File 2 : 横山薫 1
久我山警視正と部下の竹下警部が所轄署の依頼を受けて現場に到着した時、その老女は意識はないがまだ微かに呼吸をしていた。
老女は自室と思われる部屋のベッドに横たわっていた。
小綺麗な寝巻きを着て肌艶も良く、ふっくらとした顔からも穏やかな晩年を過ごしていたのだろうと想像できる老女だった。
だが、その老女は両足を腰紐と思われるものできっちりと縛り、粗相が無いようにと思ったのか紙おむつをつけていた。それだけではなく、ベッドの上には防水シーツがぴっちりと敷かれていたのだ。
(自死を図ったか?)
久我山はそう思った。
(自死の未遂で、なんで特殊捜査研究所が呼ばれた?)
不思議に思っていると、2階いる所轄刑事から声がかかった。
「久我山警視正殿!こちらにもご遺体がありまして…」
久我山が竹下と2階に上がると、そこには若い男女の遺体があった。
2人は裸体を晒していた。
死の瞬間まで2人で睦合っていた様で、死後1週間から10日くらいか。冬でなければもっとひどい状態になっていただろう。
そこへ所轄の刑事がやって来て、久我山と竹下に深々とお辞儀をし事件の概要を話し出した。
「助けて、という110番通報がありまして、近くの交番巡査がこの家に駆けつけて事件が発覚しました。
老女はこの家の持ち主、横山薫です。交番巡査も会った事もあり間違いはないとの事です。
恐らくですが2階の2人は薫の孫、美琴とその恋人。この2人は最近この家で同居を始めた様子で、仲良く歩いている姿を近所の主婦達が何度も見ています。
男の方は以前この辺りで週1回食材の宅配をしていた 'テルくん' だったという主婦もいて、その情報を元にこれから確認作業に入る予定です」
所轄刑事はそう言って手帳を閉じた。
あと何か必要でしょうか?という顔をしている所轄刑事に久我山は尋ねた。
「ありがとうございます。概要は分かりました。
ウチに依頼をしてきた理由をお聞きしてもいいでしょうか。身元もすぐに割れたし、余り難しそうな事件にも思えないのですが?」
久我山がそう訊ねると、所轄刑事は途端に歯切れが悪くなった。
「え〜っと…。
ウチの署長と特殊捜査研究所の所長である井上副総監は同期だそうで…。
え〜っと。署長が副総監から依頼を受けたとかで…」
「なんの依頼ですか?」
鼻の横をほりほりと掻く、という漫画のような仕草で所轄刑事が答えた。
「え〜、何か良い案件があったら特殊捜査研究所に捜査をさせてくれ…と」
「…ちっ!」
あからさまな舌打ちをした久我山は、慌てて所轄刑事に謝った。
「すみませんでした。
今のは聞かなかったことに…。
特殊捜査研究所へのご協力、感謝いたします」
そして竹下警部に言った。
「横山薫を特殊捜査研究所に運べ。
急げ、時間はあまりなさそうだ」
こうして老女は研究所で取調べを受けることになった。
特殊捜査研究所に搬送された横山薫はまず医務室に運ばれ、医療処置を受ける事になった。
しかし、横山薫を最初に見た主任医務官の野沢は首を傾げた。
「この女性が自死を企てたのですか?
うーん。なんというか…。
分かりやすく言うと、全く生命の危機的状態にはありません。
苦悶の様子はないですし、嘔吐などで汚れていませんし、外傷もない。バイタルも正常です。
まるで眠っているようだ、なんてよく言いますけど、本当に寝ているだけみたいなんですよ。
覚悟してオムツなどを着けていたようですが…。一体何を使って自殺しようとしたのでしょう?
