File 7 : ガイア 3
上空をテレビ局のヘリが飛ぶ中、井上副総監を乗せたワゴン車がゆっくりと病院を後にした。
特殊捜査研究所でも皆スマホの画面を食い入る様に眺めていて、皆イヤホンをしているはずなのにアナウンサーの声が何処にいても微かに聞こえてくる。
「こちらはWNNテレビ、坂東です。
副総監を暗殺しようと、あ、すみません、まだ暗殺と決まったわけではありませんでした、副総監に何らかの危害を加えた相手もまだ判明していない中、副総監が亡くなられたとアナウンスがあってから3時間近くが経ちました。病院の周りには副総監の回復を願う人々が集まっていましたが、今もその数が増え続けています。
先ほど集まってきた方々に話を聞いた所、皆、副総監をお見送りするために病院に来たと涙ながらに話してくださいました」
「あっ、たった今、井上副総監を乗せた車が病院から出てきた模様です。黒塗りのバンの後ろには、恐らく井上夫人が乗っているものと思われる車が続いています」
井上副総監を乗せた車が井上邸に到着すると、長年井上の身辺警護を担当していた高崎と土田が車の中から現れた。そして、2人に前後を護られたストレッチャーがゆっくりと家の中に消えて行った。
ヘリからの中継は続いていた。
「あっ!井上夫人が車から出てきた模様ですが、かなりフラフラとした様子で…女性職員でしょうか…しっかりと支えられています。
国民に愛された井上新太副総監は今、夫人と共に自宅に戻って来られました。
この国の安全と平和のために力を尽くしてこられた副総監。長い間、ありがとうございました。そして安らかにお眠りください。
上空からのリポートは以上になります。
WNNテレビ、坂東の実況でした」
最後の方は涙ながらという感じで、感動的だった。
その後、井上家からは公式に、葬儀は身内だけで密葬として行い弔問その他は一切お断りします、という発表があった。
こうして、いろいろな疑問を残したまま、井上副総監が倒れて1週間が経った。副総監はお骨となり、井上家には深い悲しみだけが残された。
ちょうどその頃、一台の車が特殊捜査研究所にやって来た。
機材搬入口に横付けされた車からは大きな箱の様な荷物が運び出され久我山が受け取り書にサインをし、竹下と石川が台車に乗せて中へと運んだ。
その荷物が医務室と呼ぶ部屋に着くと、そこには主任医務官の野沢が待ち構えていた。
丁寧に荷解きされた箱の中を見た野沢が大きく頷くと、箱の中身がゆっくりと取り出された。
「せぇーの、どっこいしょ!」
石川が掛け声をかけ、医務室のベッドの上に移したのは井上副総監だった。
「石川、どっこいしょはダメだろ」
小さな声で竹下がそう言うと、だって重たかったから…と石川が言いわけをして、誰にともなく 'すみませんでした' と頭を下げた。
全く緊張感のない竹下と石川は医務室の隅っこに立って、亡くなって荼毘にふされたはずの井上新太副総監を見ていた。
ベッドサイドモニターの電極やプローブが野沢の手で副総監に取り付けられていく。
狭い部屋の中には久我山と山之上麻耶、SPの高崎と土田、医務官の野沢、智子夫人、そして竹下と石川。
しんと静まり返った部屋の中で時間がゆっくりと過ぎていく。やがて 'ピ…' というモニタ音が微かに鳴った。
それはやがて、ピ…ピ…ピ…と規則正しいリズムを刻み出し、正常なバイタルへと変わっていった。
集まっていた皆がじっと井上副総監を見つめ続ける中、モニタ音が少し乱れて副総監がごそっと動いた。
倒れてから168時間。
ゆっくりと目を開けた井上副総監は若干虚な眼差しではあったが辺りにいる皆を見て、にぃ〜っと笑った。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
事の始まりは昨年の秋。
冷たい風が吹くある夜の事だった。
井上副総監から '一緒に飲もう' という誘いを受けた久我山は例の場所に向かった。
焼き鳥屋に着いて見ると外が寒いにも関わらず扉は開け放たれ、焼き鳥が焼ける煙と酒の匂いが辺りに充満していた。霞む焼き鳥屋の中は満席であったが、副総監は隅の席に座り1人の女性と仲良さそうに話をしていた。
副総監は久我山に気がついて、右手を挙げ手招きをした。
「おぉい!ここだ、ここ。
待っていたよ。さぁさぁ、座りなさい。」
副総監はかなり飲んでいるのか、すでに上機嫌になっていた。
どうも、と副総監の向かいに座る女性にお辞儀をしかけて、久我山は大声をあげそうになった。
そこにいたのは伊藤香苗だったからだ。
伊藤香苗は山城正人がワシントンD.C.に赴任した時からどこにいるのか分からない状態が続いていた。いろいろな事から考えて、香苗と正人は面倒な事から逃げたのだ、と久我山は思っていた。
「どうしてここに?
