File : 1 霜山リカ 1
この作品は以前投稿した、特殊捜査研究所 〜久我山警視正の事件〜 を加筆修正した作品です。
設定その他、大きく変更し別の作品に仕上がりました。
読んでいただけたら幸いです。
毎日、12:00 13:00 2話更新予定です。
「あの、あ、あの、と…となり。隣の部屋で大声で言い争う声が…。
怖い、怖いです。な、なに?
何なのあ今の声?
はやく、早く来て!」
警察にそんな110番通報があったのは北風が吹く寒い夜で、10時を少し過ぎた頃だった。
通信司令室からの指示を受けて自転車で現場に向かった交番勤務の市川巡査は、若者が多く住むこのエリアでよくある痴話喧嘩だろうと軽く考えていた。
市川巡査が到着した時、そのマンションは争い事など無かったようにしんと静まり返っていて、やはり言い争いは痴話喧嘩で仲直りしたんだな、と市川は思った。
しかし、まずは通報者に話を聞かねばならない。市川巡査はフロアを進んで行った。
市川巡査が通報者の部屋をノックをすると閉められたドアの向こうから小さな声がして、ドアチェーンをかけたまま女性が顔を出した。
市川は警察手帳を見せた。
「通報ありがとうございました。どうされましたか?」
市川が問いかける前に、女性はガタガタと震える指で右隣を指差していた。
「あ、あの…こっちの隣…。あんなに大声で叫んでたのに、今は…こんなに静かで…。
お巡りさん、こ、怖い…。
まさか、何かとんでもない事が起きたんじゃないですよね?
まさか…ですよね?」
「わかりました。落ち着いて下さい。
ちょっと様子を見てきますから、戸締りを厳重にして部屋から出ないようにして下さい。
あとでまた伺います」
市川巡査はそう通報者に言うと隣室に行き、こんこんこんとノックをした。
「すみません、警察です。何かありましたか?」
こんこんこん。こんこんこん。
ドアは閉まっていてノックにも呼びかけにもなにも反応がなかった。
「こんばんは。警察です。
いらっしゃいますか?ちょっとドアを開けて下さい」
返事がないため巡査がドアに手を掛けてみると鍵はかかっていなかった。
「すいません。失礼してドアを開けますよ」
そう言って開けたドアの先を見た市川巡査は、部屋全体に赤黒い絨毯が敷き詰められているのかと思った。そして、3秒ほどその光景を見てからやっと恐ろしい状況に気付き、思わず声を上げて後退りした。
部屋の中が血の海になっていたのだ。
気持ちを落ち着かせようと深呼吸をした市川は血の匂いで気持ちが悪くなってしまい、深呼吸をした事を後悔した。
そして、吐き気を堪えて所轄署に応援要請をした。
現状報告をしろと言われ、市川が恐る恐る覗き込んだ部屋の中には4人の男女が倒れていた。
1人目は20から30代の男。
部屋の隅に座り込んでいた。
2人目は20代らしい女。
背中が血だらけで、うつ伏せになって倒れていた。
3人目は壮年の男性。
腹部から大量の血を流して倒れていた。
4人目は若い女。
夥しい血にまみれ、辺り一面に血が飛び散っていた。
市川巡査は報告を終えると、とりあえず所轄署の指示に従って現状の維持に努めることになった。
隣室の通報者の女性に外に出ないようにとだけ再度伝えると、市川は事件現場となった部屋のドアの前に立った。
市川がふと気がつくといつ事件発生に気が付いたのか、ものすごい数の野次馬がマンションの周りに集まっていた。スマホのフラッシュがあちこちで光り、不謹慎な高揚が深夜の街に広がっているのを市川は感じた。
「あの恐ろしい光景見ても、この野次馬達はスマホで写真を撮るのだろうか…」
そんな事を考えていると、市川の頭の中に室内の光景がまた浮かんでしまった。市川は職務に励むことに集中しようと2度3度と頭を振り、事件現場となった部屋の前に立ち続けた。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