取り敢えず、後10分ほどで血液検査の結果も出ますからそれを待ちましょうか?それからどういう処置をするかを考えても遅くはないでしょう」
久我山はその言葉を聞いて、事件現場に違和感があった事に気がついた。
2階で孫が亡くなっている事に気付いたはずだと思うのに何も行動を起こしていない事や、自分で足を縛ったあまりにも手慣れた紐の結び方…。
横山薫は普通の老婆ではない…久我山は漠然と思った。
特殊捜査研究所の医務室は、文字通り医療を通しての犯罪対策と捜査について研究している部門だ。
医師、看護師を始めとしたスタッフ、そして設備も検査、診療、治療と全てにおいて日本最高レベルを誇っている。
簡単に医務室などと呼んではいるが、正式名称はかなり長いので誰も使わない。
そんな医務室の主任医務官である野沢が、10分後、困惑した表情で久我山の前にやって来て、血液検査の結果も全て正常だったと報告した。
「警視正殿。とにかく変ですよ、この参考人」
それを聞いた久我山は治療より捜査を優先する事に決めた。
横山薫は取調室に運ばれた。ICUの様な機器が並ぶ部屋のベッドに寝かされ安全確保のため拘束されてはいるが、動けるとはとても思えなかった。
これから薫に行うのは、公には知られていない捜査方法だ。ドイツ語のErinnerung (エアインネルング、記憶) という単語から名付けられた 'インネル' という装置を使い、意識のない容疑者や重要参考人の記憶の中から本人が見た事、聞いた事を映像として記録する。
霜山リカの事件以来、'インネル' は改良がどんどん進み、双方向での会話ができる様にもなったし、様々な解析技術も進歩を遂げている。
だが、悲しいかな…'インネル' の出番はあまりない。
警察内部での勢力争いで特殊捜査研究所が割りを食っているのか、それだけ複雑な事件は少ないという事なのか。先ほどの所轄刑事が鼻の横をほりほりと掻きながら言ったことは、久我山達にとって悔しいがありがたい事でもあった。'インネル' を使ってもっと経験を積み重ね、捜査技術を高めたいのは事実なのだから。
久我山は副総監の根回しには心の中で悪態を吐きながらも感謝した。
「竹下。井上副総監のご配慮に感謝しながら捜査を開始しよう」
竹下はクスッと笑ってからきりりと表情を変え、元気な声で了解ですと答えた。
こうして久我山は横山薫の 'インネル' による捜査を開始したのだが、これから先もこの件と深く関わる事になるとは、この時の久我山は思いもしなかった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
私は目が覚めた…のか?
あたりを見回すと部屋の中にいるように思うけど、違和感に気がつく。自分の家なのに、なんだか変だ。少し頭も痛い。
すると、どこからともなく柔らかな男の声が聞こえてきた。
「お名前を教えてください」
「えっ? は、はい…横山薫と申します。
これはいったい…?」
「私は特殊捜査研究所の久我山警視正です。あなたの家で起きた事の捜査を任されています」
「はい…。えっと、あなたはどこにいるのです?」
「あなたからは見えない所にいますが、あなたの事はきちんと見ています」
「えっと…あの、私はどうしてしまったのでしょう?逮捕されてるのですか?」
「あなたは、あなたの自宅で起きた出来事の重要参考人です」
「へっ?重要参考人…ですか?
私は何もしてませんけど」
「それはこれから捜査をして解明していきましょうか」
「はぁ…」
私は気の抜けた返事をしてしまった。
「今からあなたに行う捜査方法は最新の科学捜査です。あなたの脳の海馬に働きかけ、あなたの記憶から事件の真相を取り調べていきます。
今、あなたは会話をしていると思っているでしょうが、それは脳内トーク、脳の中で話している言葉です」
「はあ、何を言っているのか、よくわかりません」
「つまり、あなたがこれから見るのはあなたの記憶です。記憶の中から見た事と聞いた事、つまり事実のみを証拠として捜査に使います。あなたがこれから '話す言葉 ' も全て記録されます。
嘘は吐こうとしてもつけません。いいですね?」
すでに記録は開始していると久我山という男は私に言った。
「では、今回の事件に関するあなたの記憶を見ていきます。今回の事件の始まりだとあなたが認識している所から記憶が始まります。では…」
私の周りから久我山という人の声も気配も無くなった。