23.2対1
白布を拾い上げたカトリーヌの腕に、淡い光が脈打った。
その光が、腕から肩へ。枝のように、血管をなぞるように広がっていく。
乾いた空気に、ぬるい圧が滲んだ。……布の“質”が変わった。
ふわりと持ち上がった白布。
だが、それは風ではない。
重さがある。光の角度が、鋼糸のように折れた。
――音もなく、イグナーツが一歩前へ。
剣が鞘を離れた瞬間、金属の鳴きと共に、刃に蒼光が宿る。
耳の奥が一瞬、詰まるように圧された。
「ヘルムート、気を切らすな。ここからは一手が命を分ける」
その声が鼓膜の裏から響く前に、木剣を構え直す。
手のひらが汗で滑った。指を握り直す。
「……望むところだ」
視界の隅で、カトリーヌが口元を歪める。
あの笑みは、冗談ではない。
「ふふ……」
白が、走った。
――空気が裂ける音。
視界の左端で閃いた“白”が、直線ではなく、蛇のように軌道を折りながら突き出される。
(くる……!)
反射より先に、身体が動いた。
剣を前に、肩を落とし、足を滑らせ――流す、崩す、止める。
頭ではなく、筋肉が覚えた反応。
(流して、崩す……!)
白布が木剣に触れた――その瞬間。
鋼が叩きつけられたような衝撃が、肩へ。
「ッ!?」
――崩せない。
ただ流すには、重すぎる。
衝撃が、熱と一緒に皮膚を突き破り、骨へ響く。
(……重いッ!)
腕が引きちぎれるような感覚。
力が全身へ逃げない。血管の奥で、何かが詰まった。
逃げようと身体が動く、けれど――
遅い。
「下がれ!」
声が、耳ではなく、背骨に響いた。
イグナーツの剣が割り込む。
金属が布に触れた瞬間――擦過音と共に、火花が飛び散る。
呪紋の火光が青白く閃く。目が焼かれそうになる。
石畳の下で、何かが“沈む”音がした。
見れば、イグナーツの足元が半歩、地面にめり込んでいる。
「……同じ手は、二度通じん」
短く低い声。
そのまま、視線だけでこちらを射抜いた。
「“力が変わった”時、同じやり方に頼るな。戦場では、それが死を呼ぶ」
ヘルムートは、口内の鉄味を感じた。
奥歯を噛み締めすぎて、唇の内側を切っていた。
(くそ……見えたのに、崩せない!)
次の声が、喉元に触れた。
「ふふっ、頼れる男がいると助かりますね。
でも……そう何度も、庇ってばかりでは疲れてしまうでしょう?」
白布が、再び舞う。
今度は、音の壁を走りながら
風の形を持たない白が、斜めに迫ってきていた。
(広い……!? 二人まとめて?)
視界の端に、夕日が滲む。
布の光がそれを塗り潰し、斬り込んでくる。
「下がるな、ヘルムート! これは――!」
イグナーツの制止が、耳に届くより先に、
白布の影が、全身を呑み込もうとしていた。