所轄の刑事達と鑑識、救急隊が現場に到着した時、背中を刺された女だけは微かに呼吸している事が判った。そして、治療を受けるため救急搬送されて行った。
あとの3人は死亡が確認され、所持品などから身元もすぐに判明した。
壮年の男性は安田隆。
名刺などから国会議員で与党の大御所である立山誠の私設秘書だと判明した。
若い女は学生証から安田の娘で安田千紗であると判った。
若い男の名前は運転免許証と社員証から田山雅彦で、大手の某会社の社員であると分かった。
与党の大御所の私設秘書が遺体で発見されたという一大事に、所轄署の刑事はとりあえず立山議員に連絡を入れた。
事件の連絡を受けた立山議員は大声で刑事を怒鳴り散らし、緘口令を '要請' した。同時に報道規制も敷かれ、一部の情報が秘される事になった。
警察内部と報道関係者からは規制に反発する声も聞かれた。だが、安田秘書がどの様に事件に関わっているのか判明するまでは迂闊な事は出来ない、という認識は皆の一致するところであった。
緊急搬送された身元不明の女は手術を受けた。10時間に及んだ手術は成功し、女は一命を取り留めたが、意識は回復しなかった。
その女が誰なのか身元を証明する物は何もなく、辺りの聞き込みでもなんの手がかりもなかった。
事件の早期解決の 'お願い' が立山議員からあったのだろう。警察は一刻も早い真相究明、事件解決のため、その女を重要参考人として '最新機器' を備えた特殊捜査研究所への送致を決めた。
最新機器…とは 'インネル' という名前で、ドイツ語の Erinnerung (エアインネルング : 記憶) という単語から名付けられた、人の記憶の実写化をする機器のことだ。
意識不明の対象者を取調室のベッドに固定し、'インネル' の端子を装着して取調べを受けるシステムなのだが、 'インネル' には弱点があった。
意識がある者には使えない。
そのためか、完成とは認められず、' インネル' の存在は公にはされていなかった。
そんな開発途中の 'インネル' を使って重大事件の捜査をするのだから警察幹部が何人も視察の名目で研究所にやって来た。
いや、そうではなく、立山議員の不利益にならない様に、早めに対策を立てたいだけだろうと思われた。
取調室と呼ばれる部屋に集まる警察幹部はベッドに横たわる重要参考人の女をじっと見ていて、辺りは妙な緊張感に包まれていた。
取調室の中では規則正しい機械音がピッ…ピッ…ピッ…と響き、少し離れたところにある 'インネル' のモニタは複雑な波形を映し出していた。
しばらくして取調室の隣にあるガラス張りの監視室から男の声が聞こえてきた。
「準備が出来ました。始めてもいいでしょうか?」
警察幹部達がぞろぞろと監視室へ移動し、取調室には医務官と 'インネル' 担当の技術者が1人ずつ残るだけとなった。
取調室の光が落とされるとモニタが鈍く光り始め、ブーンという不気味な音と共に感情のないデジタル音声が響いてきた。
バイタル正常。異常なし。
取調べを開始します。
やがて鈍く光っていたモニタが映像を映し始めた。
「参考人であるこの女性が、事件の始まりだと認識している時点から映像が始まるように設定されています」
監視室にいる研究所の実質的なトップ、久我山警視正は警察幹部達にそう説明すると、隣に座る部下の竹下警部に声をかけた。
「始めよう」
竹下は久我山の顔を見ると深呼吸をして頷いた。
女のかすかな声が取調室に流れてきた。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
私はどこにいるのかしら?
あいつはどうなったんだろう?
あいつのあんな顔見たくなかったのに…。
私は生きてるの?
あり得ないでしょう?
だって私はあいつの部屋であんなに刺されたのに。
どうなってるの?
やがて 'インネル' のモニタに女の部屋が映し出され、女の記憶がゆっくりと映像化し始めた。
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