22.お茶会に固執するけど、これ違いますよね
西の空は、鈍く濁った金を燃やすように沈んでいく。
影は互いに溶け合い、地面を覆い始めていた。
土と石の匂いに混じり、夕餉の煙が遠くで揺れる。
肺の奥がまだ焼けるように重い。
それでも、間は与えられなかった。
「ほら、深呼吸してください」
カトリーヌの淡い笑みとともに、白が再び視界へ舞い込む。
「言ってることと、違ッ——」
「ふふっ、待ちきれなくて」
布が走る――速い。
一閃、二閃……三閃。
正面と側面、そして背後からも迫るような錯覚。
白布が曲線を描く閃光のように、空気を裂きながら彼を包囲する。
(当たり所は決まってる……なら行くしかねぇ)
布が最大速へ乗る瞬間の“前”――
ヘルムートは踏み込んだ。
「っらあぁッ!」
木剣の切っ先が白の端をかすめる。
同時に肩で押し込み、速度が乗り切る前の布を潰す。
白布が鳴りを上げ、揺れる。
(いまだ!)
木剣を揺れる白布の上に滑らせ、その流れを地に落とす。
「あら……踏まれちゃいましたわ」
カトリーヌは、彼の足元で押さえつけられたエプロンを見やり、視線を細く絞った。
「人の衣装を踏むなんて……あまり褒められた所作ではありませんわね」
「悪いな……洗って返す」
カトリーヌの指先が白布から離れる。
力を失った布が、地を這うように落ちていく――その時。
腰が沈み、重心が前へ乗る。
彼女の姿が、ヘルムートに向かって滑るように飛んだ。
地面がわずかに震えた。
空気が一瞬、濃くなる。
視界の端を銀の弧が走り抜け――次の瞬間、彼女の身体が止まっていた。
イグナーツの片腕が、膝とヘルムートの間に割り込んでいる。
淡い蒼光が彼の全身を包み込み、輪郭を揺らしていた。
かつて王国騎士団で名を馳せた速度上昇の構文〈スプリント・サージ〉。
失われたはずの右腕にまで、魔力の残滓が“あるかのように”絡みつき、
薄い魔術ガントレットの光が空間を微かに歪める。
「……ここまでだ」
低く落ちる声。
だが、制止の気配は抑制されても、圧は消えていない。
カトリーヌの唇が、面白がるようにわずかに上がった。
「まぁ……蒼き紋章盾まで、お茶会に顔を出してくださるなんて
ヘルムート、最高ですわね」
カトリーヌの瞳が、眼前の獲物を測るように細まる、
柵際で見ていたエレーナが、思わず駆け寄る。
瞳には理解の追いつかない色が滲み、思わず手が胸元を押さえていた。
「カトリーヌさん、もう……やめましょう? 突然、こんな……」
カトリーヌはちらりと視線だけを送る。
沈黙の後、すっと肩をすくめ落とす、形だけ整ったメイドの立ち姿に戻った。
「イグナーツ先生も、せっかく参加してくださったのに……先生に失礼ですよ」
軽やかな声で笑みを形にしながら、視線だけヘルムートへ向ける。
「……ヘルムート様も、止めたいですか?」
その声に、イグナーツがわずかに息を吐く。
ヘルムートに向けて首を横に振る――それは制止ではなく、退く選択を勧める仕草だった。
荒い息の中、ヘルムートはその視線を受け止める。
けれども脳裏にラウレンツの顔がよぎり、歯を食いしばった。
「……まだ……終われない。これからだ」
短い言葉とともに、木剣を構えなおす。
その答えに、カトリーヌはゆるやかにエレーナへ微笑んだ。
「ですって。……ご安心を、ちゃんと“お茶会”ですから」
囁きとともに、足元から白布を拾い上げる。
埃を払う仕草は、あまりに優雅だった。
――その白い腕に、枝のような薄い光が脈打つ。
視線を移せば、首筋に淡い紋がひと筋浮かび上がっていた。
鼓動に合わせて揺れる光は、やがて腕の下にまで広がり、枝葉を描くように紋様を走らせる。
淡い輝きは瞬きの間に消えるが――抑え込んでいるはずの“力”が昂ぶりに呼応し、皮膚の下から透け出していた。