まさか、堂々と一時帰国ですか?」
皮肉っぽく聞く久我山に、香苗はかすかに笑った。
(ふん!誤魔化しやがった!)
久我山が鼻先で笑っている事に気がついた副総監は酒とグラスを注文して、久我山に向きあった。
「まあ、まあ、久我山君。
そんなにとんがらずに…。ここは焼き鳥屋だよ」
副総監は運ばれてきた日本酒の瓶から酒をドボドボと3つのグラスに注いで、まずは乾杯とグラスを上げた。
久我山も渋々ガラスを上げた。
「久我山君、君が色々と言いたいのは分かってるさ。でも、ちょっとだけ話を聞いてくれ」
珍しくも焼き鳥屋の中で副総監は声を顰めた。いつもなら、誰も聞いてないし気にも留めない、と言って憚らない副総監が、だ。
「実はね、久我山君。
黙っていたけれど、伊藤香苗君には極秘の任務があってね、アメリカに行ってもらってたんだよ」
「極秘任務…ですか?
でも、香苗さんは 'インネル' での捜査の後も意識が戻っておらず、そのまま消えましたよね?」
久我山は香苗をちょっと睨んだ。
副総監は、そうだったね、と大きく頷いた。
「実は、佐倉病院に移ってすぐに香苗君は意識が戻っていてね…」
(…じゃあ、あの時、病室で山城正人が泣いていたのは芝居だったのか?…俺が様子を見に行くって分かってたって事かよ!)
香苗は悪びれる様子もなく、グラスを口に運んだ。
「私は香苗くんから連絡をもらってすぐに、香苗君と山城君にこっそりと会ったんだ」
香苗はその場でアメリカのCIAに研修に行かせてくれと、井上副総監に直談判したのだという。
香苗は久我山をまっすぐに見ていたが、久我山は強い意志を感じるその眼を睨み返した。
「私と正人さんは立山誠、伊丹健四郎、山城大河の今までの罪状を明らかにしたいのです。
しかし、残念ながら今のままでは証拠が足りません。'インネル' での供述も弁護側から虚偽の可能性を突かれたら、難しい展開となると思います」
確かに、香苗は 'インネル' の弱点をついて捜査を躱していた。
「そのために私には武器となるスキル、3人と対等に闘えるスキルが必要でした。ですから、CIAで研修を受ける事を願い出たんです」
香苗の願いを副総監は了承したが『ただし…』と言って交換条件を出したと言う。
「山城君には1年間、在アメリカ合衆国日本国大使館の在外公館警備対策官として着任するならば認めるよって言ったのさ。向こうは人手不足で、優秀な人材を遣せと言われていたからね」
山城正人は渋い顔をしたが結局は交換条件を受け入れて、アメリカ合衆国日本国大使館に行った。
そして、香苗は10ヶ月に及ぶ研修を終えて一足先に帰国した…という事らしい。
「香苗くんは来年の春に休職期間を終えて、正式に副総監付きとして復帰する事になった。本来ならば、諜報活動対策のスペシャリストになるが、全ての事が決着してから公表する」
香苗は副総監と久我山を見て言った。
「久我山さん、私に力を貸してください。特殊捜査研究所の皆さんのお力も必要です。
お願いします」
香苗は深々と頭を下げた。
力を貸すとも貸さないとも言う前に、香苗は話をどんどんと進めて行った。何だか、すっかり香苗のペースに巻き込まれている感じで、面白くはなかった。
(ちっ!これもCIA仕込み…って事か)
気がつくと、久我山は大胆な作戦の話や特殊捜査研究所の役割に至るまで話を聞かされていた。
だけど、久我山は釈然としなかった。
(まだ、何かおかしい。何か隠してる。
でも、聞いても何も答えてはくれないのだろう)
久我山は焼き鳥屋の煙の中、2人の話を聞きながら割り切れない思いで酒を飲んだ。
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年が明けて1週間が過ぎたその日、副総監はある薬を飲んだ。そして、ぴったり6時間後、スクランブル格差点の真ん中で倒れた。
副総監の心臓は徐々に拍動が弱くなり、72時間後に止まった。
6日後にはダミーが荼毘にふされた。
そして168時間後、特殊捜査研究所の医務室に運び込まれた井上新太副総監は予定通りに目覚め、にぃ〜っと笑ったのだった。




