ホワイトデーの後味は
「よっ、今日はホワイトデーだろ?誰かにチョコを返す予定はあるのか?」
ざわざわとした朝の教室で和田優斗は席に座っているとクラスメイトの森本明に背中を叩かれた。
「まぁ、一応。遠藤に義理チョコをもらったから今日お返ししようかと……」
「あの遠藤から義理とはいえチョコもらったのかよ!俺なんて高校に入ってまだ一つももらえてないというのに」
遠藤小花はクラスカースト上位のギャル女。
髪を金髪に染めていて、スカートもかなり短くしている。
スタイルがよく、雑誌モデルをやっていてもおかしくないぐらい美人だ。
「みんな、おっはー」
噂をすれば遠藤小花が教室に入ってきた。
いくつかできていた女子グループが一斉に挨拶を交わす。
昨日見たテレビの話や、最近できたお店の話で盛り上がっている。
「相変わらず人気者だよなぁ。まさにクラスの中心って感じだ。それで、いつ彼女にチョコを渡すんだ?」
「できるだけ人目が少ない時がいいんだが」
「遠藤が一人になる時間なんてトイレの個室ぐらいじゃねえか?」
「だよな……」
和田はため息が胸の奥からわいて出た。
ポケットに入っているチョコの箱がやけに重く感じてくる。
別に無理して返さなくてもいいのだが、小さいころからバレンタインデーのお返しはちゃんとするように親からしつけられている。
それが、余りものを押し付けられただけだとしても。
「和田は小花ちゃんが好きなの?」
後ろを振り返ると、大島明美が机の上で両手を前に出してうつぶせになりながら顔だけ上げてこちらを向いていた。
彼女とは高校に入学した時から席が近く、女子の中では一番よく話をする。
あまり友達は多くないみたいで、一人でいることが多い。
「いや、好きとかではなくて……。もらったものは返さないといけないから。ま、まぁ、嫌いというわけでもないんだけど……」
「ふうん。そう。でも小花ちゃんはやめといたほうがいいと思うけど」
「いや、だから別にそういうのじゃないって」
「……そう」
大島は興味をなくしたように明後日の方を向いた。
相変わらず、机につっぷしたままだ。
「大島って不思議な子だよな。大人しいのに態度は大きいというか」
「確かに……」
「てか、よく見ると結構可愛い顔してるよな」
「うーん……そうかも」
大島の前で好き勝手言う森本に気まずくなり、曖昧な返事を返す。
悪い奴ではないのだが、少し思慮に欠けるところがある。
「何?森本は私のことが好きなの?」
うっとうしそうに、こちらに顔を向ける。
どこか不機嫌そうだ。
「そうだと言ったら?」
眉をひそめた大島にまじめな顔で返す森本。
そのまま見つめ合う二人になぜか焦りを覚えた。
沈黙が下りる二人の間で和田は視線をさまよわせていると、
「ごめんね。あなたには興味ないの」
「あはは、そりゃそうか。じゃ、そろそろ時間だし席に戻るよ」
森本はホームルームの時間を告げるチャイムの音で席に戻っていった。
和田はほっと胸をなでおろした。
「そんな泣きそうな顔しないでよ」
「し、してないよ」
そう言うと大島はくすっと笑顔を見せた。
昼休憩になり和田は焦っていた。
チョコを渡すだけなのに、遠藤は多くの友達に囲まれており話しかけるタイミングがなかったからだ。
「何でそんなに渡すのためらってるの?」
後ろから大島に声をかけられる。
「いや、一人になる時間を見計らってるんだけど、なかなかチャンスがなくて」
そういうと、ため息をつかれた。
「その言い方だと、まるで今から告白するみたいに聞こえるよ」
「い、いや。そんなつもりはないよ。ただ、ほらなんか周りに人がいると変に勘繰られるんじゃないかとか心配で……」
「誰も気にしないよ。あっ、小花ちゃんが一人で教室を出たよ」
「えっ!あっ!じゃ、渡してくる」
和田は慌てて遠藤の後を追いかけた。
廊下に出て角を曲がると、階段を上がっている遠藤を見つけた。
スカートが短いためもう少し角度をつけるとパンツが見えてしまいそうだ。
ごくりと唾を飲み込んだところで、遠藤が振り返った。
「ん?おい、何見てんだよ」
踊り場の上からスカートを手で押さえながら睨まれてしまった。
「あっ、いやっ、見てないって」
「じゃあ、なんでうちを追いかけてんの?」
客観的に見るとただのストーカーになっていることに気づき冷や汗が出てきた。
「えっと……そう、渡したいものがあって」
「何をくれるっていうの?」
和田は階段を駆け上がり、遠藤に近づいた。
「バレンタインのお返しをしようと思って。これ……」
ポケットからチョコが入った箱を取り出した。
「え?あぁ、そういえば和田君にもあげたんだっけか。忘れてた」
「ははは、そうだと思ったよ」
「はぁ、そんなの朝にでも渡してくれよ。やけに和田から視線感じて気味悪かったよ」
「ごめん」
踊り場で話していると、上から一人の男が下りてきた。
「おい、小花。これはどういう状況だ?」
「あっ、勇気先輩だ。実は今、告白されててさぁ」
「ちょ、ちょっと!何言ってるんだよ」
和田は慌てて遠藤の肩をつかもうとするとパシっと叩かれた。
「ごめん。気持ちは嬉しいけど、うちにその気はないから」
その声はひどく冷たいものだった。
痛む心を隠しながら、チョコの箱を持った右手を遠藤に伸ばした。
「これ、チョコのお返しだけでも受け取ってよ」
「おい、しつこい男は嫌われるぞ」
勇気先輩と呼ばれた男が和田の右手から箱を奪い取り階段の下へと投げ捨てた。
「勇気先輩。それはやりすぎだよぉ」
「悪い悪い。でも、これぐらいやらないとストーカー君は分からないって」
「きゃはは、一理あるぅ」
二人は笑いながら歩き去っていく。
和田は呆然としてその場から動けなかった。
「はぁ。だから言ったのに。小花ちゃんはやめといたほうがいいって」
後ろを振り向くと、階段の下で大島がチョコの箱についたほこりを払っていた。
そして、それを大事そうに両手で持ちながら踊り場まで歩いてきた。
「なんで泣いてるのよ」
「な、泣いてないし」
和田は制服の袖で目元を拭う。
「目真っ赤だよ」
「ちょっとほこりが目についただけだよ」
「ねぇ、このチョコ私がもらってあげよっか」
右手でチョコの入った箱を見せびらかすように目の前で揺らしている。
「でも、大島からはチョコもらってないし……」
「変なところで真面目なんだから」
「別にいいけど、チョコが食べたいだけなんだろ?」
「うーん……半分正解かな」
大島はあごに左手を当てて、片目を閉じる。
「それじゃ、これは未来の分ってことで」
「未来の?どういうことだよ」
「来年のバレンタインデーで手作りチョコ渡してあげる」
「嬉しいけど、何で俺なんかにそこまでしてくれるんだ?」
「はぁ……鈍すぎでしょ」
大きなため息をついた後、一歩ずつ距離を縮めてくる。
和田は思わず後ずさるが手を掴まれて止められる。
至近距離で大島は上目遣いになり、一瞬だが唇にやわらかい感触が伝わってきた。
「えっ」
「好き」
それだけ言って大島は走り去っていった。
甘い後味だけを残して。