2.元気な訪問者と、静かな気配
扉の向こうで待つのは、いつもの朝食の誘い
カトリーヌはそっと目を細めた後、何事もなかったかのように微笑み、アリシアへ向き直る。
「お嬢様、そろそろお支度を」
その声に、アリシアは微かに眉をひそめた。
「……そんなに急かさなくてもいいでしょう?」
「朝食の時間が迫っていますし——それに、どうやらお嬢様をお待ちの方がいるようですよ」
カトリーヌの言葉に、アリシアは一瞬きょとんとした。
「待ってる?」
カトリーヌは意味ありげに扉の方へ視線を送る。アリシアもつられて目を向けた。
静まり返る扉の向こう——と、次の瞬間。
コンコン、と軽くノックの音が響いた。
カトリーヌは微かに息をつき、静かに扉へ歩み寄ると、優雅な所作で取っ手に手をかける。
扉を開くと、そこには栗色の髪をポニーテールにまとめた少女が立っていた。陽光を受けて輝く髪は軽やかに揺れ、翠の瞳は活気に満ちている。
「アリシアー! 朝食、行こっ!」
カトリーヌは一歩引き、扉の外の少女を静かに見つめる。
エレーナ・ベルトラン。
学園で数少ない、アリシアと対等に言葉を交わす存在。
平民出身ながら、その才を見込まれ、特例で学園に迎えられた奨学生。
その入学には、学園の教師であり魔術ギルドの一員でもあるガブリエル・クロフォードの推薦があったという。
「やっぱり、いた! もう、遅いよ、アリシア!」
「……エレーナ」
アリシアはため息交じりに呟いたが、その声色はどこか柔らかい。
「遅いって、まだ朝食の時間には間に合うわよ」
「間に合うけど、早く行かないと人気のパンがなくなるって言ってたじゃん!」
「別に、パンを食べに行くわけじゃないわ」
「いやいや、美味しいもの食べた方が一日を頑張れるでしょ?」
エレーナは普段通りの軽快な口調で話していたが、ふとカトリーヌの存在に気づくと、一瞬だけ表情を引き締め、軽く膝を折り会釈をした。
「おはようございます、ミルフォード様」
カトリーヌは柔らかく微笑みながら、わずかに頭を下げる。
「おはようございます、エレーナ様。今日もお元気そうで何よりです」
エレーナはそのまま流れるように自然な仕草で姿勢を戻し、アリシアへ向き直った。
「さ、行こう! 今日は厨房で特別なハニーフルーツが出るって聞いたよ!」
アリシアは小さく息をつきながらも、エレーナの弾むような声に少し口元を緩める。
「……厨房のコックが用意していると聞いたわ」
「ええ、腕によりをかけたそうですよ? お嬢様が気に入らなかったら、皆様がしょんぼりしてしまうかもしれませんね」
エレーナはいたずらっぽく微笑みながら、アリシアの顔を覗き込む。対するアリシアは、一瞬だけ視線を逸らし、すぐに冷静な表情を取り戻す。わずかに頬を膨らませながらも、無理に平静を装う仕草が、エレーナにはかえって可笑しく映った。
「もしかして、楽しみだった?」
アリシアはわずかに目をそらし、表情を整えながら淡々と答える。
「別に。ただ、食事を無駄にするのはよくないだけよ」
「はいはい、そういうことにしといてあげる!」
エレーナの快活な笑いに、アリシアは呆れたように肩をすくめながらも、足を踏み出した。
「……なら、早めに行きましょう」
窓から差し込む朝の光が、ゆるやかに広がっていく。
学園での、一見平凡な一日の始まり——
しかし、この日を境に、小さな違和感が積み重なり、やがて思いがけない出来事へと繋がっていく。
エレーナ登場回です!元気な彼女とアリシアの対比が楽しめる回になったかと思います。