20.“木剣”と”エプロン”
昔、耳にした話がある。
ルーン領の奥地に派遣された王族派の部隊が――帰らなかった。
生きて戻った視察官は、こう呟いたそうだ。
「首を剥ぐ箒の、小間使いがいた」と。
笑い話だった。だが、噂が生まれるには、火種がいる。
今、それが目の前にいる。
メイド姿で、エプロンを手にする女。笑みを浮かべて。
そして、剣を構えるのは――あの少年。
ヘルムート・クロイツ。
平民の出で、選んだ道は……それだ。
止める理由は、ない。
止まる理由も、ない。
さて。
この勝負の先に、何が残るか。
……見届けるとしよう。
イグナーツ・シュレダー
白布が、うねる。
ルーン家専属メイド――カトリーヌ・ミルフォード。
その指先に迷いはなく、濃紺のメイド服は夜闇のように沈む。
白の軌跡は音を裂き、残光をひきながら、大鎌のように弧を描いた。
四方から、ヘルムートを切り刻むように襲いかかる。
一撃目を木剣で弾き、衝撃を横へ逃す。
だが、二撃目がすぐに滑り込み、身体をひねってようやくかわす。
その瞬間、白い閃きが震え――空気がはじけた。
褐色の整備服が揺れ、胸元のボタンが弾け飛ぶ。
肌をかすめた衝撃波が、焼けつくような熱を残す。
次。次。次――
白が音もなく迫り続ける。
一撃ごとに、彼の判断が問われていた。
防ぎきれない。
――その予感が、はっきりと形を持ち始める。
腕の痺れ。肩の鈍痛。腹の焦げるような感覚。
致命傷ではない。だが、確実に“削られている”。
守っていても、削られる。
このままでは、いずれ潰される。
布の軌道は、見える。
だが――すべてには、もう対応できない。
ならば、選ぶ。
右脇からの突き。受ければ崩される。かわすには遅い。
ヘルムートは、あえて木剣を振らなかった。
腰をずらし、布がかすめていく。脇に衝撃。だが、踏み込める。
踏み込む。
ほんの半歩――それだけで、空気が変わる。
攻撃の波に、微かな隙が生まれる。
――いける。
その瞬間、ヘルムートの瞳が細められた。




