


梓は微笑んだ。

その横顔は、もう結衣には見せられなかった未来そのものだった。



帰宅して、机に向かった。


引退後、封印していたノートを開いた。

タイトルは――『結衣が見た世界』。


あの日から止まっていた俺の物語が、再びページをめくり始めた。


彼女が遺した“世界の毒”に、俺はどう抗っていくのか。

そして――再び、誰かを愛するということを、どう受け入れるのか。


その問いの答えは、きっとまだ遠い。

でも今は、もう一度歩き出してみよう。


誰かの命を、守るために。

彼女の愛を、未来に手渡すために。



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